コンテンツにスキップ

麻績村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おみむら ウィキデータを編集
麻績村
麻績村旗 麻績村章
麻績村旗 麻績村章
日本の旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
都道府県 長野県
東筑摩郡
市町村コード 20446-3
法人番号 1000020204463 ウィキデータを編集
面積 34.38km2
総人口 2,325[編集]
推計人口、2024年9月1日)
人口密度 67.6人/km2
隣接自治体 長野市千曲市東筑摩郡筑北村生坂村
村の木 コブシ
村の花 カタクリ
村の鳥 カッコウ
麻績村役場
村長 塚原勝幸
所在地 399-7701
長野県東筑摩郡麻績村麻3837
北緯36度27分22秒 東経138度02分43秒 / 北緯36.45608度 東経138.04519度 / 36.45608; 138.04519座標: 北緯36度27分22秒 東経138度02分43秒 / 北緯36.45608度 東経138.04519度 / 36.45608; 138.04519
麻績村役場
外部リンク 公式ウェブサイト

麻績村位置図

― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキプロジェクト
テンプレートを表示
冬の聖山
冬の麻績村

麻績村(おみむら)は、長野県東筑摩郡

地理

[編集]

長野県のほぼ中央(中信)の筑摩山地の北寄りに位置する高原の村である[1]。村は山岳地帯にあり、北端の聖高原、南端の四阿屋山、東端の一本松峠等はいずれも1,000mを超す地点となっている[1]

江戸時代には松本藩預かりの天領で、北国脇往還の宿場町(麻績宿)であった[1]

村内には聖山(ひじりやま)があり、越後の高僧であるがこの山を修行山としたことが名前の由来であり、その後もいくつかの寺院が建立された。

隣接する自治体

[編集]

歴史

[編集]

行政

[編集]

所轄広域連合

[編集]

所轄警察署

[編集]

所轄消防署

[編集]

村政

[編集]
村長
塚原勝幸 2022年1月16日就任、1期目

議会

[編集]

村議会

[編集]
  • 議長:塚原義昭(2019年10月2日就任)
  • 定数:8人(任期 2021年9月30日まで)

県議会

[編集]
2021年長野県議会議員補欠選挙
  • 選挙区:松本市・東筑摩郡選挙区
  • 定数:2人
  • 投票日:2021年10月31日
  • 当日有権者数:214,076人
  • 投票率:55.56%
候補者名 当落 年齢 所属党派 新旧別 得票数
百瀬智之 38 無所属 33,608票
小林文 45 無所属 33,031票
青木崇 31 無所属 23,786票
下沢順一郎 62 無所属 22,973票
2019年長野県議会議員選挙
  • 選挙区:松本市・東筑摩郡選挙区
  • 定数:7人
  • 投票日:2019年4月7日
  • 当日有権者数:212,935人
  • 投票率:43.93%
候補者名 当落 年齢 所属党派 新旧別 得票数
中川宏昌 48 公明党 14,121票
百瀬智之 36 無所属 12,647票
中川博司 60 無所属 12,341票
本郷一彦 72 自由民主党 11,957票
両角友成 66 日本共産党 11,630票
清沢英男 69 自由民主党 10,793票
萩原清 68 自由民主党 9,447票
下沢順一郎 59 国民民主党 7,337票
小金沢昭秀 62 日本維新の会 2,013票

衆議院

[編集]
当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 重複
下条みつ 65 立憲民主党 101,391票
比当 務台俊介 65 自由民主党 68,958票
手塚大輔 38 日本維新の会 43,026票

人口

[編集]
麻績村と全国の年齢別人口分布(2005年) 麻績村の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 麻績村
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
麻績村(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 4,512人
1975年(昭和50年) 4,159人
1980年(昭和55年) 4,016人
1985年(昭和60年) 3,805人
1990年(平成2年) 3,622人
1995年(平成7年) 3,499人
2000年(平成12年) 3,347人
2005年(平成17年) 3,204人
2010年(平成22年) 2,970人
2015年(平成27年) 2,788人
2020年(令和2年) 2,593人
総務省統計局 国勢調査より


地域

[編集]

教育

[編集]

小学校

[編集]

中学校

[編集]

交通

[編集]
聖高原駅

鉄道路線

[編集]

バス

[編集]

道路

[編集]
  • E19長野自動車道
  • (6) 麻績インターチェンジ
一般国道
主要県道

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

[編集]
聖博物館
麻績神明宮
福祉センター みたらしの湯

聖高原別荘地

[編集]

1962年地方自治体としては例をみない地上権方式で別荘地の開発・分譲を始めた。村と賃貸借契約を締結して固定資産税の代わりに地代を納入する。閑静な高原を存続するため立木はなるべく伐採しないで別荘を建てることとした。聖山東方の聖高原の村有地300ha余りで、現在約1700区画(内別荘建築は約400件)ある。全域に道路、水道、電気、電話の引き込みがあり、別荘地の管理は株式会社聖高原管理センターが行っている。

合併からの離脱

[編集]

平成の大合併が日本全国で進む中、麻績村も同郡内の「筑北地方」と呼ばれる本城村・坂北村・坂井村の近隣三村(現:筑北村)との対等合併の協議が進められていた。そして2002年には任意合併協議会が始まり、足掛け2年以上をかけた協議がほぼ終了し、後は調印するだけとなっていた。

ところが調印を翌月に控えた2005年9月12日に麻績村役場で記者会見が開かれ、麻績村長の依田政人(当時)により法定協議会からの離脱が表明された。この時の内容については麻績村公式サイト内の「村からのお知らせ」で公開されている。突然の合併離脱の発表に対し、三村だけでなく麻績村内でも大きな波紋が広がり、有志による質問状も出されている。(前述のサイト内で公開)

この決断の背景には、当時県内の市町村で三番目に低い公債費比率(8.6%)と健全な財政を維持していた麻績村と三村での財政格差による合併後の財政面での負担の可能性もさることながら、本城村が事前協議を経ないまま合併前の駆け込み事業を進めてしまったことが合併離脱の決定的要因とされている(読売新聞の記事)。また合併後の町名について、麻績村が望む「聖町」が住民アンケートで「筑北町」に僅かに及ばず、共に過半数に達していないことから二案による再アンケートを求めるも、三村の賛成多数で「筑北町」に決定したことも大きな影響を与えている。

尚、麻績村も含めて四村での合併が成立した場合には「」として発足する予定だったが、最も人口の多い麻績村(約3千人)の離脱により、町制施行に関する人口要件(長野県の場合、八千人以上)を満たすことが出来なくなり、結局三村合併後(約六千人)も「村」のままとなってしまうことになった。

出身有名人

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 第7次麻績村振興計画 麻績村 2024年10月23日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]