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1982年の中日ドラゴンズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1982年の中日ドラゴンズ
成績
日本シリーズ敗退
日本S 2勝4敗(対西武[1]
セントラル・リーグ優勝
64勝47敗19分 勝率.577[2]
本拠地
都市 愛知県名古屋市
ナゴヤ球場
球団組織
オーナー 加藤巳一郎
経営母体 中日新聞社
監督 近藤貞雄
« 1981
1983 »

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1982年の中日ドラゴンズ(1982ねんのちゅうにちドラゴンズ)では、1982年の中日ドラゴンズにおける動向をまとめる。

この年の中日ドラゴンズは、近藤貞雄監督の2年目のシーズンである。

概要

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前年から先発転向の小松辰雄を開幕戦の先発で起用するが、その小松が開幕戦で内転筋を痛めて登録抹消される最悪のスタート。スタートダッシュには程遠かったものの、5月以降は巨人広島との首位争いが続いた。投手陣では鈴木孝政が5月後半から先発へ回り、都裕次郎三沢淳郭源治などとローテーションを形成し、救援では小松・牛島和彦のダブルストッパーが控えるなど層が厚くチーム防御率3.27はリーグ2位だった。打撃陣はこの年入団のケン・モッカやレギュラー定着の平野謙が打線の中心となり、田尾安志谷沢健一大島康徳中尾孝義などが脇を固めた。特に田尾はこの年打撃好調で大洋長崎啓二と首位打者を争い、2年目の中尾も殊勲打を多く放ってMVPも受賞するなどチームに貢献した。最終的にチーム本塁打は143本でリーグ1位。9月28日の巨人戦で2対6とリードされた9回に江川卓を打ちこんで6対6の同点にすると最後は大島が角三男からサヨナラ打を放ち、2位ながら優勝マジック12が点灯。優勝決定試合となった10月18日の大洋戦で首位打者を争っていた長崎の首位打者を守ろうとした大洋投手陣が田尾への5打席連続敬遠を実行、それが中日打線に火をつけ大量8点、投げては開幕戦以来の先発となった小松が2安打完封に抑え1974年以来8年ぶり3回目のリーグ優勝を達成した。日本シリーズはパ・リーグ優勝の西武と28年ぶりの対決となったが、先発投手陣の不調に加え「石ころ事件」の不運も重なり、2勝4敗で敗れ日本一奪回はならなかった。シーズン終了後、星野仙一木俣達彦が引退。

中日マジック点灯から優勝決定まで
順位 9/28終 9/29終 9/30終 10/3終 10/4終 10/5終 10/6終 10/7終 10/9終 10/10終 10/11終 10/12終 10/13終 10/15終 10/16終 10/17終 10/18終
1位 -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- M2 M1 M1 優勝
2位 1.5
M12
0.5
M10
1.5
M10
2.5
M10
2.0
M9
2.0
M8
1.5
M7
1.0
M6
0.5
M5
1.0
M5
0.5
M4
1.0
M4
0.5
M3
0.0 0.5 0.0 0.5
試合
結果
中7-6巨 中6-2巨 巨5-2中 巨4-0洋
ヤ6-3中
巨2-2洋
中3-1ヤ
洋9-6巨
ヤ6-4中
中5-2ヤ 中3-1神 洋3-1巨 広3-2中 中6-3神 神11-5中 中4-1広 中3-2ヤ 中3-2洋 洋3-1中 中8-0洋

レギュラーシーズン

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オーダー変遷
開幕:4/4 5/4 6/1 7/1 8/2 9/1 優勝:10/18
1 田尾安志 田尾安志 田尾安志 田尾安志 田尾安志 田尾安志 田尾安志
2 平野謙 平野謙 平野謙 平野謙 平野謙 平野謙 平野謙
3 モッカ モッカ モッカ モッカ 大島康徳 モッカ モッカ
4 谷沢健一 谷沢健一 谷沢健一 谷沢健一 谷沢健一 谷沢健一 谷沢健一
5 大島康徳 大島康徳 大島康徳 大島康徳 モッカ 宇野勝 大島康徳
6 宇野勝 宇野勝 宇野勝 宇野勝 中尾孝義 田野倉正樹 宇野勝
7 中尾孝義 田野倉正樹 上川誠二 上川誠二 宇野勝 豊田誠佑 中尾孝義
8 田野倉正樹 中尾孝義 中尾孝義 中尾孝義 田野倉正樹 中尾孝義 上川誠二
9 小松辰雄 郭源治 郭源治 鈴木孝政 郭源治 三沢淳 小松辰雄

[3]

1982年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 巨人 -- 巨人 -- 広島 -- 巨人 -- 巨人 -- 中日 --
2位 大洋 2.5 中日 1.0 巨人 1.0 中日 1.0 中日 4.0 巨人 0.5
3位 中日 3.0 広島 1.0 中日 3.0 広島 2.0 阪神 8.0 阪神 4.5
4位 広島 大洋 3.0 大洋 4.0 大洋 6.5 広島 11.0 広島 8.0
5位 ヤクルト 5.5 ヤクルト 7.0 阪神 4.5 阪神 7.5 大洋 13.5 大洋 14.5
6位 阪神 7.0 阪神 12.0 ヤクルト 17.5 ヤクルト 19.0 ヤクルト 23.5 ヤクルト 23.5


1982年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 中日ドラゴンズ 64 47 19 .577 優勝
2位 読売ジャイアンツ 66 50 14 .569 0.5
3位 阪神タイガース 65 57 8 .533 4.5
4位 広島東洋カープ 59 58 13 .504 8.0
5位 横浜大洋ホエールズ 53 65 12 .449 14.5
6位 ヤクルトスワローズ 45 75 10 .375 23.5

[2]

日本シリーズ

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1982年 日本シリーズ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月23日(土) 第1戦 西武ライオンズ 7 - 3 中日ドラゴンズ ナゴヤ球場
10月24日(日) 第2戦 西武ライオンズ 7 - 1 中日ドラゴンズ
10月25日(月) 移動日
10月26日(火) 第3戦 中日ドラゴンズ 4 - 3 西武ライオンズ 西武ライオンズ球場
10月27日(水) 第4戦 中日ドラゴンズ 5 - 3 西武ライオンズ
10月28日(木) 第5戦 中日ドラゴンズ 1 - 3 西武ライオンズ
10月29日(金) 移動日
10月30日(土) 第6戦 西武ライオンズ 9 - 4 中日ドラゴンズ ナゴヤ球場
優勝:西武ライオンズ(24年ぶり4回目)

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オールスターゲーム1982

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選出選手及びスタッフ
ポジション 名前 選出回数
投手 都裕次郎
郭源治
捕手 中尾孝義
内野手 モッカ
外野手 田尾安志 3
  • この年の中日は監督推薦による選出のみであった。

できごと

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  • 10月18日 - 横浜スタジアム横浜大洋ホエールズ戦が行われ、この試合中日が勝つか引き分けで中日優勝、大洋が勝てば既に日程を追えた読売ジャイアンツが優勝になる。またこの日までは、打率首位の長崎啓二(大洋)が打率.351に対し、2位の田尾安志(中日)は1厘差の.350で、田尾は打率逆転を賭けて試合に臨んだが、大洋側は長崎を休ませて田尾を5打席連続敬遠四球。しかしこれが結果的に中日の点数を増やし、試合は8対0で中日が勝って3度目のリーグ優勝を達成した。

選手・スタッフ

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表彰選手

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リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
中尾孝義 最優秀選手 初受賞
田尾安志 最多安打 174本 初受賞
最多出塁数 232個 初受賞
都裕次郎 最高勝率 .762 初受賞
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
中尾孝義 捕手 初受賞
谷沢健一 一塁手 2年ぶり2度目[注 1]
宇野勝 遊撃手 初受賞
田尾安志 外野手 2年連続2度目
ダイヤモンドクラブ賞
選手名 ポジション 回数
中尾孝義 捕手 初受賞
平野謙 外野手 初受賞

ドラフト

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順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 鹿島忠 投手 鹿児島鉄道管理局 入団
2位 平沼定晴 投手 千葉商科大学付属高 入団
3位 市村則紀 投手 電電関東 入団
4位 近藤満 投手 駒澤大学 入団
5位 彦野利勝 投手 愛知高 入団
6位 宮下昌己 投手 日本大学第三高 入団

脚注

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注釈

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  1. ^ 1976年に外野手部門で受賞しており、通算3度目。

出典

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  1. ^ a b 1982年度日本シリーズ”. 日本野球機構. 2015年10月16日閲覧。
  2. ^ a b 年度別成績 1982年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2015年7月9日閲覧。
  3. ^ 『日本プロ野球記録年鑑 ベースボール・レコード・ブック1983』ベースボール・マガジン社、1982年。ISBN 4-583-02163-1 
  4. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7