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金谷治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金谷 治かなや おさむ
人物情報
生誕 1920年2月20日
日本の旗 日本 三重県阿山郡上野町
死没 (2006-05-05) 2006年5月5日(86歳没)
出身校 東北帝国大学
関西大学
学問
時代 20世紀 - 21世紀
研究分野 中国哲学
研究機関 東北大学
追手門学院大学
指導教員 石濱純太郎武内義雄[1][2]
主な指導学生 浅野裕一[1][2]中嶋隆蔵[2]
学位 文学博士
称号 正四位
勲二等瑞宝章
影響を受けた人物 藤澤黄坡
学会 日本中国学会
日本道教学会
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金谷 治(かなや おさむ、1920年2月20日 - 2006年5月5日[3])は、日本東洋学者。専門は、中国哲学、特に中国古代思想史)。2003年勲二等瑞宝章受章。

経歴

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出生から学徒動員・敗戦まで

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1920年、三重県阿山郡上野町(現・伊賀市)生まれ。早くに両親を亡くし、兄弟の庇護の下、関西大学第二商業学校、関西大学専門部国漢文専攻科で学んだ[4]。在学中、石濱純太郎に師事。石濱の勧めにより武内義雄が在任していた東北帝国大学法文学部文科に進学し師事した[1]。しかし太平洋戦争の戦況悪化を受け、1944年9月に学徒出陣で東北帝国大学を繰り上げ卒業[5][2]入隊、大陸に出征した。

戦後から平成

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復員後、大学院に復学、旧制弘前高等学校嘱託講師となった。1948年、東北大学法文学部講師となり、武内義雄が退官し、しばらく空席になっていた支那学第一講座を引き継いだ。京都大学人文科学研究所で1年間の研修後、1950年に東北大学法文学部助教授。1961年に学位論文『秦漢思想史研究』により京都大学文学部文学博士号を取得。1962年、東北大学文学部教授(中国哲学講座)に就いた[1]

1983年に東北大学を定年退官、名誉教授。その後は追手門学院大学教授となり、文学部長を務めた。1990年に追手門学院大学を退任、名誉教授となった。2002年、日本学士院会員に選ばれた[6]

学外では、日本中国学会理事長、日本道教学会会長を務めた。2006年5月5日、腎不全により死去。

受賞・栄典

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研究内容・業績

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  • 専門は中国の先秦思想の研究で、道家思想の研究、古代中国における自然観の研究、論語鄭玄注の研究、中国における疑古の研究などがある。また、戦後は中国の考古学調査の進展により新たに簡牘が出土・発見されたことにより、銀雀山漢墓から出土した孫臏兵法の研究、馬王堆漢墓から出土した帛書の研究なども手掛けた。
  • 専門の研究を進めると同時に、中国古典の訳注を意欲的に進めた。また、一般にも親しみやすい中国思想を紹介する啓蒙書の執筆も行っている。
  • 専門は中国研究であったが、それを受容した日本思想研究にも関心を寄せ、『荻生徂徠集』などを刊行している。

著作

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単行本に含まれなかった論文等は、自身も監修に加わった『金谷治中国思想論集』(全3巻、平河出版社)にまとめられている。

著書

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※は講演・講話をもとにした著作

訳注

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編著

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  • 荻生徂徠集 日本の思想12』 筑摩書房 1970
    解説「徂徠学の特質」、学則・弁道・弁名(抄)・論語徴(抄) 、年表・参考文献
  • 日本思想大系28 藤原惺窩林羅山』 岩波書店 1975 - 前者を担当
  • 『唐抄本 鄭氏注論語集成』 平凡社 1978
  • 『中国における人間性の探究』 創文社 1983

脚注

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  1. ^ a b c d 武内義雄『中国思想史』講談社学術文庫、335頁(浅野裕一解説)、2022年。
  2. ^ a b c d 中嶋隆蔵 (6 2007). “金谷治先生の治学方法”. 臺灣東亞文明研究學刊 4: 165-177. http://tjeas.ciss.ntnu.edu.tw/zh-tw/shared/redirect/71?folder=journals&file=4-1-9.pdf 2021年1月13日閲覧。. 
  3. ^ 河原努編著『「出版年鑑」掲載全訃報一覧』近代出版研究所、2022年、47頁。
  4. ^ 中嶋隆藏2006,p.145
  5. ^ 内藤幹治 (2008). “金谷治先生のプロフィールと「金谷文庫」開設の次第”. 東北大学附属図書館報「木這子」 33: 16-17. ISSN 0385-7506. http://www.library.tohoku.ac.jp/about/kiboko/33-3/kbk33-3.pdf 2021年1月13日閲覧。. 
  6. ^ 日本学士院(物故会員)
  7. ^ 元は『世界の名著諸子百家の解説で、これを単著化。
  8. ^ 原文・全訳注解、佐川修・町田三郎と共訳注
  9. ^ 「墨子」と「韓非子」抜粋を町田三郎と共編訳

参考文献

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  • 中嶋 隆藏「金谷治先生のご逝去を悼む」『東方学』112号、東方学会, 2006年, 145-147頁.
  • 源了圓「金谷さんの日本研究」『東方学』112号、東方学会, 2006年, 147-149頁.

外部リンク

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