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藤原通季

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤原 通季
時代 平安時代後期
生誕 寛治4年(1090年
死没 大治3年6月17日1128年7月16日
別名 号:大宮
官位 正三位権中納言左衛門督
主君 白河上皇堀河天皇鳥羽天皇
氏族 藤原北家閑院流
父母 父:藤原公実、母:藤原光子藤原隆方の娘)
兄弟 実隆三条実行実兼藤原経実室、覚源、通季仁実徳大寺実能、実子、公子、藤原経実室、源有仁室、璋子季成、済実、藤原家政
藤原忠教の娘
公通公重、公延、藤原経定室、藤原経定室、廊御方
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藤原 通季(ふじわら の みちすえ)は、平安時代後期の公卿権大納言藤原公実の三男。官位正三位権中納言大宮と号す。西園寺家の祖で、西園寺通季と表記する場合もある。

経歴

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以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

閑院流の嫡流問題

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蔵人頭、参議への補任はともに異母兄の実行と同時であったが、父公実があらかじめ定めていた嫡庶の順により通季が上首とされた。代々、閑院流の正嫡に伝えられる牛車を公実から相続したという[5]。実際に公実が通季を嫡子と決めていたことを示す資料が残っていないため判断は難しい。

通季の死後、閑院流の中では暫く実行、実能の子孫が権勢を強めたが、通季の曾孫に当たる公経鎌倉時代初期に西園寺家を創始することになる。

系譜

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脚注

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  1. ^ 同日に異母兄の右中弁実行も蔵人頭に補せられている。
  2. ^ 異母兄の実行も参議に任ぜられる。
  3. ^ この時、宰相中将の第二位であったが源師頼藤原俊忠らを超越した。また12月17日には異母兄の実行と同母弟の実能が同時に権中納言に任ぜられている。
  4. ^ 同日、実行は右衛門督兼検非違使別当に、実能は右兵衛督を兼ねている。
  5. ^ 閑院流の嫡庶に関して、室町時代に『尊卑分脈』を入手した三条公敦は、西園寺家の項に「閑院流の嫡流」という記述を見つけて憤慨し西園寺家は閑院流の嫡流ではない、とする注記を記している。また同時に、公敦の実弟信量が大炊御門家を継いで兄弟で左右近衛大将に就任したことを誇らしげに記している。
  6. ^ 藤原北家勧修寺流出身

参考文献

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