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1956年の近鉄パールス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1956年の近鉄パールス
成績
パシフィック・リーグ5位
68勝82敗4分 勝率.453[1]
本拠地
都市 大阪府大阪市
球場 藤井寺球場(デーゲーム)
大阪球場(ナイター)
球団組織
オーナー 佐伯勇
経営母体 近畿日本鉄道
監督 芥田武夫
« 1955
1957 »

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1956年の近鉄パールスでは、1956年の近鉄パールスの動向をまとめる。

この年の近鉄パールスは、芥田武夫監督の4年目のシーズンである。

概要

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芥田監督就任4年目のチームは4月を首位と3.5ゲーム差の4位と健闘するが、5月に8連敗と負けが込んで一気にBクラスに転落。7月は14勝9敗1分、8月は4連勝を2度記録するなど14勝9敗と2か月で貯金10を作り、借金返済が目前に迫った。しかし、9月に5連敗するなど終盤は負けが込みその後も巻き返せず上位の西鉄南海阪急毎日4球団の牙城を崩すことはできず、優勝の西鉄に29.5ゲーム差、4位の毎日に16ゲーム差を付けられて借金14の5位に終わり、2年ぶりのAクラス復帰はならなかった。投手陣は武智文雄が16勝、関根潤三が9勝など先発陣が健闘してチーム防御率を3点台前半(3.17)にとどめるも、打撃陣は相変わらずの貧打にあえぎ48本塁打で50本未満にとどまり、チーム打率も.226のリーグ6位と、不本意な結果に終わった。対戦成績では阪急、毎日に11勝11敗で互角だったものの、優勝の西鉄には5勝15敗2分、2位南海には5勝17敗と両球団に大きく負け越したのが響き、借金返済はならなかった。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー
1 木村勉
2 鈴木武
3 武智修
4 日下隆
5 小玉明利
6 大石雅昭
7 戸口天従
8 原勝彦
9 武智文雄
1956年パシフィック・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 南海 -- 毎日 -- 南海 -- 南海 -- 南海 -- 西鉄 -- 西鉄 --
2位 毎日 0.5 南海 0.5 西鉄 阪急 1.5 西鉄 4.0 南海 0.0 南海 0.5
3位 西鉄 2.5 西鉄 2.0 毎日 2.0 西鉄 3.5 阪急 7.0 阪急 9.0 阪急 10.5
4位 近鉄 3.0 阪急 6.0 阪急 2.5 毎日 7.0 毎日 11.5 毎日 12.0 毎日 13.5
5位 阪急 4.0 近鉄 10.5 近鉄 18.5 近鉄 19.0 近鉄 22.0 近鉄 27.5 近鉄 29.5
6位 高橋 10.5 東映 13.0 東映 21.5 東映 25.0 東映 34.0 東映 36.5 東映 39.5
7位 東映 11.5 大映 17.5 高橋 23.0 高橋 29.5 大映 40.5 大映 41.0 大映 41.0
8位 大映 12.0 高橋 18.5 大映 24.5 大映 30.5 高橋 41.0 高橋 46.0 高橋 45.5
1956年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 西鉄ライオンズ 96 51 7 .653 優勝
2位 南海ホークス 96 52 6 .649 0.5
3位 阪急ブレーブス 88 64 2 .579 10.5
4位 毎日オリオンズ 84 66 4 .560 13.5
5位 近鉄パールス 68 82 4 .453 29.5
6位 東映フライヤーズ 58 92 4 .387 39.5
7位 大映スターズ 57 94 3 .377 41.0
8位 高橋ユニオンズ 52 98 4 .347 45.5

[1]

オールスターゲーム1956

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ファン投票 選出なし
監督推薦 武智文雄

できごと

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選手・スタッフ

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[2][3]

表彰選手

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リーグ・リーダー
受賞者なし
ベストナイン
選出なし

脚注

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出典

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  1. ^ a b 年度別成績 1956年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年8月6日閲覧。
  2. ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 138 
  3. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7