PATA
PATA | |
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基本情報 | |
出生名 | 石塚 智昭(いしづか ともあき) |
生誕 | 1965年11月4日(58歳) |
出身地 | 日本, 千葉県千葉市 |
ジャンル | ロック、ヴィジュアル系、ハードロック、ヘヴィメタル |
職業 | ギタリスト |
担当楽器 | ギター |
活動期間 | 1980年〜現在 |
事務所 | 石塚屋[1] |
共同作業者 | X JAPAN、Ra:IN |
公式サイト | PATA Official WEBSITE |
PATA(パタ、本名:石塚 智昭(いしづか ともあき)、1965年〈昭和40年〉11月4日 - )は、日本のギタリスト。ロックバンド、X JAPANのメンバー[2]。千葉県千葉市出身。血液型はB型。ステージネーム(屋号)はPATAだが、hideやファンからは「石塚(大)先生」と呼ばれている。由来は、漫画「パタリロ!」の主人公である「パタリロ・ド・マリネール8世」から。同単行本の44巻にPATA本人が登場している。
来歴
[編集]- 1965年11月4日、千葉県で生まれる。父親は教師だった。
- 1982年、自身のバンド「BLACK ROSE」を結成。後に「JUDY」と改名。
- 1985年、JUDYが解散。しばらくは特定のバンドに所属はしていなかったようである。
- 1987年1月、ギターパートのヘルパーとしてX(X JAPAN)のレコーディングに参加。同年4月、ギタリストのISAOが事故で脱退となったXのライブに再びヘルパーとして呼ばれ、ライブ後にそのまま正式加入となる。
- 1989年4月21日、XのギタリストとしてCBSソニーよりメジャーデビュー。
- 1992年8月24日、XがX JAPANに改名。
- 1993年11月4日、アルバム『PATA』でBMG VICTOR/ariolaよりソロデビュー。
- 1994年と1996年、hide solo tourに出演。
- 1997年9月22日、X JAPAN解散を発表。
- 1997年12月31日、X JAPANがThe Last Liveを行い解散。
- 1998年2月21日、NoB(元MAKE-UPのヴォーカリスト)とP.A.Fを結成しシングル「LOVE & FAKE」でデビュー。
- 1998年、hide with Spread Beaverのツアーにゲストギタリストとして出演。
- 1999年5月1日、HEATH(X JAPANのベーシスト)とI.N.A(hide with Spread Beaver)と組んでトリビュートアルバム『hide TRIBUTE SPIRITS』にhideのデモテープを使った「CELEBRATION」で参加。
- 2000年秋、hide TRIBUTEで組んだheath、I.N.AとDope HEADzを結成。ラジオ番組でDope HEADzのヴォーカリストを募集するという企画を敢行。
- 2001年2月22日、Dope HEADzが新人ヴォーカリストJO:YAを加えシングル「GLOW」でUNLIMITED RECORDSよりデビュー。
- 2002年、鈴木享明(B/ex.TENSAW、The TOYS)と向山テツ(Dr/ex.Cocco, ex.RED WARRIORS)と共にRa:IN(ライン)を結成(サポートメンバーであったD.I.Eが2007年に正式メンバーとして加入)。
- 2003年3月、Dope HEADz活動休止。
- 2007年、X JAPAN再結成。
- 2007年10月22日、X JAPAN再結成イベント。アクアシティお台場にて「I.V.」PV撮影。
- 2008年3月28日-30日、東京ドームにてX JAPAN 3 DAYSライブ『攻撃再開 2008 I.V.~破滅に向かって~』開催
- (28日『~破壊の夜~』、29日『~無謀な夜~』(追加公演)、30日『~創造の夜~』)。
- 2008年5月3日 、Ra:INのメンバーとして、そしてhide with Spread Beaverのゲストギタリストとして、5月4日、X JAPANのメンバーとして、hide十周忌追悼ライブ hide memorial summit(多数のバンドやミュージシャンが出演のライブ))に出演。
- 2008年7月5日のパリ、8月2日の台北、9月13日のニューヨークのX JAPANの公演の発表後、世界各国から公演依頼が殺到し、2008年6月現在発表している以外の日本を含め、全世界を回る大規模なツアーを予定していたが、YOSHIKIの持病の頸椎椎間板ヘルニアと腱鞘炎が悪化したため、全公演の延期を決定。
- 2008年7月19日、出演したロック映画「attitude」が下北沢トリウッドにて封切り(後にDVD化リリース)。
- 2008年8月1日、目黒鹿鳴館で行われたDYNAMITE TOMMY監督の映画「attitude」上映記念ライブ「ROCK ALIVE」に"TOKYOYANKEES + PATA"名義で出演。TAIJIとの久しぶりの競演を果たす。
- 2016年1月15日、Ra:INのライブをキャンセルし、体調不良で入院する。2月3日には、YOSHIKIから大腸憩室炎と門脈塞栓症を併発していることが発表され、X JAPANのアルバムとライブ活動が延期になる。
- 2016年3月18日、SXSW 2016でのYOSHIKIのスピーチにて、退院したことが明らかにされたが、8月に手術のため再入院し、8月10日に自身のフェイスブックで退院を報告[3]。
- 2023年、hide with Spread Beaverの約25年ぶりのライブを行った。
- 2023年11月、The LAST ROCKSTARS「PSYCHO LOVE」東京公演にゲストとして参加した[4][5][6]。
- 2024年、初の自伝『PATA 酔っ払いの回顧録』をリットーミュージックより発売[7][8][9][10][11]。
人物
[編集]- X JAPANメンバーの中で最も温厚な人物として知られる。ファンからは本名をもじって石塚先生と呼ばれている。
- かなりの酒豪としても知られており、酒にまつわる逸話や伝説が多いX JAPANにおいて、酔っても暴れたりすることも無く静かに酒を嗜み、かなりの酒量を呑んでも素面の時と変わらないと言われるほどで、X JAPANのメンバー、関係者、ミュージシャン仲間の間でも「一番酒が強いのはPATA」といわれている。また、hideを酒好きにした当事者でもある。1996年に開催されたhideのソロツアーでは、トーク中にhideから「野球とビールと石塚智昭」と紹介された。
- インディーズ時代の数々の伝説を残したライヴの打ち上げでも、周囲の騒乱は一切無視で、その脇の方で静かに酒を嗜み、いつのまにかそういう騒乱を面倒に思うバンド仲間達がPATAの周りに集まり、荒れ狂う周囲を余所に酒を飲み続けていた。
- その酒豪っぷりから、ビールにワイン、バーボンetc・・・と、苦手な酒種は無いと言われる程だが、近年は麦焼酎の緑茶割を好んでおり、ビールは昔からサッポロを好んでいる。
- 「メシと酒は両立しない!」と、酒を呑むときは別で食事を済ませ、それから飲み屋などへ行くことが多い。PATA曰く「食事の時は酒より水かお茶の方が好き。洋食みたいに肉とワインは良いと思うけど、酒を呑んでる時はちょっと味の濃いツマミがあれば嬉しい」と言うように、飲酒の際は殆ど食べ物を口にしない。なお、自宅ではほとんど酒は呑まないという。
- インディーズ時代から「素面でライヴをした記憶があんまり無い」と言う程だが、過去に素面でライヴをした際、真面目に弾いているのにも関わらず、演奏ミスを頻発し、これはビールでも呑んで多少リラックスした方が良いのかな?と、適度にアルコールを摂取するようになったという。ただし、呑みすぎるとステージパフォーマンスに支障が出るため、あくまで適度に!との事。
- 呑み仲間、吞み友達は幅広く音楽業界に留まらず、お笑いコンビライセンスの井本貴史もその一人で、一緒に飲み屋をハシゴしたり、夜店で一緒に型抜きに興じるなど仲が良い。
- 酒はX加入時の時点で既に酒豪の域だったそうだが、煙草を覚えたのは意外にも遅く、Jealousyのレコーディングで渡米した時であった。
- ゲームも好きで、所謂アクション系やFPS等の操作が忙しいジャンルではなく、RPG系をまったりと遊ぶのを好む。特にドラゴンクエストシリーズを好んでおり、1度始めるとのめり込んで連絡がつかなくなる。後輩であるLADIESROOMのGEORGE曰く、「あの人ドラクエが発売されると、完璧にクリアするまで電話絶対出ないの。で、全部クリアしたら俺にメールがあるの。」というほど。
- 音楽的なルーツとしてはビートルズから始まり、その後は60年代後期-70年代のハードロックを聞くようになり、特にJeff Beck、Cheap Trick、Deep Purple、Led Zeppelinといったアーティストを愛聴していた。その後80年代に入るとSaxonやTygers of Pan Tang等のブリティッシュメタルも好むようになり、X加入後は似たようなバンドが好きだったHIDEとよく音楽談義をしていたそうだが、美しいツインギターのハーモニーやサビのメロディ、楽曲の構築がしっかりしたIron Maidenのようなバンドを好むHIDEと、上記に挙げたバンドのようにツインギターに拘らず、リフやリズムが前面に出てくるバンドを好むPATAという、微妙にバンドの好みが違う2人は時々「サクソンとメイデン、どっちがどうだ・・・。」等、好みのバンドで意見が対立することもあった。PATAは当時を振り返り、派閥争いではないが「昔はそういうのあったじゃないですか(笑)。」と懐かしんでいた。
- 中学時代にCheap Trickのギタリストであるリック・ニールセンに憧れたのがギターを始めた切っ掛けで、最初のギターは妹が持っていたアコースティックギターである。最初にコピーしたのは本人の記憶では「Cheap Trickのドリームポリスあたりの曲じゃないかな」とのこと。なお、このアコースティックギターは今もPATAが所有している。
- 最初のエレキギターは雑誌の通販広告に掲載されていた安価なエクスプローラーのコピーモデルであった、憧れのリック・ニールセンがエクスプローラーを使用していたため同じのを選んだと言う。カラーもリック・ニールセンと同じサンバーストカラーを選んだそう。ただ当時は今ほど安価なギターの作りは良くなく、オクターヴチューニングは合わない、フレットの処理も良くない、ネックも丸太のように太く扱いにくいギターであったという。このギターは実家の引っ越しの際、PATAの知らぬ間に処分されてしまったようで、既にPATAの手元には無い。
- 次に購入したのがトーカイ製のストラトキャスターのコピーモデルで、元Deep Purpleのギタリストであったリッチー・ブラックモア(当時はRAINBOWのギタリストとして活躍)に影響を受けていた時期であり、時代的にもエレキでハードロックをやるならば、リッチー・ブラックモアのギターはコピーしなければいけないという風潮もあり、ストラトモデルを購入したという。
- 高校時代も相変わらずリッチー・ブラックモアが1番のお気に入りで、「誰が何と言おうとリッチー・ブラックモアだった。ほかにもマイケル・シェンカーとか好きなギタリストはいたけどリッチーがダントツだったな」と言うほどで、ポスターも山ほど所有していたという。ただ、ルックスやギタープレイ、ステージアクションは大好きであったが、リッチー・ブラックモアの破天荒な性格に関しては、「あの性格は真似しようにも真似できない、あの人こそパタリロっぽいと思う。」と言っている。
- 「本業は巨人ファン、バンドは副業、アルバイト。」と言うほどの熱狂的な読売ジャイアンツのファンで知られる[12]。X時代、ロス滞在中は、毎日FAXで巨人戦の試合結果を送らせていたとのこと。初の東京ドームライブの際、前日に行われていた巨人・広島戦で終盤にもつれず僅差で巨人が敗退したことから機材の搬入が速やかに行われたため、これをスタッフが喜んでいたところ、「何が嬉しいんだ!」と本気で激怒したために、スタッフを戦慄させた[13]。なお、当日の試合は飲み屋のTVで観戦していたそうで、普段野球に全く興味の無いHIDEも機材搬入と設営が遅れるから早く終わってくれと願いながら試合を見ていたという。
- 少年時代からの1番のスター選手は篠塚和典で、篠塚氏が巨人入団する以前、銚子商業2年生時から応援していた。
- 近年のジャイアンツの注目選手は吉川尚輝で、派手にホームランを量産する長距離打者よりも、走攻守が揃った、所謂いぶし銀と呼ばれる職人タイプの玄人好みな選手を好んでいる。
- これまでXファンの間ではPATAのジャイアンツファンっぷりは有名であったが、2019年に日本テレビの有吉×巨人に出演して以降、近年ではスポーツ紙にジャイアンツ関連の取材を受け記事になったり、ジャイアンツのオフィシャルオンラインショップでPATAお気に入りグッズの特集が組まれるなどし、一般の野球ファン、ジャイアンツファンにも徐々にPATAのジャイアンツファンっぷりが浸透してきている。
- また猫好きとしても知られ、過去に「こてつ」と名付けた猫を飼っていた。現在は猫は飼ってはいないが、相変わらず猫好きで、自宅から飲み屋までの道中の野良猫の相手をすることもある。
- バンドには愛着を持っており、解散のきっかけとなったToshiには辛辣な態度をとっていた。
- 同じメンバーのhideと仲が良く、hideのソロ活動の際ツアーに同行した。その一方で、ロス滞在中にhideが運転する車に同乗した際、hideが道路を逸れ森に突っ込み、崖を登る危険な運転をしたために、「松本(hideの本名)、お前いい加減にしろ!てめえ、本当に止まれ!」と激怒し、これにはhideも流石に大人しくなったとのこと。PATAが本気で声を荒げて激怒したのは前述の巨人敗戦の時とこの時だけと言われ、ファンの間でも語り草になっている。
- X加入後、メンバー全員が金髪であったため、「同じような色にするのもなぁ・・・。」と思ったPATAは一人だけ大胆に真っ赤に染めた。この時の染髪は後輩であるTOKYO YANKEESのNORIの手によるもの。なお、初期Xにおいて赤髪のモヒカンヘアーのイメージが強いPATAだが、インディーズ時代は片方だけ剃り上げて髪を立てており、完全なモヒカンになったのはメジャーデビュー時である。それもモヒカンにした当日は朝8時まで酒を呑んで酔った状態で、PATAは当時を振り返り「片方剃ってるんだから、両方剃っても一緒だろう。」というノリと、赤毛のエクステが欲しかったHIDEに上手く乗せられて唆されたとのこと(デビュー期に髪を立てたHIDEの髪の赤毛の部分は、その時に剃り落とされたPATAの頭髪を使用したエクステである。)。意外にもモヒカンの期間は短く、メジャーデビュー期からROSE&BLOOD TOURの前半頃までと、実質半年程度の期間であった。なお、インディーズ時代からメジャーデビュー後の髪を立てるのを止める頃までは、プロのヘアメイクなどは付けず、TOKYO YANKEESのNORIにほぼ専属でローディとしてライヴに来てもらい、髪の毛を立ててもらっていた。
- 蕎麦アレルギーである。長野に仕事で行った際、駅に降りた直後からくしゃみや鼻水、涙が止まらないという事態に陥り、危険を感じたとのこと。幼少の頃からそばを食べると体調を崩していたが、まだ当時は食物アレルギー自体が一般に浸透しておらず、また、蕎麦アレルギーがあることを本人も両親も知らず、母親に「年を越せないから1本でも良いから食べなさい。」と、無理矢理年越しそばを食べさせられ、年始は寝込むこともあった。その後、医療機関にて蕎麦アレルギーが判明したという。
- 上記の通り、食物アレルギーがまだ一般的に認知がされていない時代であったため、当初XのメンバーもPATAの蕎麦アレルギーに対して懐疑的な見方をしていた。しかし、札幌市で蕎麦アレルギーに罹患した児童が誤って給食で出された蕎麦を食べてしまったことにより亡くなり、後に裁判にまで発展した事故が発生し(この事故をきっかけに食物アレルギーが一般に認知されるようになった)、連日報道されていたのを偶然テレビで見たHIDEは、慌ててPATAに謝りの電話を入れた。
- 蕎麦アレルギー以外にも喘息持ちであり、Jealousyのレコーディングのための渡米直前に重い風邪と喘息を伴う重い気管支炎を起こし、予定より渡米が1カ月以上遅れた。この間は1度も飲みに出歩くことも無く約1か月間の間寝込んでいた。
- アレルギーのある蕎麦以外では、それほど食に関しての好き嫌いは多い方ではないが、シソ、セロリ、春菊が嫌い。中でも調理してあれば食べれるというシソとセロリに対し、春菊に関しては「葉っぱの中で最強に嫌いかも知れない。鍋料理でシソの欠片がくっついてたり、寿司で挟まってたりするでしょ?あれは食っても大丈夫だけど、春菊は1ミリでも鍋料理のとき白菜にくっついてたら不味いと思う。」というほど。
- かつて雑誌のインタビューなどで好物を聞かれると、よく出てきたのがラーメンと吉野家の牛丼である。現在もしているかは不明だが、自炊を苦にせずロサンゼルス滞在中は週の半分は自炊していた時期もあり、どちらかというと外食より自炊の方が好きと言うほどで、ものぐさなイメージのあるPATAだが、意外にも料理は嫌いではないという。家にある材料で適当に作るから・・・とはいうものの、レパートリーがあまり無いからと、料理本を見ながら出汁を取ったりするなど下拵えもちゃんとする入れ込み様で、作れるメニューも簡単な中華や炒め物からパスタまでと意外にも幅広い。ただし、煮物などの繊細で手間と時間がかかる和食系は無理とのこと。PATA本人曰く「(Xの)メンバーの中でたぶん一番一人暮らしでも困らないと思う。」とのこと。
- 小学生の頃に左手薬指を突き指し、そのまま放置していたため、靭帯が伸びきってしまい関節の軟骨が出て上手く曲がらなくなっている。そのため、薬指と小指の間があまり開かずギタープレイに多少支障がある時もあるが、ギターを始めた時から既にそういう状態であったため、本人は特に気にはしてない様子。なお、完治には外科手術をするしか無いようで、本人は「やだよ、手術なんかするの。」とのこと。
- X JAPANの作品も含め、自身が参加したアルバムを持っていないことが多い。これは作品に思い入れが無いということではなく、現代ではCDも含め音源を入手しようと思えば簡単に入手が可能で、わざわざ急いで入手して手元に置いておく必要性を感じないため。ただしBLUE BLOODやVanishing Visionといった80年代作品のアナログ盤は所有している。
使用機材
[編集]ギター
多数のギターを所有しているが、ここでは代表的なものを紹介する。
- 通称「ハゲ」。元々のゴールドトップの塗装を剥がしたままのルックスのため「ハゲ」と呼ばれる。
- 2010年代〜2020年代ではメインギターとして使用されていた。2024年現在はサブギターの地位に収まっている。
- 元々はレコーディングでロサンゼルスに滞在していた時に、長年PATAのギターテックをしている斉藤透氏が現地の楽器店で自分用に購入した物。借りて使用しているうちにネックの握り心地や音が気に入ったため、暫くの間X JAPANのライブで使用していた。借りている内に手放せなくなるほど気に入ってしまい、当時PATAが所有していた別のレスポールと交換してもらい、正式にPATAのギターとなった。
- 購入当時、ボディバックやネックまでゴールドに塗られたオールゴールド仕様のゴールドトップであったが、ボディの右腕が当たる部分の塗装がボロボロで、更にボディバックとネックは前所有者がスプレーで塗装したようで仕上がりはお世辞にも良いとはいえず、塗装を全て剥がし新たにゴールドトップで塗装しようとしたところ、PATAが「そのまま(剥がしたまま)がカッコイイ」と言ったため再塗装はされなかった。
- ボディのトップ、バックとサイド、ネック裏、ヘッド裏と、ほぼ塗装されている全面が剥がされているが、木部が露出するように完全に剥がされているのではなく、塗装の下地のシーラー部分だけを残す形で塗装を剥がされ、湿度による影響を抑えるためにオイルフィニッシュになっている。
- この年代のレスポールはブリッジがストップテイルピース(スタッドブリッジ)にピックアップはシングルコイルのP-90(ソープバー・ピックアップ)という仕様が標準であるが、購入した時点で既にピックアップはハムバッカーに、ブリッジは通常のチューン・O・マチック仕様に改造された所謂「レスポールコンバージョン」と呼ばれている仕様になっており、更にネックも本来は1958年以前のレスポールは、個体差はあるものの、かなり極太のネックが多く見られるが、購入した時点で既に薄く削られリシェイプされており、PATAは「俺、手が小さいんでちょっと細めで弾きやすくて、音もシックリ来るんで手放せなくなった」とのこと。
- 購入時のピックアップの機種は不明だが入手後にフロントにオリジナルP.A.F、リアにトムホームズH450を載せて使用した後、現在はフロントはオリジナルP.A.Fのまま、リアはトムホームズH453に交換されている。
- 所謂「バースト」と呼ばれる58 - 60年製以前のレスポールモデルは、ボディトップのメイプルに派手な虎杢が無いプレーンな材が使用されることが多いとされているが、この個体は派手な虎杢のメイプル材が使用されており、かつてメインだった1号の59年レスポールに負けないほどの虎杢が出ている箇所がある。
- 前所有者により交換されていたチューン・O・マチックブリッジだが、ブリッジの高音弦側のスタッドボルトの位置が通常のレスポールよりややピックアップ側に寄って取り付けされていた。長い間そのまま使用していたが、2017年頃に取り付け位置を修正し、元々スタッドボルトがあった位置も綺麗に埋木処理を施し、現在は通常のレスポールとほぼ同じ位置にブリッジが収まっている。
- ジャックプレートはヴィンテージやヴィンテージ仕様の角ばったスクエア型ではなく、現行モデルの角に丸みのある物に交換されている。
- 本人曰く「意外にパワフルなんですよね、おじいちゃんの割には、で、10歳年上なんですけど、中々、10歳年上の割には相性が良くて(笑)」「歪みとかきめ細かくて綺麗な感じがする、肌に合うというか、ちょっとシャキーンとした部分があって、コードが綺麗に出そうな感じで気に入ってる」とのことで、かなり気に入っている様子が窺える。
- 59年の「1号」と比べると、少し粗めのサウンドだという、恐らくこれはリアに搭載しているトムホームズ製ピックアップの「オリジナルのヴィンテージP.A.Fより少し出力が高く、パワー感があって派手目なサウンド」と言われている特徴が出た結果だと思われる。
- X JAPANのライブでは「Rusty Nail」や「WEEK END」(後期ライヴ・バージョン)等のノーマルチューニングの曲で使用され、X以外の活動においても基本的にレギュラーチューニング用のメインギターとして使用されている。
- 2024年現在、メインギターとして使用している。
- 現在使用されているギターの中では最古参のギターで、PATA本人曰く「コイツはですね・・・付き合いが長くてですね、えーと・・・そうだなぁ18歳ぐらいの時かなぁ・・・そん時からず~っと一緒にいますね」
- Xに加入する以前、当時の所有者だった知人がギタリストからベーシストに転向することになり、「ローンの続きは俺が払うから」と、譲って貰い入手した物である。
- 通称「常務」、由来は長年スタジオやライヴ会場といった音を出す現場において、常にいつでも音を出せる完璧な状態で準備され、常に務めていることから。
- PATA本人は「常務」と呼び捨てにはせず、「常務さん」や「常務君」と親しみと愛情を込めた呼ばれ方をしている。
- レコーディング時に音作りで行き詰まった時に使うと解決することが多いそうで、PATA曰く「いつもレコーディングとかで何故か・・・うん、音に煮詰まった時にコイツを出すと、何故か解決したりとかするんですよね、だから相変わらずもう、全然手放せなくて、それこそ今だったら、そうだなぁ・・・ほぼ半メインぐらいで相変わらず使ってて・・・」とのこと。
- ピックアップは「その時その時で好きなのを載せている。」と、実験的要素も含め、これまでかなりの頻度で交換されており、以前はセイモア・ダンカンのSH-11カスタムカスタムやSH-4 JBを載せていた時期もあったが、上記のハゲと同様、X JAPANのLast Liveの頃はリアにトムホームズH450が載せられ、現在はフロントにナンバードP.A.F、リアにトムホームズH453で落ち着いている。
- X初期の頃から90年頃までメインで使用されていたが、それ以降は1959年の「1号」にメインギターの座を譲り、主にTV出演時やレコーディングで使うことが多く、表舞台での使用頻度は少なくなったが、再結成時の「I.V.」のPVでも使用されている。
- 何度もフレット交換がされ、ブリッジ等も交換され、ペグもゴトー製に交換されており、オリジナルのハードウエア部品はほとんど残っていないといわれている。現状、PATA本人もどこまでが交換された部品で、どこまでが純正のままの部品なのか把握しきれていない状況になっている。またネックが2回折れており、そのリペアの際にヘッド裏のシリアルナンバーも塗装で塗り潰されて消えてしまい、現在はシリアルナンバー不明となっている。
- シリアルナンバーが不明なことから、近年はギター雑誌等の紙面では73年製と表記されたり年式がはっきりしない年代不明な扱いを受けることが度々ある、PATA本人の記憶では72年製と明言されている。
- 59年の「1号」がライブで使用されなくなって以降、半音下げチューニング用のメインギターの座に返り咲いている。
- 音の特徴としては、「カスタムだからなのか分からないが、コイツ(ハゲ)に足りないゴツさみたいなのがある」とのことで、近年はレコーディングの現場においてはオールマイティーに使える上記のハゲに対し、そのゴツさが求められる1音下げやドロップD等のダウン系のチューニングを用いるヘヴィな曲で使用される頻度が高い。
- メインとして使っていた愛用ギター。シリアルナンバーは「9 0299」通称「1号」。これは、Xのアルバム「Jealousy」のレコーディングで滞在していたアメリカで2万ドルで購入(当時のレートで日本円にすると約270万円)。1958年から1960年製のギブソン・レスポールスタンダード(通称BURST)は全てのエレキギターの中で最も価値が上がったヴィンテージ・ギターで(2020年現在では数千万円)、店員によると、以前の所有者も有名なギタリストであったらしい。ピックアップは、オールドP.A.Fの中でも特に希少価値の高いゼブラカラーとリバースゼブラカラーのものが搭載されている。
- 当初このギターはグローバー製のペグに交換された状態で販売されており、純正ペグに戻して使用されている。現在もヘッド裏にはグローバー製ペグが取り付けされていたネジ穴が残ったままになっている。
- 本人の記憶によると、購入したのは渡米して間もない、まだ「Jealousy」のレコーディングに入る前の90年の12月-91年1月頃で、貯金のほとんどを注ぎ込んで購入したそうで、当初ロサンゼルス滞在中に気に入ったギターがあったら数本買うつもりでいたのが、このギターを購入したために他のギターの購入資金が尽きてしまい、結局滞在中に購入したギターはこの59年と後述のオールドマーティンともう1本別のレスポールの計3本のみだった。
- 楽器店の店主に「今日入った良いのがある」と、このギターを見せられ、試奏もしたが、その時はその場で即決できず、1度店を出て斜め向かいのレストランで食事をしながら「なんか、やっぱり欲しいような気がする」「今買わないと後悔する気がするな」と購入を決意し、日本へ電話で貯金残高の確認と送金をお願いし、購入に漕ぎ着けた。
- 日本から送金してもらったお金を銀行で2万ドル降ろし、現金一括で購入した。楽器店があった場所はPATA曰く「100ドル札1枚でも襲われるかも・・・」という治安の地区だったようで、2万ドルもの札束を懐に抱え楽器店を訪れたPATAは、そのままお店の裏の事務所に通され、厳重にドアに施錠までされ、そこでお金を支払い、ギターを受け取ったという。ギタースタイルも豪快ならばギターの買い方も豪快である。なお、銀行でお金を降ろす際、これほどの大金をキャッシュで一気に降ろす人は珍しいのか、全く関係の無い銀行員まで集まって来てしまい、銀行内がちょっとした騒ぎになった。
- PATAはライブでもメインギターとして使用していた。HIDEも1959年製のレスポールを所有しており、こちらはシリアルが「9 0297」と、PATA所有のレスポールとは製造時のシリアルが2番違いで、この2本はほぼ同時期に制作されたものである。HIDEは主にレコーディングでのみ使用していたが1993年末のX JAPANのライブにおいて一度だけ2人で1959年製レスポールを揃えて持ち、「Joker」を演奏したことがある。
- X JAPANのライブでは半音下げチューニングの曲で使用(X時代はほとんど全ての曲が半音下げチューニングのため、ライブではこれ1本で通すことも多かった)。
- またの名を「本妻」。レコーディングなどのギターチョイスの際、まずこの59年製スタンダードが基本にあり、違う音が欲しい時はカスタムなどほかの物に手を付ける。それでもしっくり来なければ、最終的にこのメインに戻ってくることから。
- ツアーなどの移動で機材を運ぶ際にも、人に任せず自分で持つほど慎重に扱っていた。また、東京ドームでの2DAYSライブ等でも、1日目終了後は会場から持ち帰り、2日目にも自身の手で搬入していた。
- 2010年以降のライヴでは使用することが無くなった。前述のとおり搬入も人任せにできず、非常に高価で保険がかけられないなどの価値のため、外に持ち出すのはやめ、現在はレコーディングと自宅で弾く用のギターとなり、事実上ライヴステージの現場からは完全に引退した。
- 現在、レコーディングで使用する際は、基本的にリズムギターは上記のハゲや常務で録音し、この59年は主にリードパートの録音で使用されることが多い。
- 長きに渡りステージやレコーディングのメインギターとして酷使されたギターだが、小さな擦り傷や打痕、エスカッションの抉れといった使用感はあるものの、ボディのトップ、バック、ネック共にそれほど大きな打痕や塗装の剥がれも無く、ボディバックの上部(ベルトのバックルが当たるくらいの箇所)に塗装の剥がれが見られる程度で、使用頻度の高さの割には綺麗な状態を保っている。このことからも常日頃から運搬や扱いに細心の注意を払い、大切に使用されていたことが窺える。
- ステージ袖に置いてあった際にYOSHIKIがウォーミングアップで振り回してPATAは青ざめながらも怒らなかったが、周りは唖然としたらしい。
- YOSHIKIは2016年6月頃、「2000万円くらい」と語っていた。SUGIZOは「今の価値は5000万円くらい」と発言している。[14]
- P.A.F時代の98年頃にテレビ番組に出演した際、このギターの値段について「世田谷区に家が建つ」と言われたことがある。当時はまだ現在ほどヴィンテージレスポールの価格は高騰しておらず、あくまでテレビ向けの少々オーバーな表現であったが、20年以上経った現在では、本当に一軒家が建つほどの価格にまで高騰している。
- ヴィンテージギターのコレクターやマニアの間でもPATAとこのギターの存在はよく知られているようで、過去にLA滞在中に「持ってるのはコレでしょ?」と写真を見せられ「そう、これこれ」というやり取りをしたこともあった。
- 通称「2号」。シリアルナンバーは「9 0426」。日本で購入。購入時からゴールドカラーのグローヴァー製チューニングペグに交換されている。ピックアップはカバード。1号より弦のテンションがややきつめとのこと。
- ライブではバックアップ用のサブとして用意されることが多い。
- 家で弾くことが多かったが、実家にギターを預けておいた際、事故でネックを折られてしまったことがある。
- 2024年現在、すでに手放している模様。
- 1994年頃(93年6月頃と紹介している書籍あり)に入手。通称「3号」。入手時は鮮やかなチェリーサンバーストだったが、ほどよく褪色してきている。ゼブラカラーのP.A.F.を搭載しピックアップカバーは外されている。ボリューム・トーンノブは、メタルキャップのトップハットノブ。チューニングペグはギブソン社が1960年から採用したクルーソン320VP2コブタイプ。ほとんどオリジナルコンディションを保っている。
- 2024年現在、すでに手放している模様。
- 90年代中頃にフェルナンデス側から「良いコリーナ材がある」と言われ、特注して作ってもらったギターである。ピックアップはフロント・リア共にトムホームズH453を搭載している。(このギターを弾いたhideが音色を気に入り、ボディーシェイプ以外は全く同じ仕様の通称くじらを作ってもらい、レコーディングなどにも使用した)。市販モデルとして廉価版のEX-85Pと本人同仕様モデルのEX-240P(コリーナは希少材のため、ボディの材はホンジュラスマホガニーが使用されている)の2種類が販売されていた。
- ギブソン1958年エクスプローラーを模して製作されたギターで、更に「まんまじゃ面白くないかなと思って。」という理由で、ヘッド形状が通常のバナナヘッドではなく、極初期に少数生産されたプロトタイプ(フューチュラ)と同じスプリットヘッドを採用し、メーカーロゴもプリントや埋め込みインレイではなくオリジナルと同じレイズドロゴと呼ばれるプレートタイプのロゴを採用するなど、ヴィンテージギターを好むPATAらしい実にマニアックなスペックとなっている。スプリットヘッドの仕様上、1弦と6弦の巻き方が他弦とは逆になっている。
- コントロール部もオリジナルのエクスプローラーと同じ2ボリューム1トーン、3Wayトグルスイッチの構成だが、リアピックアップのボリュームとフロントピックアップのボリュームの配置を逆にし、リアボリュームが1番手前に来るレイアウトに変更されている。これはリアピックアップの使用頻度が高いため、リアピックアップのボリューム調整がしやすいように操作を行う右手に近い手前側に配置させるために施された改造である。
- X JAPANのライブではドロップDチューニングの「SCARS」「Born To Be Free」で使用。
- 1964年製フェンダー・ストラトキャスター
- 昔はジェフ・ベックやCharなどに惹かれ、ムスタング、ジャズマスターなど、フェンダー製ギターも何本か所有している中のメイン・ギター。
- 過去にジェフ・ベックモデル等も所有していたが、今現在PATAが所有している唯一のストラトキャスターである。
- 特に改造などもされておらず、レコーディング専用機となっている。
- ボディーカラーはバーガンディ・ミストと呼ばれるメタリックな光沢のある薄紫色で、スモールヘッドにローズウッド指板という仕様で、ストラトにしては異常に音が太く、所謂高音が強く鋭いストラトキャスター特有の音は出ない。
- 初のソロ・アルバム『Pata』では、意外にもレスポールよりもストラトの使用頻度が高かったとのこと。アルバム発売当時の雑誌「GIGS」の表紙は、珍しくこのストラトを持ったPATAの姿だった。
- かねてよりバーガンディ・ミストのカラーリングが奇麗だなと思っていたところに、代理店経由で中古を売りに出したい人が居るという話をもらい購入したもの。
- かつて所有していたジェフ・ベックモデルのストラトキャスターも同じバーガンディ・ミストで、「ART OF LIFE」のレコーディングでhideに貸し出され、イントロのアルペジオに使用された。このモデルをいたく気に入ったhideは後に同じモデルの色違い(hideが購入したのはホワイトカラー)を購入し、写真等を切り貼りしてオリジナルなルックスに改造してしまい、それを見たPATAは「俺のじゃなくて良かった」と思ったという。
- C.F.マーチン・アコースティック・ギター
- 主にレコーディングで使用。1920年代に作られた物で、木も乾ききっていて、非常に枯れた味のある音色をしている。X時代の『Jealousy』に収録されているPATA作曲の「White Wind from Mr.Martin ~Pata's Nap~」のギターはこの音。
- 本人の記憶では購入したのは91年4月の終り頃。この数ヶ月前に1959年の「1号」を購入したために、他のギターを購入する資金が尽きた状態だったが、このギターだけは以前から欲しいと思っていたため、どうにかお金を工面して購入した。
- 自宅で弾く用に軽量で扱いやすいSG等のギターが欲しいと思い、探していた時に偶然見つけたワインレッドカラーのレスポールカスタムである。
- 「そういえばワインレッドのレスポールは持ってないな。」と、半ば衝動買いであったという。
- PATAが所有しているレスポールは比較的重量が軽めの個体が多いそうだが、この個体は購入したは良いものの、所有してるレスポールの中でダントツで重量が重く、長時間の使用は体力的に厳しいという事で、ライヴではXJAPANの「JADE」等、1,2曲程しか出番が無い。
- 本人曰く「軽いギターを探してたはずなのに・・・」と、本末転倒っぷりを自虐気味に著書で語っていたが、音は気に入ってる様子である。
- ピックアップは他のレスポールと同じくリアにトムホームズH453が載せられている。
- その他
- X JAPANのステージでアコースティック・ギターを演奏する場合は、最初の解散まではオベーションのエレアコ、2008年の再結成時にはタカミネのエレアコを使用していた。
- 2017年のアコースティックライヴ時は68年製C.F.マーチンD-28ドレッドノート(タカミネTri-Ax2ピックアップ増設)、タカミネのDMP571MC-DC NS、タカミネのDMP700N、タカミネのEN-40Cを使用。
- PATA自身は基本的にエレキギターのプレイヤーで、アコースティックプレイヤーではないため、ライヴで使用するアコギ、エレアコは弾きやすさを重視し、少し低めの弦高にセッティングされている。
- X時代のフィルム・ギグでは、テレキャスターを演奏している場面があるが、当時は借り物であったという。
- 1993年の紅白歌合戦で「Tears」を演奏した際には、ギブソン・SGを使用した。
- ギブソン・SGのダブルネック(12弦・6弦)も所有。「ジミー・ペイジファンなので欲しかった」と語る。ジミー・ペイジ使用モデルと同仕様にブリッジを改造してある。ピックアップセレクターの位置、ボリューム・トーンノブの配置などがレスポールとは異なるため、「たまに使うとライブの際に、手順がわからなくなる」という。[15]
- 1997年の「THE LAST LIVE」では、最終曲の「The Last Song」の演奏の際、サスティナーを搭載したBurnyのレスポールタイプLG-CUSTOMを使用。フロントPUにはサスティナードライバー、リアPUはH-450。1996年の東京ドームライブにも同仕様の別カラーのギターが用意されていたがどの曲で使用したかは不明。
- 近年ではX JAPAN再結成後に入手したホワイトカラーの2008年製造のレスポールカスタム リイシューモデル等もステージで使用されており、これらも全てリアピックアップはトムホームズ製(恐らくH453)に載せ換えられている。
- 上記以外にもX以前から使用していたBurnyのレスポールモデルなど、所有しているエレキギターの多くがレスポール等、ギブソン系のギター(セットネックタイプでハムバッキングピックアップ搭載のもの)である。
- 90年代後半以降はトムホームズ製のピックアップを好んで使用している。トムホームズはアメリカで個人工房で展開しているピックアップブランドで、全てトム・ホームズ氏がハンドメイドで製作しており、大量生産ができないために市場での流通量も少なく、価格もピックアップ単体としては非常に高額であるのに加え、釣りが趣味の氏は釣りのシーズンになるとピックアップ製作を中断し、趣味に没頭してしまうため、非常にユーザー、代理店泣かせであるといわれている。一時は日本国内でも代理店があり高額ではあるが入手可能な状態であったが、代理店が撤退し中古品もほとんど市場に出てこず、更に現在はトム・ホームズ氏自身がほぼ製作の現場から引退し、少数オーダーメイドで受注生産を受け付ける程度で以前より更に生産数が少なくなったため、たまにオークション等に出品されると中古品にもかかわらず非常に高値で取引されている。
- 使用ギターにはストラップ脱落防止のためにジムダンロップ製のLOK STRAPを装着して使用している。ストラップピンを専用品に交換するタイプのロックピンと比較すると耐久性の面では劣るものの、純正のストラップピンにそのまま装着でき、ストラップ交換や脱着も容易なことから長年愛用している。なお、現在X JAPANでギターの相方を務めているSUGIZOも同製品を愛用している。
- X初期の頃から、時々気分でレスポール以外のギター(ギブソン・エクスプローラー等)をメインで使用する事はあったが、基本的にライヴが始まると極力ギターの持ち替えはしたくない、同じギターを弾き続けたいタイプのギタリストで、現在も複数のチューニングの都合により持ち替えが必要な場合を除けば、弦が切れるなどのトラブルが無い限りはギターを持ち替える事はほぼ無い。
ヴィンテージギターを多数所有しているが、〇〇年式という言い方はあまりせず、自分の年齢より〇〇歳年上、〇〇歳年下という表現をすることが多い、また、それら使用期間が長い、使用頻度の高いヴィンテージギターであっても、消耗部品や金属パーツ以外のボディやネックには、それほど大きな打痕や塗装の剥がれといった傷は見受けられず、普段からギターの扱いや手入れ、メンテナンスに気を配っている様子が窺える。
アンプ
- メインアンプは、マスターボリュームとセンド・リターン増設と中音域が太くなるように回路系を改造した68年製マーシャル1959と同じく74年製のマーシャル1959 MKII Super Lead 100W。BLUE BLOODのレコーディングの頃、ラック式アンプなども「一瞬だけ」試してみたこともあったそうだが、「一時、ちょっと違う物に手出したりしましたけど、パワーアンプと、何かプログラムできるような・・・(ラック式アンプが)やっぱつまんなくて、マーシャル出すと凄いホッとするんですね。何か、絶対もう(マーシャルに)帰ってきちゃうんで、1回2回くらいやって、もう他のアンプに手を出すことはやめようと、結局コレ(マーシャル)が好きなんじゃんっとか思って。」とのこと。基本的に前述のマーシャルを2台同時に鳴らしている。
- 2台同時に鳴らしている理由は、マーシャルアンプの特性として音量を上げて歪ませれば歪ませるほど、低音が濁ったりぼやけた音になり明瞭さが失われていく特性があるため、74年製で芯となるメインの音を作り、68年製で低音を強めのセッティングにし、そのぼやけた低音部を補正し、ボトム感や厚みを加えるという形にそれぞれ役割分担をさせ、2台の音をブレンドする形でサウンドメイクをしている。この使用法の副産物として力強く心地よい中音域も出せており、この中音域の太さもPATAのギターサウンドの特徴となっている。なお、この手法は90年代から今日まで一貫して変わっていない。
- 最初に入手したのは74年製で、当初このアンプは、中古で売りに出ていて既に買手も決まっており、購入者はローンの申し込みも終わっていた状態だったが、PATAがどうしてもこのアンプが欲しいということで、手続きをキャンセルして貰い入手することが叶った。購入時期は不明だが、1988年9月に京都スポーツバレーで行われたXのライヴの時には既に使用されており、BLUE BLOODのレコーディングでもメインアンプとして使用され、その後68年製も購入し、以降今日まで2台共ライヴ、レコーディングの両方で不動のメインアンプとして愛用されている。
- このマーシャル2台は昔から音楽雑誌等の機材紹介でよく登場していたが、74年製は90年代中頃までメーカーロゴの部分にHIWATTのプレートが取り付けられていた個体と同一の物である。
- 2台ともマスターボリュームが増設されているが、2台とも購入した時点で既に同様の改造がされており、PATA自身は購入後に特別な改造はしていない。
- キャビネットは90年代-X JAPAN再結成頃まではマーシャルのヴィンテージキャビネットを使用していたが、近年はFRIEDMAN 412 Vintage Cabinetを使用することが多い。
- 他アーティストのライヴにゲスト出演する時は借り物の他機種のマーシャルで済ますこともあることと、アコースティックライヴでエレキのサウンドを使用する場合は、バンドアンサンブルや音量バランスを重視し、音圧を抑えるために意図的に74年製1台で使用している。
- ライヴにおいてはサブアンプとしてFRIEDMAN JJ-100 Jerry Cantrell Signature HeadとマーシャルVintage Modern 2466をセットアップしている。
- マーシャルは歪み用のため、クリーンサウンドが必要な時はHIWATTの70年代製DR103 カスタム100を90年代から使用しているが、近年はライヴでクリーンサウンドを使用する機会が少ないためか、ライヴ機材から外されており、ライヴでクリーンが必要な場合は、ギター本体のボリュームを絞って若干クランチ気味のクリーンサウンドを出してプレイしている。
- 尚、BLUE BLOOD期にHIDEやTAIJIと共にPeaveyとエンドースメントを結んでおり、ステージ上にも同社のアンプが並んでいたが、あくまでメインは上記のマーシャルで、Peaveyはメインにトラブルが起きた時用のサブシステムのパワーアンプとして使用されていた。
- エフェクター
- エフェクターには拘りや興味はそれほど無いようで、過去に「あのですね・・・あんまり興味が無いんですよ、ある時ライブやっててソロの時だけ音量ちょっと上げてくんない?ってP.Aの人に言われたことがあって、それからちょっとソロの時だけ微妙に歪み足して、音量上げるように、プリアンプっていうやつですかね?が、噛まさってますけど、好きなのはフェイザーとワウぐらいかな、ディレイとか使い方イマイチ未だに分かってないような感じで…だからああいう空間モノのエフェクターって昔から興味が全く無いんですよ、いや確かに使ってると便利なモンだなぁとか、他人の聞いてても、あぁスゲェ!とかって思うんですけど、自分で弄れないんで…弄ろうとしてないだけですけどね(笑)うん、何かね、飽きちゃうんですよね、でもあれはいないと困るじゃないですか、だから要る(機材に組み込んでる)んですけどね」「できればマーシャルアンプ一個で鳴らせるような方が楽なんですが、そうもいかないようで(笑)」という発言を残している。
- その言葉通り、音に変化を与える用途のエフェクターといえる機材は、必要最低限に纏められており、フェイザー、ブースター、ディレイ、ワウペダル、ボリュームペダル、ワーミーペダル程度で、それも要所要所で必要に応じて使用する程度で、ほかにはノイズリダクションやバッファーアンプ、パラメトリックイコライザーといったノイズ除去やギターサウンドの補正を目的とした機材を間に噛ます程度に収めている。
- その時代時代でエフェクターの機種は変更されているが、基本的な内容自体は90年代からほぼ変更されていない。
- 「好きなのはフェイザーとワウくらい」と言う通り、フェイザーは90年代から一貫してロゴがスクリプト書体で書かれた70年代ヴィンテージの初期型MXR Phase 100を愛用している。
- ノイズリダクションはiSP Technologies DECIMATOR Pro Rack Gを使用しており、アンプで歪を作る特性上、どうしてもノイズが多くなってしまうためPATAにとって欠かせない機材の一つとなっており、様々なメーカーから様々な機種が出ている中、1番音に影響が少なかったという理由でDECIMATOR Pro Rack Gを使用している。
- リード用のブースターはCreation Audio Labs MK.4.23 Boostを愛用しており、使用時に余計な歪みを足したり、特定の音域をブーストしたりせず、純粋に音量だけを上げる特性があるため愛用されている。
- かつてはラックマウントタイプのエフェクター(主にディレイなどの空間系やサブ用のマルチ等)とコンパクトエフェクターの両方を組み合わせて併用していたが、現在ラックに入っているのは電源とワイヤレスと上記のサウンド補正用の機材のみで、メインのエフェクターは全てコンパクトエフェクターで構成されており、それも大きめのペダルボード1つに収まる規模で構成されている。
- 現在これらのエフェクターはプロビデンス製PEC-2(プログラマブル・スイッチャー)で一括管理されており、個々のエフェクターをON/OFFせずとも、スイッチャーのスイッチで全てのエフェクターの切り替えを行うシステムを組んでいる。ライヴではこのスイッチャーをPATAの足元に1台、ステージ裏でギターテックが操作するのが1台の計2台でサウンドを切り替えながら使用している。
- ライヴ時の切り替え操作は主にギターテックが行い、PATA本人はあまり行わず、ワウペダルの操作のみを行うことが多い。
- 弦とピック
- LA BELLA ( ラベラ )・HRS-M Nickel Rounds - Medium 010-048
- ジムダンロップ・NYLON STANDARD .73mm(エレキ用)
- ジムダンロップ・MAX GRIP STANDARD .73mm(アコースティック用)
本人曰く「弦はけっこういい加減で、ギターによって使うゲージが全然違う。」とのことだが、これは弦のメーカーやゲージは何でも良いという意味ではなく、ギターとの相性や弾き心地、チューニングによって弦を使い分け、一種類の弦だけを使用している訳ではないという意味である。
特に顕著なのがかつてメインだった59年レスポール1号とストラトキャスターで、59年の1号を入手したところ、他のギターよりも少し弦のテンションが緩く、それまで愛用していた010-046のゲージでは音程が安定せず、強くピッキングすると音程が暴れてしまうため、その対策として弦のテンションを稼ぐために太い弦に変更した。当初はダダリオの011-049というブルースギタリストが好むような極太なミディアムゲージの弦を使用してみたが、弦を太くしたために弦のテンションが強くなりすぎ、「たま~に体調不良になるとチョーキングがし辛いとか思ったことがあって・・・(笑)」という理由と、特に音程が暴れるのが6弦や5弦といった低音弦側であったため、ロサンゼルスの楽器店で弦を色々見て回り模索したところ、最終的に高音弦側はそれまでと同じ太さで低音弦側のみ一回り太いラベラ社の010-048の弦に落ち着いたという。
音はダダリオほど明るくないけど、アーニーボールよりチューニングが安定するし、ダダリオとアーニーボールの中間くらい?とのこと。
ストラトキャスターの方は基本的にレスポールよりも長いロングスケールで、構造上、通常の状態でレスポールより弦のテンションが強くなる作りのため、ダダリオ製の009.5-044という、通常の009-042と010-046との中間の太さの弦を張っている。
なお、本人の嗜好として本来はダダリオ製の弦を好んでおり、「ダダリオ以外のメーカーのがあっても,あんまり俺の好みじゃなかったりする。ダダリオはけっこう弦がキレイだよね。ライヴが続いても持ちがいいし。」とのこと。
010-048というゲージを扱っているメーカーは2019年現在でも非常に少なく、ラベラ社を含めても数えるほどしか存在しない。
本来PATA本人が好んでいるダダリオのラインナップにも無いことからも、選択肢の少ない特殊なゲージであるといえる。
ピックに関しては、元々は厚みのある硬いヘヴィのティアドロップ型のピックを好んでいたが、ART OF LIFEのレコーディングの頃から現在に至るまで、一貫してジムダンロップ社のナイロン製の薄めのミディアムのティアドロップを愛用している。かねてよりナイロンピックを使いたいという願望はあったが、当時国内では入手しにくかったという理由で使えずにいたが、活動の拠点がロサンゼルスになったことで入手しやすくなりナイロンピックに切り替えた。同じ厚さでも他の素材のピックと比べ、特に柔らかく耐摩耗性に優れ、アタック感は薄れるが中音域が強く出やすいという特性を持つピックで、このピックに関してPATAは「昔硬いの使ってたんですけどね、あの、結構角度によって硬さって変わるじゃないですか、ちょっと角度を斜めっぽく入れると変わるんで、最初の内はちょっとやっぱりリフとか速い曲とか弾き辛かったですけど、慣れてきたらピックの長さをちょっと変えたりとか、短く持てば硬くなるし、長く持てばべろ~んっつってやらしい音するし、なんで、以外に慣れてくると便利かな?と思って。友達でも(こんな柔らかいピックを使ってる人は)あんまりいないですね(笑)」と言っている。
その言葉通り、ライヴではキレのある速いオルタネイトのバッキングや速弾きのソロから、ギター側のボリュームを絞ったクランチサウンドを用いたストロークのカッティングやアルペジオ、曲間のソロコーナーでのルーズで泥臭いブルースライクなプレイなど、ピックの当て方、持ち方、弾き方に変化を付けて実に様々な音色を操っている。
なお、ナイロンピックを愛用している著名なギタリストに、マイケル・シェンカーやPATAが敬愛するジミー・ペイジ等がいる。
ディスコグラフィ
[編集]※X JAPANのディスコグラフィーはX JAPANの作品を参照
発売日 | 名義 | タイトル | 形態 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1993年11月4日 | Pata | PATA | スタジオ・アルバム | |
1994年4月21日 | Pata | Pata's Bootleg At Nissin Power Station Shinjuku | ライブVHS | |
1994年9月21日 | Pata | Fly Away | シングル | |
1995年1月21日 | Pata Project | SHINE ON ME | シングル | |
1995年7月5日 | Pata | Raised on rock | スタジオ・アルバム | |
1997年6月18日 | Pata | Char Tribute : Psyche - Delicious | コンピレーション | 9曲目にYou Keep Snowin'のカバーを収録。 |
1998年2月21日 | P.A.F. featuring Pata | LOVE & FAKE | シングル | |
1998年3月25日 | P.A.F. featuring Pata | Patent Applied For | スタジオ・アルバム | |
1998年10月21日 | Pata's P.A.F. | SLAPSTICK LIFE | シングル | |
1999年1月21日 | Pata's P.A.F. | THE BIG TIME | シングル | |
1999年2月24日 | Pata's P.A.F. | PAT. #0002 | スタジオ・アルバム | |
1999年5月1日 | I.N.A,PATA,heath featuring hide | hide TRIBUTE SPIRITS | コンピレーション | 14曲目にhideが生前に残していたデモ音源を使用した
Xの「CELEBRATION」のカヴァーを収録。 後にDope HEADzとなるメンバーによる。 |
1999年7月23日 | Pata's P.A.F. | Live | ライブ・アルバム | |
2001年2月21日 | Dope HEADz | GLOW | シングル | |
2001年4月25日 | Dope HEADz | TRUE LIES | シングル | |
2001年6月6日 | Dope HEADz | PRIMITIVE IMPULSE | スタジオ・アルバム | |
2002年5月16日 | Dope HEADz | Cafe Le PSYENCE-hide LEMONed Compilation- | コンピレーション | 6曲目にevening roseのshameヴォーカル版を収録。 |
2002年7月24日 | Dope HEADz | PLANET OF THE Dope | スタジオ・アルバム | |
2003年4月 | Ra:IN | The Border | シングル | ライブ会場限定販売 |
2003年11月7日 | Ra:IN | The Line | スタジオ・アルバム | |
2006年3月8日 | Ra:IN | BEFORE THE SIREN | スタジオ・アルバム | 台湾盤が2006年8月24日にリリース。 |
2007年8月 | Pata | PATA 直伝 IMPROVISATION GUITAR STYLE | DVD | ATDV-139 |
2007年9月1日 | Ra:IN | HARD RAIN & ROCKS LIVE | ライブDVD | |
2008年3月19日 | hide | PSYENCE A GO GO | ライブ・アルバム | hide solo tour 1996 『PSYENCE A GO GO』より、
代々木第一体育館での公演を収録。 |
2008年4月9日 | Ra:IN | METAL BOX | スタジオ・アルバム | |
2008年4月23日 | hide | HIDE OUR PSYCHOMMUNITY | ライブ・アルバム | hide FIRST SOLO TOUR '94
『HIDE OUR PSYCHOMMUNITY 〜hideの部屋へようこそ〜』 での横浜アリーナ公演を完全収録。 |
2009年 | Ra:IN | Circle/Psychogenic | シングル | 欧州ツアー会場限定販売 |
2013年12月18日 | THE PINK SPIDERS | hide TRIBUTE VII -Rock SPIRITS- | コンピレーション | 11曲目にピンク スパイダーのカバーを収録。 |
DVD
[編集]- 初の教則DVD『PATA 直伝 IMPROVISATION GUITAR STYLE DVD』(2007年8月20日)
著書
[編集]- 初の自伝「PATA 酔っ払いの回顧録」(2024年2月13日 リットーミュージック)[16]
関連項目
[編集]出典
[編集]- ^ 以前は「OFFICE GIANTS」という名称だった。これは自身が読売ジャイアンツファンであることにちなむ(日本テレビ『有吉×巨人』2019年5月9日放送分より)。
- ^ “X JAPAN エックスジャパン”. 音楽ナタリー. 2018年10月12日閲覧。
- ^ “「X-JAPAN」PATAが退院「工事完了!」大腸憩室炎などで手術”. スポニチアネックス. (2016年8月12日) 2016年8月12日閲覧。
- ^ “THE LAST ROCKSTARS、日本公演完走。サプライズゲストPATAとの「Rusty Nail」にも会場熱狂”. BARKS (2023年11月24日). 2024年3月9日閲覧。
- ^ “THE LAST ROCKSTARSの日米ツアー東京公演にPATAがサプライズ登場 YOSHIKIが涙声「集まってよかったなって…」”. 中日スポーツ (2023年11月24日). 2024年3月9日閲覧。
- ^ “【ライブレポート】THE LAST ROCKSTARS、サプライズゲストのPATA(X JAPAN)との「Rusty Nail」に会場大熱狂”. THE FIRST TIMES (2023年11月24日). 2024年3月9日閲覧。
- ^ “X JAPANファン必読、自伝『PATA 酔っ払いの回顧録』が発売”. YOUNG GUITAR (2024年2月6日). 2024年3月9日閲覧。
- ^ “X JAPAN PATAの自伝本『PATA 酔っ払いの回顧録』出版決定”. amass (2023年12月12日). 2024年3月9日閲覧。
- ^ “X JAPAN・PATA、初の自伝で怒とうの半生を回顧 近影撮り下ろしや愛用ギターの一挙公開も”. オリコン (2024年2月1日). 2024年3月9日閲覧。
- ^ “X JAPANの酔っ払いギタリストPATAが振り返る半生が1冊に hideとの思い出、X再結成とこれから│音楽ナタリー”. ナターシャ (2024年2月1日). 2024年3月9日閲覧。
- ^ “PATA、ほろ酔いで語りつくした自伝『PATA 酔っ払いの回顧録』発売”. スパイス (2024年2月14日). 2024年3月9日閲覧。
- ^ (日本テレビ『有吉×巨人』2019年5月9日放送分など)
- ^ なお、同日にYOSHIKIの「カレーが辛かった事件」が発生している
- ^ YOSHIKIチャンネル 2021年5月17日
- ^ PATA 直伝 IMPROVISATION GUITAR STYLE DVD
- ^ “PATA 酔っ払いの回顧録”. リットーミュージック (2024年2月14日). 2024年3月9日閲覧。
外部リンク
[編集]- PATA Official WEBSITE
- PATA (@PATA_Official_) - X(旧Twitter)
- PATA (PATAOfficial.Ishizukaya) - Facebook
- PATA (@pataofficial.ishizuka) - Instagram