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稲垣則茂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
稲垣則茂
時代 江戸時代前期
生誕 不明
死没 寛文5年(1665年
別名 平助、喜左衛門
主君 牧野忠成忠成
氏族 稲垣氏(平助家)
父母 父:稲垣長茂
兄弟 重綱則茂重大大久保忠知正室、
石川政次正室ら
実子あり
養子:牧野忠清(牧野忠成五男)
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稲垣 則茂(いながき のりしげ)は、江戸時代前期の武将牧野家の家臣。稲垣家(平助家)初代。

略歴

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上野国伊勢崎藩初代藩主・稲垣長茂の次男として誕生した。

上野大胡藩2代藩主・牧野忠成に仕え、大坂夏の陣では戦功を挙げた。そのため大胡藩の筆頭家老に任じられて家臣団の第1グループである平助組を主導した。元和2年(1616年)7月の越後国長峰藩移封では城地整備の責任者を務めた。元和4年(1618年)の越後長岡藩移封でも城地整備の責任者を務めた。その功により、3村2400石を与えられている。忠成の五男・忠清を養子に迎えていたが、後に実子に恵まれている。

寛文5年(1665年)、死去。

出典

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  • 『三百藩家臣人名事典』 新人物往来社
  • 『三百藩藩主人名事典』 新人物往来社
  • 『江戸三百藩藩主総覧』 新人物往来社