コンテンツにスキップ

藤堂元杜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤堂元杜
時代 江戸時代
生誕 正徳2年(1712年
死没 延享2年8月28日1745年9月23日
改名 元次郎(幼名)→元杜
別名 采女(通称)
墓所 伊賀市西蓮寺
主君 藤堂高治高朗
伊勢国津藩
氏族 藤堂氏保田氏
父母 父:藤堂高稠、母:平田大蔵の娘
兄弟 元杜'、八重(藤堂良躬室)
室:清柳院(小浜藩士三浦七兵衛の娘)
養子:元福
テンプレートを表示

藤堂 元杜(とうどう もともり)は、伊勢国津藩藤堂采女家第4代。伊賀国上野城代。2代藩主藤堂高次の曽孫。

家系

[編集]

藤堂采女家は、藤堂高虎に仕え藤堂姓を与えられた藤堂元則に始まり、代々の当主が「采女」の通称を名乗る。本姓保田氏。家紋は追洲流、三文字。初代元則以降伊賀上野城代を世襲した。

略歴

[編集]

正徳2年(1712年)藤堂家家臣藤堂高稠の子として生まれる。幼名は「元次郎」。[1]

享保16年(1731年)父高稠が隠居して家督相続するも、上野城代職は世襲を許されなかった。寛保2年(1742年)上野城代に就任。[2]

延享2年(1745年)8月28日、死去。享年34。9月に甥峯五郎が養子となったが、幼いため叔父元甫が藩より看抱を命じられ、代わって上野城代に就任した。

人物

[編集]

上野城代に就任時に、藩主藤堂高豊(高朗)から、先年独立騒動を起こした名張の藤堂宮内家への警戒を命じられた。

関連作品

[編集]

ドラマ

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ 庁事類編
  2. ^ 久保

参考文献

[編集]
  • 上野市古文献刊行会編「庁事類編 藤堂藩伊賀城代家老日誌」
  • 久保文武著「伊賀史叢考」