コンテンツにスキップ

青空球児・好児

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

青空球児・好児(あおぞら きゅうじ・こうじ)は、漫才協会所属の漫才コンビ。青空一門。元ホリプロ所属。

1965年に結成。1973年に第21回NHK新人漫才コンクール優勝。1979年に漫才協団(現:漫才協会)真打昇進。

故郷を紹介するネタ(ぼくの故郷)での「ゲロゲ~ロ」のギャグ、逆さ漫才(君の名は、むっつり右門捕物帖)、国定忠治などで有名。漫才をするときはセンターマイクを使わない。最後のお笑い第一世代と呼ばれ、現役の漫才師で最も古いコンビ。

メンバー

[編集]
  • 青空 球児(本名:下地 康夫[1](しもじ やすお) (1941-08-17) 1941年8月17日(83歳)[1] - )
神奈川県横浜市鶴見区出身。ボケ担当。現職は一般社団法人漫才協会名誉会長。漫才協会第6代会長を歴任した。高輪商業(高輪中学校・高等学校)卒。
ゲロゲ~ロ」のギャグで有名。
高校卒業後、アメリカンボトラーズ(現コカコーラ)で働く。森川信の芸能学校の出身。コロムビア・トップに師事するが、1960年に浅草公園六区の「東洋劇場」でコメディアンの修行を始める。「トリオ・ザ・パンチ」、「ナンセンストリオ」、「トリオスカイライン」のそれぞれの初代メンバーを経て、漫才コンビを結成。現在の好児とコンビを組み直した後人気が出た。なお、コロムビア・トップ死去時の葬儀委員長も務めた。
なお、下地姓は沖縄、特に宮古島地方に多いことで知られているが、両親が沖縄、父は宮古出身であることを公表している[2]
  • 青空 好児(本名:谷田部 政視[1](やたべ まさのり) (1943-10-02) 1943年10月2日(81歳)[1] - )
東京都三鷹市出身、ツッコミ担当。通称は「ルパン」。中野電波高等学校卒。現職は一般社団法人漫才協会専務理事、世田谷区議会議員(6期)。
「トリオ・ハッスル」(メンバーは青空球児と好児ともう一人)で石原裕次郎、舟木一夫などの歌謡ショーに出演していた。
父親が戦死している為、父親には会ったことがない。
世田谷区PTA会長を5年間務め、1998年に世田谷区立中PTA会長としての活動で区の給食職員の人件費を年間4億円削減するなどの成果を上げる。
漫才中は球児のことをリーダーと呼ぶ。例、「さすがリーダー」「そりゃないよリーダー」

政治家(青空こうじ)

[編集]
青空 こうじ
あおぞら こうじ
生年月日 (1943-10-02) 1943年10月2日(81歳)
出生地 日本の旗 日本東京都三鷹市
出身校 中野電波高等学校
前職 漫才師
現職 世田谷区議会議員
所属政党 無所属
公式サイト 世田谷区議会議員 青空こうじ

当選回数 6回
在任期間 2003年5月1日 - 現職
テンプレートを表示
  • 青空 好児(本名:谷田部 政視[1](やたべ まさのり) (1943-10-02) 1943年10月2日(81歳)[1] - )
2003年に世田谷区議会議員(定数52)に立候補し初当選(5538票、72名中4位)。無所属2007年、再選(5151票、71名中11位)。2011年、3選(4268票、82名中21位)。2015年、4選(3724票、82名中34位)。2019年、5選(4177票、75名中35位)。2023年、6選(3770票、75名中47位)。

エピソード

[編集]
  • 球児が組んでいたコンビの相方(青空球児・場児場児)と呑み屋で喧嘩別れし、その時たまたま一緒に居た好児に「明日、ヒマか?」と誘いをかけ、そのまま翌日の仕事からコンビを組んだと云う[3]
  • 2022年3月発売のFLASHで、その後、球児が会長を務めることになった漫才協会(当時の漫才協団)について二人で取材を受けているが、師匠のコロムビア・トップから言われるがままに加盟することになったといい、本当は「嫌な先輩が多いの知ってたから(「今はそういうことはない」そうだが)」入りたくなかった、と当時を振り返っている[4]。また、好児は「俺たち、昔は最初に解散するコンビっていわれてたのに、いちばん長くなっちゃった。」と近況に繋げて語った[4]

テレビ(球児・好児)

[編集]

アニメ

[編集]

テレビ(青空球児)

[編集]

テレビ(青空好児)

[編集]

ラジオ

[編集]

映画

[編集]

コンビで出演

[編集]
  • 漫才協会 THE MOVIE 舞台の上の懲りない面々(2024年3月1日、KADOKAWA/ミックスゾーン/中京テレビ放送/ミラクルヴォイス[6]

青空球児

[編集]

青空好児

[編集]

舞台

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f 『テレビ・タレント人名事典(第6版)』日外アソシエーツ、2004年6月、11頁。ISBN 978-4-8169-1852-0 
  2. ^ “下地会 青空球児”. 日本経済新聞. (2015年6月9日). https://www.nikkei.com/article/DGKKZO87820520Y5A600C1BC8000/ 2022年5月28日閲覧。 
  3. ^ 2009年11月4日、お好み寄席 (NHKBSハイビジョン) 出演時に球児談。
  4. ^ a b “ナイツ、青空球児・好児が語る「漫才協会」の歴史と魅力…会長・球児が「入りたくなかった」と語ったワケ”. Smart FLASH. (2022年3月4日). https://smart-flash.jp/entame/174630/1/ 2022年5月28日閲覧。 
  5. ^ a b 新・ど根性ガエル”. トムス・エンタテインメント 公式サイト. トムス・エンタテインメント. 2023年2月23日閲覧。
  6. ^ 映画『漫才協会 THE MOVIE 舞台の上の懲りない面々』”. 映画『漫才協会 THE MOVIE 舞台の上の懲りない面々』. 2024年3月3日閲覧。
  7. ^ a b 新・ど根性ガエル ど根性夢枕”. トムス・エンタテインメント 公式サイト. トムス・エンタテインメント. 2023年2月23日閲覧。

出典

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]