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風見章子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かざみ あきこ
風見 章子
風見 章子
1940年の『映画之友』皇軍慰問絵葉書
本名 中村 フサ(なかむら - )
生年月日 (1921-07-23) 1921年7月23日
没年月日 (2016-09-28) 2016年9月28日(95歳没)
出生地 日本の旗 日本 群馬県北甘楽郡富岡町七日市(現在の同県富岡市
死没地 日本の旗 日本 東京都福生市
身長 155cm
職業 女優
ジャンル 演劇
劇映画
テレビドラマ
活動期間 1937年 - 2016年
配偶者 既婚(死別)
事務所 放映新社
公式サイト プロフィール
主な作品
テレビドラマ
おやじ太鼓
刑事くん
おもちゃ屋ケンちゃん
白鳥麗子でございます!』〈松雪版〉
八百八町夢日記
映画

また逢う日まで
めし
飢餓海峡
赤ひげ
忘れられぬ人々
受賞
第5回日本映画批評家大賞 ゴールデン・グローリー賞(1995年)
第22回ナント三大陸映画祭 主演女優賞 『忘れられぬ人々』(2000年)
第25回山路ふみ子映画賞 映画功労賞 『忘れられぬ人々』(2001年)
第61回毎日映画コンクール 特別賞(2006年)
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風見 章子(かざみ あきこ、1921年大正10年〉7月23日 - 2016年平成28年〉9月28日[1])は、日本女優群馬県富岡市出身[2]。本名は中村 フサ(なかむら - )。最終所属先は放映新社

来歴・人物

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1936年、芸事が好きな父の勧めでエノケン一座に入団。

1937年に日活のオーディションに合格[2]

1939年に公開された内田吐夢監督映画『』で主役に抜擢された[3]

1940年代後半からは松竹新東宝東映などの映画にも出演し、1960年代前後からテレビドラマでも活動を開始。

2000年、『忘れられぬ人々』で第22回ナント三大陸映画祭主演女優賞を受賞。

2010年8月4日、東京・池袋の新文芸坐で開催された『映画監督内田吐夢没後40年回顧 「命一コマ」 巨匠・内田吐夢の全貌』のトークショーに出演。

90歳を超えても現役で活動していた。

1960年代から1970年代にかけては母親役が多かったために「日本のお母さん」と認知されていた[4]

趣味は絵手紙[4]。夫と死別し、8歳年下の妹とマンションに同居[3]息子はアメリカで暮らしており、ひ孫もいる[3]

2016年9月28日老衰の為、逝去。95歳没[1]

受賞

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出演

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映画

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テレビドラマ

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演劇・ビデオ・ラジオ・CM

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演劇
ビデオ
  • ダウンタウン・ガールズ(1991年)
  • 超少女マリア(1991年) - おトキ
  • 超少女マリア 最期の戦い(1991年) - おトキ
  • ウルトラセブン 模造された男(1999年) - カネミツ・タツ
バラエティ
  • SMAP×SMAPコント「ご長寿早押しバンザイ」(フジテレビ) - 回答者。
ラジオ
CM

書籍

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著書
  • 『風見章子の思い出を、あげて、もらって』(栄光出版社、2009年8月) ISBN 978-4754101169
関連書籍
  • 『日本映画スチール集 日活多摩川篇』(石割平/円尾敏郎・編、ワイズ出版、2001年)

脚注

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  1. ^ a b “風見章子さんが死去、95歳”. スポーツ報知. (2016年10月6日). https://web.archive.org/web/20161009121656/http://www.hochi.co.jp/entertainment/20161006-OHT1T50173.html 2016年10月6日閲覧。 
  2. ^ a b 90歳の現役女優、風見章子さん2」『【あの人は今こうしている】』、ゲンダイネット、2012年7月25日、 オリジナルの2014年3月7日時点におけるアーカイブ、2014年3月7日閲覧 
  3. ^ a b c 90歳の現役女優、風見章子さん3」『【あの人は今こうしている】』、ゲンダイネット、2012年7月25日、 オリジナルの2014年3月7日時点におけるアーカイブ、2014年3月7日閲覧 
  4. ^ a b 90歳の現役女優、風見章子さん1」『【あの人は今こうしている】』、ゲンダイネット、2012年7月25日、 オリジナルの2014年3月7日時点におけるアーカイブ、2014年3月7日閲覧 

外部リンク

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