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ピート・ローズ

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ピート・ローズ
Pete Rose
2008年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オハイオ州シンシナティ
生年月日 (1941-04-14) 1941年4月14日(83歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 二塁手外野手三塁手一塁手
プロ入り 1960年
初出場 1963年4月8日
最終出場 1986年8月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴
  • シンシナティ・レッズ (1984 - 1989)

ピーター・エドワード・ローズ・シニアPeter Edward "Pete" Rose Sr., 1941年4月14日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティ出身の元プロ野球選手およびプロ野球監督。愛称はチャーリー・ハッスルCharlie Hustle)。

MLB最多試合出場記録・通算安打記録・200安打最多回数記録などを保持している。監督在任中の野球賭博により、 1989年にMLBを永久追放となった。

経歴

現役時代

1960年に地元の球団であるシンシナティ・レッズに入団。マイナーリーグでプレーしていたが、1963年スプリングトレーニング中にドン・ブラッシンゲーム(ドン・ブレイザー)が故障する。欠員が出たことでチームの穴埋めにローズが昇格し、メジャーデビューを果たした。

ヤンキースのオープン戦でのMLB初打席は四球だったが、ローズは一塁まで全力疾走した。当時、連続優勝を続けていたヤンキースのダッグアウトには、のちに野球殿堂入りするミッキー・マントルホワイティ・フォードが座っており、2人は見たこともない新人が四球で一塁へ全力疾走するのを見て大受けし、「いいぞ! チャーリー・ハッスル(ハッスル坊や)」と叫んでからかった。その際、たまたま居合わせた数人の新聞記者がその揶揄を耳にし、翌日の新聞にチャーリー・ハッスルの名前を使ったため、ローズの愛称となった[1]。同年シーズンは二塁手として打率.273、6本塁打、41打点を記録。ナショナルリーグ新人王に輝く。

その「チャーリー・ハッスル」の愛称の通り、グラウンド上で常に全力でプレーするローズは地元ファンの人気も高く、その後の1968年1969年に2年連続で首位打者を獲得するなど、チームの顔として定着した。

1970年に後に名将と呼ばれるスパーキー・アンダーソンがレッズの監督に就任すると、チームは大躍進。同年にリーグ優勝を果たし、1975年1976年にはワールドシリーズを優勝する。1970年から1978年に掛けて地区優勝6回、リーグ優勝4回、ワールドシリーズ優勝2回を果たした。その間、ローズをはじめ後の球史に名を残す名選手を揃え、1970年代のMLBを席巻したレッズは「ビッグレッドマシン」と呼ばれ、絶大な人気を誇った。ローズも主将・1番打者としてレッズを牽引し、 1973年には3度目の首位打者を獲得、その年のナショナルリーグMVPを受賞し、1975年のワールドシリーズMVPにも輝いた。

ピート・ローズ

1978年にはMLB歴代3位となる44試合連続安打を記録[2]。同年5月に通算3000本安打を達成した。達成年齢の37歳と21日は、当時MLB史上3番目の若さであった(後年にロビン・ヨーントデレク・ジーターがローズより早く3000本安打に到達したため、現在ではローズの達成年齢は5番目に若い)[3]。 オフにフリーエージェント(FA)となった。また、日米野球ではレッズの一員として訪日。成績はレッズの14勝2敗1分。

1978年オフにフィラデルフィア・フィリーズに移籍。レッズ時代と変わらぬ活躍ぶりを見せ、1980年にはフィリーズ史上初のワールドシリーズ優勝に貢献した。また同時期には日本のカップラーメン『マルちゃん 激めん』(東洋水産)のCMに出演した。

1984年モントリオール・エクスポズに移籍し、MLB史上2人目となる通算4000本安打を達成した。

1985年は23年目で45歳となったローズは、選手兼監督としてレッズに招聘。同年9月11日にシンシナティのリバーフロントスタジアムでのサンディエゴ・パドレス戦で1回一死1ストライク2ボールでエリク・ショウ投手の投じた4球目を左前に安打を打ち4192安打を達成、タイ・カッブの持つMLB記録を更新した(MLB公式記録は4191だが、現在では4189と言われている)。7回には三塁打を放って記録を4193安打まで伸ばした。この時にローズが用いたバットは、米国のホワイトアッシュ材をミズノが日本で加工したものであった。

1986年限りで監督業に専念することになり、現役を引退。監督としての特徴は、相手投手の左右などで野手のツープラトン起用を好んだ。

引退後

1989年8月24日に監督在任中に野球賭博に関わったとして、MLBから永久追放処分を受けた。以後、基本的にMLBへの関与は認められていないが、特例での参加が認められてもいる。ちなみに監督をしていただけに自分のチームが勝つほうに常に賭けていたという[4]

2014年6月18日に独立リーグであるアトランティック・リーグブリッジポート・ブルーフィッシュで1日限定の監督を務めた[5]

ローズのレッズ在籍時の背番号「14」。
シンシナティ・レッズの永久欠番2016年指定。

2015年には、MLBコミッショナーロブ・マンフレッドの特例許可により、古巣レッズの本拠地・グレート・アメリカン・ボール・パークで行われたMLBオールスターゲームのセレモニーに出席した。

2016年にはレッズの球団殿堂にローズが入ることになり、長らくローズが現役・監督を通じてつけていた自らの背番号『14』が永久欠番に指定されることとなった[6]。同年は「イチローは『ヒット・キング』、自身は『ヒット・クイーン』」と述べている[7]

2017年6月17日にグレート・アメリカン・ボール・パークにローズの銅像が建立された。現役時代のトレードマークであった、ヘッドスライディングする姿で、セレモニーではローズも出席している[8]

選手としての特徴

MLBを代表するスイッチヒッターの1人だった。

身体を大きく屈めるクラウチングスタイルが特徴。長打力こそなかったものの、ボールを真芯で捕らえるミート力に長け、長年に渡って安打を量産していった。足もさほど速くはなかったが、積極的な走塁で二塁打、三塁打を狙った(通算二塁打はMLB歴代2位)。

走塁では本塁のクロスプレーでの捕手への強烈な体当たりや、塁へのヘッドスライディングを良く仕掛けた。特に闘志溢れるヘッドスライディングは現役時代のローズの代名詞だった[9]

派手なプレイが目立つ一方で、故障をほとんどせず、24年間の現役生活で故障者リスト入りしたのはわずか2回である。ローズは現役中、セミプロのフットボール選手だった父親の「グラウンドでは100%ではなく120%の力を出さなくてはいけない」という教えを忘れなかったという[10]

人物

永久追放

1989年に野球賭博に関わっていたことが発覚。賭けの対象に自身が監督を務めるレッズが含まれていたことから、当時のコミッショナーであるバート・ジアマッティ(処分会見の8日後に心臓発作により急死)により永久追放処分を受ける。この事件は、何らかの形でローズが事件に巻き込まれてしまったという説があったが、2004年に発売された自叙伝での告白やスポーツ専門放送局・ESPNのラジオ番組で、「毎晩賭けていた。私は間違っていた」などと語り、野球賭博への関与を認めている。

2004年、ローズの野球賭博の内幕を描いたHustle(邦題『堕ちた打撃王 ピート・ローズ』)がピーター・ボグダノヴィッチ監督、トム・サイズモア主演でテレビ映画化された。

第7代コミッショナーであるジアマッティに永久追放処分を受けた後は、第8代コミッショナーであるフェイ・ヴィンセント(副コミッショナー時代にローズの賭博問題の調査を主導)にも冷たくあしらわれた。ヴィンセントは、2002年12月にローズの追放処分の解除が検討された時には「馬鹿げている」と怒りを露わにした[11]。また、2015年1月に掲載されたトレジャーコースト新聞英語版社説の中では、「ローズはクーパーズタウンアメリカ野球殿堂)から永久に排除されるべきだ」と述べている[12]

2015年1月に退任した第9代コミッショナーであるバド・セリグは、2014年8月の会見上で、ローズを球界復帰させる意向がないことを示した[13]

ローズの復権を最後まで認めなかったセリグが任期満了に伴い退任した後、第10代コミッショナーに就任したロブ・マンフレッドは2015年2月5日、復権について話し合う用意があると語った[14]。これを受けてローズは「ぜひ話がしたい。自分は常に球界復帰の希望を持っている」とコメントした[15]。3月16日、マンフレッドはローズから永久追放処分の解除を求める正式な申請を受けたと明かした[16]。続いて4月にはローズについて、長年活躍したレッズの本拠地シンシナティで開催されるオールスターゲームへの参加を認める考えを示した[17]

2015年6月22日、ESPNは、ローズが選手時代にも試合に賭けていたことを証明する文書を手に入れたと報じた。入手したのは、アメリカ合衆国当局が1989年10月にローズに近い人物から別件で押収した手書きメモのコピーである。それには、現役最終シーズンの86年3月から7月までのスポーツを対象にした賭博内容が詳細に記され、野球の試合も多く含まれているという。ローズは選手時代の賭博関与は繰り返し否定していた[18]。ESPNの報道を受け、ローズは弁護人を通じて「(数か月前に申請した)処分撤回に関する事項なのでコメントできない」と発表した[19]

ESPNが報道したスキャンダルはアメリカ合衆国内で反響が大きく、復権に関するコミッショナーの判断への影響が注目された。復権が認められれば、ローズは殿堂入りも可能となるためである。過去の賭博問題の捜査を担当した元連邦検事のジョン・ダウドは「これが最後のピースで、パズルは完成。(ローズ復権の)ドアは閉じられる」とコメント。アメリカ合衆国メディアの論調もおおむね否定的で、ロイター通信のラリー・ファイン記者は「"選手としては賭けていない"という言葉も、彼をよく知る人はもともと誰も信じていなかった。野球賭博の件に関して、何が出てきてももう驚かない。また新たなウソという疑惑が出てきてしまった時点で、復権は厳しくなったし、名誉の殿堂入りはこれから先もまず不可能だろう」と語っている。ローズは永久追放処分を受けた後、2004年に自叙伝で認めるまで約15年間にわたって、自らの賭博関与を否定し続けていた[20]

2015年7月14日、かつてプレーしたレッズの本拠地シンシナティで開催されたオールスターゲームの試合前行事に参加した。観客からは拍手とブーイングを受けた[21][22]。ローズは「ここのファンは素晴らしい。唯一残念だったのは、打席に立てなかったことだね」とジョーク交じりに話した。希望していたコミッショナーのマンフレッドとの会談は実現しなかった[22]

2015年12月14日、MLB機構はローズからの永久追放処分解除の要請を却下したと発表した。発表によれば、同年2月にローズから処分解除の要請があり、9月にコミッショナーのマンフレッドが面談した。その際、ローズはレッズ監督時代の1987年にレッズの試合に賭けたことを認めたものの、選手時代(選手兼任監督時代)の1985年から1986年の間にも賭博に関与した件については「思い出せない」などと話したという。さらに現在でも野球を含めたプロスポーツや競馬の賭け事を続けていることも明らかになった。同コミッショナーは声明で、「ローズ氏は野球界からの追放処分を受けた後も依然として野球で賭け事をしており、公私における発言からも、自身が犯した過ちを十分に理解し、責任を取ってきたとは考えにくい」とコメント。さらに「ローズ氏は、更生した証拠を示すことができなかった。将来的に再び違反行為を行う危険性もある」とし、野球界に戻すことには「容認できないリスク」があると述べた[23][24]。ローズは過去に2度、別のコミッショナーの時代に処分の解除を求めたが、いずれも却下されており、今回で3度目の却下となった[25]

2015年12月15日、復権が認められなかったローズは、在住先であるギャンブルの本場ラスベガスで会見を行い、現在も暇つぶし程度に賭け事をしていることを認めつつ、「失望している。私はギャンブル依存症ではない。ここに住んでいるのもギャンブルが目的ではなく、仕事(飲食店経営)のため」と発言。そして「私は野球人。それは変わらない。殿堂入りの望みも捨てない」と話した[26][25]。ローズは選手時代の1978年の時点では、ギャンブル癖が酷く、多額の借金まであったとされる[12]

2016年1月19日、古巣レッズはローズの球団殿堂入りを発表した[6]

2020年、ローズはMLBのステロイド使用者や(アストロズの)サイン盗みに対する罰則と比較すると自身の処罰は不公平であるとして、MLBに対して復権を要請した[27]

2022年、ローズは復権を申請した。コミッショナーのマンフレッドへの手紙の中で、「殿堂入りが何を意味するのかを今でも毎日考えている」と述べた。マンフレッドは、米スポーツメディアのジ・アスレチック英語版記者に対し、ローズは引き続きMLBから追放されると説明した[28]

2024年3月25日、かつてMLBとNFLでプレーしたジョシュ・ブーティーInstagramに登場し、水原一平の違法賭博騒動について同席者に騒動に関するコメントを求められ「70年代、80年代に通訳がいれば無罪放免だった」と、大谷を皮肉るような発言をした[29]

コルクバット使用疑惑

2010年、米スポーツメディアのデッドスピン英語版はローズがタイ・カッブの通算安打記録を抜いた1985年にコルクバットを使用したと報じた。同シーズンにローズが試合で使用したバットを所有していたスポーツ記念品コレクターの複数人がバットのX線検査を行ったところ、コルク栓の明らかな兆候が見つかったという[30]

2020年には、かつての在籍チーム(モントリオール・エクスポズ)の地元紙モントリオール・ガゼット英語版がローズのコルクバット使用を報じた。記事は元エクスポズ番記者のダニー・ギャラガーが執筆し、エクスポズで11シーズングラウンドキーパーを務めた元球団職員Aの証言としてローズがクラブハウス内で別の職員B(記事内ではAとBどちらの元職員も実名)にコルクを詰めさせていたと報じた。コルクを詰める作業に直接関与していたとされる元職員Bとローズの代理人にも問い合わせたが、コメントを拒否されたという[31]

服役

MLBを永久追放された翌1990年には、賭博問題とは別件(脱税と虚偽の申告をした罪)で懲役5か月、罰金5万ドルの実刑判決を受け、刑務所に服役した[32]

私生活

2度の結婚・離婚歴がある。2番目の妻と別居中から、韓国出身のセクシーモデル、キアナ・キム(Kiana Kim、1980年韓国ソウル市生まれ、5歳でアメリカ合衆国に移住、大韓航空に勤めていたこともある[33])と交際をスタートし、後に婚約して、2013年には彼らのリアリティ番組Pete Rose: Hits & Mrs.」が放送された。

長男ピート・ローズ・ジュニアは元野球選手であるが、MLBの試合出場は11試合だけで、現役生活のほとんどをマイナーリーグベースボール(MiLB)でプレイした(MiLBでは1989年から2009年の間に1918試合出場[34])。そのMiLB生活中にチームメイトにドーピング薬を横流ししたとして起訴され、2006年に有罪判決を受けた[35]

WWEとの関係

1998年から2000年の間に、ローズはプロレス団体WWEの年間最大のイベントレッスルマニアに出演。レッスルマニアXIVで「ゲストリングアナウンサー」を務めた。この大会でレスラーのケイン(彼の赤いリング衣装は「ビッグレッドマシン」の愛称)からパイルドライバーを受けている。翌年のレッスルマニアXVではローズはケインに復讐するために「チキン」の仮装をして現れるが、返り討ちにされた。翌年のレッスルマニア2000でも登場するがケインだけでなく、タッグパートナーのリキシにもやられてしまう。これら3つの出演に加えて、ローズは2002年にWWEのノーマーシーイベントのハロウィーンをテーマにしたCMに登場し、ケインによってチョークスラムを食らった。そして2004年にレッスルマニアXXの前日の式典でWWE殿堂入りを果たした(紹介を務めたのはケイン)。ローズは初の非プロレス関係者、セレブとして殿堂入りした。

2010年3月22日には、レッスルマニアXXVI前のWWEの番組であるRAWにゲストホストとして登場。番組中にケインとの久々の「絡み」も見せた。2012年に再びWWEに登場し、ケインとの絡みがあった。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1963 CIN 157 695 623 101 170 25 9 6 231 41 13 15 6 6 55 0 5 72 8 .273 .334 .371 .705
1964 136 558 516 64 139 13 2 4 168 34 4 10 3 1 36 0 2 51 6 .269 .319 .326 .645
1965 162 757 670 117 209 35 11 11 299 81 8 3 8 2 69 2 8 76 10 .312 .382 .446 .828
1966 156 700 654 97 205 38 5 16 301 70 4 9 7 1 37 3 1 61 12 .313 .351 .460 .811
1967 148 647 585 86 176 32 8 12 260 76 11 6 1 2 56 9 3 66 9 .301 .364 .444 .808
1968 149 692 626 94 210 42 6 10 294 49 3 7 2 4 56 15 4 76 11 .335 .391 .470 .861
1969 156 728 627 120 218 33 11 16 321 82 7 10 2 6 88 18 5 65 13 .348 .428 .512 .940
1970 159 728 649 120 205 37 9 15 305 52 12 7 0 4 73 10 2 64 7 .316 .385 .470 .855
1971 160 707 632 86 192 27 4 13 266 44 13 9 1 3 68 15 3 50 9 .304 .373 .421 .794
1972 154 729 645 107 198 31 11 6 269 57 10 3 2 2 73 4 7 46 7 .307 .382 .417 .799
1973 160 752 680 115 230 36 8 5 297 64 10 7 1 0 65 6 6 42 14 .338 .401 .437 .838
1974 163 770 652 110 185 45 7 3 253 51 2 4 1 6 106 14 5 54 9 .284 .385 .388 .773
1975 162 764 662 112 210 47 4 7 286 74 0 1 1 1 89 8 11 50 13 .317 .406 .432 .838
1976 162 759 665 130 215 42 6 10 299 63 9 5 0 2 86 7 6 54 17 .323 .404 .450 .854
1977 162 731 655 95 204 38 7 9 283 64 16 4 1 4 66 7 5 42 9 .311 .377 .432 .809
1978 159 729 655 103 198 51 3 7 276 52 13 9 2 7 62 6 3 30 8 .302 .362 .421 .783
1979 PHI 163 730 628 90 208 40 5 4 270 59 20 11 0 5 95 10 2 32 18 .331 .418 .430 .848
1980 162 735 655 95 185 42 1 1 232 64 12 8 4 4 66 5 6 33 13 .282 .352 .354 .706
1981 107 484 431 73 140 18 5 0 168 33 4 4 1 3 46 5 3 26 8 .325 .391 .390 .781
1982 162 718 634 80 172 25 4 3 214 54 8 8 8 3 66 9 7 32 12 .271 .345 .338 .683
1983 151 555 493 52 121 14 3 0 141 45 7 7 1 7 52 5 2 28 11 .245 .316 .286 .602
1984 MON 95 314 278 34 72 6 2 0 82 23 1 1 3 1 31 3 1 20 10 .259 .334 .295 .629
CIN 26 107 96 9 35 9 0 0 44 11 0 0 0 0 9 1 2 7 1 .365 .430 .458 .888
'84計 121 421 374 43 107 15 2 0 126 34 1 1 3 1 40 4 3 27 11 .286 .359 .337 .696
1985 119 500 405 60 107 12 2 2 129 46 8 1 1 4 86 5 4 35 10 .264 .395 .319 .714
1986 72 272 237 15 52 8 2 0 64 25 3 0 0 1 30 0 4 31 2 .219 .316 .270 .586
MLB:24年 3562 15861 14053 2165 4256 746 135 160 5752 1314 198 149 56 79 1566 167 107 1143 247 .303 .375 .409 .784
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はMLBにおける歴代最高

年度別守備成績

内野守備


一塁(1B) 二塁(2B) 三塁(3B)




































1963 CIN - 157 360 366 22 78 .971 -
1964 - 128 263 301 12 63 .979 -
1965 - 162 382 403 20 93 .975 -
1966 - 140 385 344 14 79 .981 16 24 30 4 4 .931
1967 - 35 76 88 7 15 .959 -
1968 1 0 0 0 0 3 2 0 0 0 1.000 -
1969 - 2 1 0 0 0 1.000 -
1975 - - 137 106 230 13 21 .963
1976 - - 159 115 293 13 25 .969
1977 - - 161 98 268 16 18 .958
1978 2 15 0 0 2 1.000 - 156 117 256 15 23 .961
1979 PHI 159 1424 87 8 124 .995 1 1 0 0 0 1.000 5 4 6 2 0 .833
1980 162 1427 123 5 113 .997 - -
1981 107 929 91 4 69 .996 - -
1982 162 1428 123 8 114 .995 - -
1983 112 786 74 9 57 .990 - -
1984 MON 40 298 42 4 22 .988 - -
CIN 23 181 9 2 14 .990 - -
'84計 63 479 51 6 36 .989 - -
1985 110 870 73 5 80 .995 - -
1986 61 523 43 6 54 .990 - -
MLB 939 7881 665 51 649 .994 628 1470 1502 75 328 .975 634 464 1083 63 91 .961
外野守備


左翼(LF) 中堅(CF) 右翼(RF)




































1963 CIN 1 0 0 0 0 - -
1967 124 213 6 4 0 .982 1 0 0 0 0 -
1968 - 9 15 2 0 0 1.000 142 256 17 3 4 .989
1969 - 56 109 4 1 1 .991 101 204 6 3 2 .986
1970 1 0 0 0 0 5 6 0 0 0 1.000 155 305 7 1 2 .997
1971 - 2 4 0 0 0 1.000 156 302 13 2 1 .994
1972 154 324 15 2 2 .994 - -
1973 159 345 15 3 0 .992 - -
1974 163 344 11 1 3 .997 - -
1975 35 55 0 1 0 .982 - -
1976 - - 1 0 0 0 0
1978 7 3 0 0 0 1.000 - -
1983 PHI 1 1 0 0 0 1.000 - 34 42 0 1 0 .977
1984 MON 28 51 2 2 0 .964 - -
MLB 673 1336 49 13 5 .991 73 134 6 1 1 .993 589 1109 43 10 9 .991

タイトル

表彰 

記録

MLB記録

  • 通算安打:4256(歴代1位)
  • 通算試合:3562(歴代1位)
  • 通算打数:14053(歴代1位)
  • 通算打席数:15861(歴代1位)
  • 通算出塁数:5929(歴代1位)
  • 通算得点:2165(歴代6位)
  • 通算単打:3215(歴代1位)
  • 通算二塁打:746(歴代2位)
  • 通算塁打:5752(歴代7位)
  • 通算アウト回数:10328(歴代1位)
  • 連続試合安打:44(歴代2位)
  • 1試合5安打以上:10(歴代2位)
  • 1試合4安打以上:73(歴代2位)
  • 1試合3安打以上:387(歴代2位)
  • 1試合2安打以上:1225(歴代2位)
  • シーズン200安打:10(歴代1位タイ)

背番号

著書

脚注

  1. ^ ピート・ローズ著『ピート・ローズのハッスル野球教室』
  2. ^ Longest Hitting Streaks - BR Bullpen, 2013年3月11日閲覧.
  3. ^ Breaking down Derek Jeter's march to 3,000 hits by the numbers - SI.com, 2011年7月8日, 2013年3月11日閲覧.
  4. ^ イチローとローズ 記録に透ける2人の人となり
  5. ^ スラックス姿で指揮…ピート・ローズ氏 独立Lで監督 Sponichi Annex 2014年6月18日 05:30
  6. ^ a b ピート・ローズ氏 レッズの球団殿堂入り決定「非常に光栄」 - スポーツニッポン, 2016年1月20日付
  7. ^ イチローは「歴代最高のヒットキング」 米メディア改めて“ローズ超え”称賛
  8. ^ ピート・ローズ氏の銅像お披露目レッズ本拠地シンシナティ - デイリースポーツ, 2017年6月18日付
  9. ^ 追放処分ピート・ローズ氏、26年ぶり登場 米球宴行事”. 朝日新聞. 2015年8月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月22日閲覧。
  10. ^ イチローが挑むP・ローズの素顔】100%ではなく120%の力を”. スポーツ報知 (2016年6月11日). 2016年8月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月22日閲覧。
  11. ^ Hall of Famers making a plea for Rose” (英語). Philly.com (2002年12月18日). 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月22日閲覧。
  12. ^ a b Jerry Crasnick (2015年1月20日). “Pete Rose: 25 years in exile” (英語). ESPN.com. 2015年12月17日閲覧。
  13. ^ 「永久追放」ローズ氏、厳しい球界復帰 - 日刊スポーツ, 2014年8月24日, 2014年8月25日閲覧.
  14. ^ ピート・ローズ氏と復権話し合う用意 - 日刊スポーツ, 2015年2月6日, 2015年6月23日閲覧.
  15. ^ 永久追放のローズ氏 球界復帰へ「コミッショナーと話したい」 - スポーツニッポン, 2015年2月13日, 2015年6月23日閲覧.
  16. ^ 大リーグ:球界資格復帰へ ピート・ローズ氏が申請 - 毎日新聞, 2015年3月17日, 2015年6月23日閲覧.
  17. ^ ローズ氏、球宴参加へ MLB認める考え - 日刊スポーツ, 2015年4月24日, 2015年6月23日閲覧.
  18. ^ ローズ氏、選手時代にも賭博関与か=米スポーツ専門局がメモ入手-大リーグ”. 時事通信. 2015年6月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月22日閲覧。
  19. ^ 永久追放ピート・ローズ氏、選手時代も賭博関与か - 日刊スポーツ, 2015年6月24日, 2015年6月25日閲覧.
  20. ^ 復権願うピート・ローズ氏 再び迷走、厳しい前途 - 日本経済新聞, 2015年6月29日, 2015年7月2日閲覧.
  21. ^ ピート・ローズ氏 拍手とブーイング - 日刊スポーツ, 2015年7月16日, 2015年7月17日閲覧.
  22. ^ a b 拍手とブーイングの中…ローズ氏 かつての本拠地登場 - スポーツニッポン, 2015年7月16日, 2015年7月17日閲覧.
  23. ^ ピート・ローズ氏の追放処分解除、要請を却下 - 読売新聞, 2015年12月15日, 2015年12月15日閲覧.
  24. ^ MLB=ローズ氏、永久追放処分は解除されず - ロイター通信, 2015年12月15日, 2015年12月15日閲覧.
  25. ^ a b P・ローズ氏、処分解けず落胆 それでも野球愛は変わらず”. AFP通信 (2015年12月16日). 2015年12月17日閲覧。
  26. ^ P・ローズ氏 永久追放解除ならず失望「ギャンブル依存症ではない」 - スポーツニッポン, 2015年12月17日, 2015年12月17日閲覧.
  27. ^ Pete Rose applies for reinstatement, citing no punishment for Astros players for sign stealing - CBC.ca, 2020年2月6日, 2024年3月27日閲覧.
  28. ^ Rob Manfred Responds to Pete Rose’s Latest Hall of Fame Plea - Sports Illustrated, 2022年11月18日, 2024年3月27日閲覧.
  29. ^ ピート・ローズ氏「70、80年代に通訳がいれば無罪放免だった」大谷翔平の一連の騒動皮肉る 日刊スポーツ 2024年3月26日12時50分 (2024年3月26日閲覧)
  30. ^ Corked Bats Reportedly Belonging to Pete Rose Come to Light - SBNation, 2010年6月8日, 2024年3月27日閲覧.
  31. ^ Pete Rose alleged to have used a corked bat while playing for Expos - Montreal Gazette, 2020年5月1日, 2024年3月29日閲覧.
  32. ^ The place where Ray Fosse and Pete Rose collide - ESPN, 2015年7月9日, 2015年12月18日閲覧.
  33. ^ Kiana Kim Photos, Galleries and Videos”. Mandatory (2014年3月11日). 2015年2月20日閲覧。
  34. ^ Pete Rose Minor League Statistics & History”. Baseball-Reference.com. 2015年6月24日閲覧。
  35. ^ Rose Jr. sentenced to prison for drug distribution”. ESPN (2006年5月1日). 2015年2月20日閲覧。

関連項目

外部リンク