藤堂元杜
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 正徳2年(1712年) |
死没 | 延享2年8月28日(1745年9月23日) |
改名 | 元次郎(幼名)→元杜 |
別名 | 采女(通称) |
墓所 | 伊賀市の西蓮寺 |
主君 | 藤堂高治→高朗 |
藩 | 伊勢国津藩 |
氏族 | 藤堂氏、保田氏 |
父母 | 父:藤堂高稠、母:平田大蔵の娘 |
兄弟 | 元杜'、八重(藤堂良躬室) |
妻 | 室:清柳院(小浜藩士三浦七兵衛の娘) |
子 | 養子:元福 |
藤堂 元杜(とうどう もともり)は、伊勢国津藩藤堂采女家第4代。伊賀国上野城代。2代藩主藤堂高次の曽孫。
家系
[編集]藤堂采女家は、藤堂高虎に仕え藤堂姓を与えられた藤堂元則に始まり、代々の当主が「采女」の通称を名乗る。本姓保田氏。家紋は追洲流、三文字。初代元則以降伊賀上野城代を世襲した。
略歴
[編集]正徳2年(1712年)藤堂家家臣藤堂高稠の子として生まれる。幼名は「元次郎」。[1]
享保16年(1731年)父高稠が隠居して家督相続するも、上野城代職は世襲を許されなかった。寛保2年(1742年)上野城代に就任。[2]
延享2年(1745年)8月28日、死去。享年34。9月に甥峯五郎が養子となったが、幼いため叔父元甫が藩より看抱を命じられ、代わって上野城代に就任した。
人物
[編集]上野城代に就任時に、藩主藤堂高豊(高朗)から、先年独立騒動を起こした名張の藤堂宮内家への警戒を命じられた。
関連作品
[編集]ドラマ
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 上野市古文献刊行会編「庁事類編 藤堂藩伊賀城代家老日誌」
- 久保文武著「伊賀史叢考」