飯曽村
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いいそむら 飯曽村 | |
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廃止日 | 1956年9月30日 |
廃止理由 |
新設合併 飯曽村、大舘村 → 飯舘村 |
現在の自治体 | 飯舘村 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 福島県 |
郡 | 相馬郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
5,575人 (国勢調査、1955年10月1日) |
隣接自治体 |
相馬郡:大舘村、石神村 双葉郡:浪江町 伊達郡:川俣町、月舘町 |
飯曽村役場 | |
所在地 | 福島県相馬郡飯曽村飯樋字町119 |
座標 | 北緯37度38分53秒 東経140度42分39秒 / 北緯37.64817度 東経140.71097度座標: 北緯37度38分53秒 東経140度42分39秒 / 北緯37.64817度 東経140.71097度 |
特記事項 | 飯曽・石橋組合村(1889〜1942) |
ウィキプロジェクト |
飯曽村(いいそむら)は、昭和31年(1956年)まで福島県相馬郡西部にあった村。現在の飯舘村飯樋・比曽・長泥・蕨平・臼石・二枚橋・須萱・関根・前田・松塚にあたる。
地理
[編集]歴史
[編集]- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、飯樋村と比曽村が合併して行方郡飯曽村が発足。石橋村と組合村を形成。
- 明治29年(1896年)4月1日 - 行方郡と宇多郡が合併して相馬郡が発足。相馬郡飯曽村となる。
- 昭和17年(1942年)4月1日 - 石橋村と合併し、改めて飯曽村が発足。
- 昭和31年(1956年)9月30日 - 大舘村と合併し、飯舘村となる。
行政
[編集]- 歴代村長
飯曽・石橋組合村長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 門馬有造 | 明治22年(1889年) | ||
2 | 星利康 | 明治30年(1897年) | ||
3 | 池田維春 | 明治34年(1901年) | ||
4 | 甲斐清朗 | 明治36年(1903年) | ||
5 | 門馬有造 | 明治39年(1906年) | 再任 | |
6 | 赤石沢八郎 | 大正8年(1919年) | ||
7 | 斎藤至範 | 大正12年(1923年) | ||
8 | 佐藤明充 | 昭和2年(1927年) | ||
9 | 宇佐美祐忠 | 昭和4年(1929年) | ||
10 | 今野確造 | 昭和8年(1932年) | ||
11 | 村田末治 | 昭和12年(1937年) | ||
12 | 今野確造 | 昭和15年(1940年)5月6日 | 昭和17年(1942年)3月31日 | 再任 |
飯曽村長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 今野確造 | 昭和17年(1942年)4月1日 | 組合村長より留任 | |
2 | 星吉雄 | 昭和22年(1947年)4月10日 | ||
3 | 今野確造 | 昭和29年(1954年)10月1日 | 昭和31年(1956年)9月29日 | 再任 |
地域
[編集]人口
[編集]石橋村編入以前
1920年 | 2,172人 | |
1925年 | 2,334人 | |
1930年 | 2,528人 | |
1935年 | 2,781人 | |
1940年 | 2,982人 |
石橋村編入以後
1947年 | 4,882人 | |
1950年 | 5,254人 | |
1955年 | 5,575人 |
※国勢調査による
教育
[編集]- 飯曽村立飯曽第一小学校
- 飯曽村立飯曽第一小学校比曽分校
- 飯曽村立飯曽第一小学校長泥分校
- 飯曽村立飯曽第一小学校蕨平分校
- 飯曽村立飯曽第二小学校
- 飯曽村立飯曽中学校
- 飯曽村立飯曽中学校蕨平分校
参考文献
[編集]- 『飯舘村史』第一巻(福島県相馬郡飯舘村、1979年)