福岡高等学校 (旧制)
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福岡高等学校 | |
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創立 | 1921年 |
所在地 | 福岡市 |
初代校長 | 秋吉音治 |
廃止 | 1950年 |
後身校 | 九州大学 |
同窓会 | 青陵会 |
旧制福岡高等学校(きゅうせいふくおかこうとうがっこう)は、福岡県に設立された官立の旧制高等学校。
沿革
[編集]- 1921年(大正10年)11月9日 - 高等学校令(第二次高等学校令、勅令432号)により、福岡高等学校が設立[1]。
- 1922年(大正11年)
- 4月 - 福岡高等学校が開校。第1回入学式を挙行。定員は5組200名(1組あたり40名、文科3組、理科2組)。
- 9月 - 寮を開設。約100名が入寮。
- 10月 - 第1回対佐高野球戦を開催。
- 1924年(大正13年)6月28日 - 社会科学研究会が結成。
- 1925年(大正14年)3月 - 第1回生卒業式を挙行。同窓会が発足。
- 1927年(昭和2年)5月 - 志賀島で第1回乱舞会(ストーム)を開催。
- 1931年(昭和6年)11月 - 寮を「学而寮」と命名。
- 1940年(昭和15年)11月 - 福岡高等学校紀元2600年記念式典を挙行。校友会[2]を解散し、報国団を結成。
- 1942年(昭和17年)
- 4月 - 理科2組から3組となる(21回生、22回生)。
- 9月 - 修業年限6カ月短縮措置により、卒業式(19回生)を挙行。(21回生まで)。
- 1943年(昭和18年)1月 - 修業年限を2年に短縮。
- 1944年(昭和19年)4月 - 文科1組、理科5組となる。23回生入学。
- 1945年(昭和20年)
- 3月 - 22回生、修業2年で卒業。
- 4月 - 文科1組、理科6組となる。
- 6月 - 24回生入学式を挙行。
- 9月 - 外地からの編入等により、23回生において文科2組、以降24回生において文科3組に増員。
- 1946年(昭和21年)4月 - 修業年限を3年に戻す。
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)
- 3月 - 福岡高等学校、第26回生が卒業。
- 3月31日 - 法律51号により、九州大学福岡高等学校が廃止。
- 閉校後
- 1951年(昭和26年)
- 1月 - 旧制福岡高等学校第1回「青陵会」総会が亭々舎で開催。
- 11月 - 青陵会会報第1号が発行される。
- 1955年(昭和30年)10月31日 - 九州大学の第一分校と第二分校(久留米)が統合し、旧福岡高等学校校地に九州大学分校が設置。
- 1963年(昭和38年)
- 2月27日 - 旧制福高以来の外人教師官舎を西新官舎と改称し、九州大学本部に移管。
- 3月31日 - 九州大学分校が廃止。
- 4月1日 - 分校跡地に新校舎が完成し、九州大学教養部が発足。(六本松キャンパス)
- 1968年(昭和43年)- 同窓会「青陵会」によって「青陵の泉」が設置。
- 1994年(平成6年)
- 1月 - 旧制福岡高等学校に関係する資料が九大大学史料室に移管。
- 3月 - 教養部が廃止。
- 4月 - 全学教育(一般教養教育)を開始。
- 2002年(平成14年)10月 - 創立80周年を記念し、「旧制福岡高等学校跡」記念標柱が建立。
- 2009年(平成21年)3月 - キャンパス統合のため、六本松キャンパスが廃止。
歴代校長
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- 初代:秋吉音治(1921年 - 1937年7月死去)
- 第2代:堀重里(1937年9月 - 1941年)
- 前・第七高等学校造士館校長
- 第3代:折竹錫(1941年6月 - 1945年11月24日[3])
- 第4代:山尾政治(1945年11月24日[3] - )
- 前・松江高等学校校長
- 永井重義( - 1950年3月)
校地の変遷と継承
[編集]校地は福岡市中央区六本松にあり、後身の九州大学に継承されて「第一分校」の校地となった。1955年(昭和30年)に第2分校(久留米工専跡)が廃止・統合されたため「分校」と改称、1963年(昭和38年)に「教養部」となった。1994年(平成6年)の教養部廃止後も、全学教育科目の講義は引き続き六本松地区で行われたが、2009年(平成21年)に六本松地区は廃止され、伊都地区に統合移転となった。跡地は都市再生機構に売却された。[4]
著名な出身者
[編集]政治
[編集]- 有田一寿 - 元参議院議員(新自由クラブ)
- 鬼丸勝之 - 元参議院議員(自由民主党)
- 久保田藤麿 - 元衆議院議員・参議院議員(自由民主党)
- 遠藤政夫 - 元参議院議員(自由民主党)
- 高木健太郎 - 元参議院議員(公明党)、医学者
- 関嘉彦 - 元参議院議員(民社党)、政治学者
- 楢崎弥之助 - 元衆議院議員(社会民主連合)
- 柴田睦夫 - 元衆議院議員(日本共産党)
- 武田邦太郎 - 元参議院議員(日本新党)
- 松尾金蔵 - 通産事務次官
- 川原英之 - 通産省官房長
- 馬郡厳 - 日銀政策委員、通産官僚
- 田辺博通 - 国税庁長官
- 磯田好祐 - 財務参事官
- 首藤尭 - 自治事務次官
- 川合寿人 - 警視総監
- 福田繁 - 文部事務次官
- 中村俊一 - 郵政事務次官
- 高橋弘篤 - 建設事務次官
- 城戸謙次 - 環境事務次官
- 秋吉良雄 - 北海道開発事務次官
- 佐藤勝也 - 元長崎県知事
- 亀井光 - 元福岡県知事
- 荒巻禎一 - 元京都府知事
- 吉田法晴 - 北九州市初代市長
- 谷伍平 - 元北九州市長
- 桑原敬一 - 元福岡市長
経済
[編集]- 東條輝雄 - 元三菱自動車社長
- 金森政雄 - 元三菱重工業社長
- 末永聡一郎 - 元三菱重工業社長
- 倉田興人 - 元三井鉱山社長
- 有吉新吾 - 元三井鉱山社長
- 吉本弘次 - 元西日本鉄道社長
- 木本元敬 - 元西日本鉄道社長
- 西亦次郎 - 元西鉄ライオンズ球団社長
- 石川数雄 - 元主婦の友社社長
- 斉藤武幸 - 元住友建設社長
- 弥富武 - 元東京建物社長
- 南幸治 - 元大成建設社長
- 吉村清三 - 元関西電力社長
- 橋本敬之 - 元ニッカウヰスキー社長
- 大内田正 - 元日立建機社長
- 池田俊一郎 - 元山陽国策パルプ社長
- 大島隆夫 - 元富士火災海上保険社長
- 片山仁八郎 - 元三菱電機社長
- 横田良雄 - 元山一證券社長
- 高岩淡 - 元東映社長
- 石橋幹一郎 - 元ブリヂストン社長
- 山田菊男 - 元三菱石油社長
- 久水宏之 - 経済評論家、元日本興業銀行常務
- 原口幸隆 - 元日本労働組合総評議会(総評)議長
法曹
[編集]- 平賀健太 - 札幌地裁所長(1969-) / 長沼ナイキ事件の平賀書簡問題
学術
[編集]- 仲宗根政善 - 言語学者、琉球方言研究
- 林周二 - 経営学者、『流通革命』
- 安松京三 - 昆虫学者
- 陣内傳之助 - 外科医学者
- 白木博次 - 神経病理学者
- 井上正治 - 刑法学者
- 小田島雄志 - 英文学者、文化功労者、シェイクスピア研究
- 黒木三郎 - 法社会学者
- 水尾比呂志 - 美術史家、武蔵野美術大学元学長
- 福富孝治 - 地球物理学、北海道大学教授
- 平岡昇 - フランス文学者
- 秀村欣二 - 西洋史学者
- 向井利昌 - 神戸大学名誉教授
- 木村健康 - 経済学者
- 遠山啓 - 数学者、「水道方式」
- 中村廣治 - 思想史家
- 桑木務 - 哲学者(現象学)、中央大学名誉教授
- 井上茂 - 法哲学者、お茶の水女子大学学長
- 藤永茂 - 量子化学者 アルバータ大学名誉教授 九州大学理学部教授
- 秀村選三 - 社会経済史学者
文化
[編集]- 中村能三 - 翻訳家
- 檀一雄 - 小説家
- 大西巨人 - 小説家
- 小島直記 - 小説家
- 田中小実昌 - 小説家
- 岡松和夫 - 小説家
- 那珂太郎 - 詩人
- 伊達得夫 - 芸術総合誌『ユリイカ』創刊者
- 村上冬樹 - 俳優
- 荒谷俊治 - 指揮者
関連項目
[編集]関連書籍
[編集]- 青陵会記念誌編集委員会(編) 『人生旅路遠けれど』 青陵会、2002年10月。
- (九大)さようなら六本松誌編集委員会(編) 『青春群像 さようなら六本松 一九二一福高〜九大二〇〇九 』花書院 2009年3月
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 九州大学図書館六本松分館の沿革 - ウェイバックマシン(2007年8月27日アーカイブ分)
- 「旧制福岡高等学校関係資料について」折田悦郎(九州大学大学文書館 教授)、2008年(平成20年)8月22日 - 九州大学ウェブサイト
- 華麗なる旧制高校巡礼 - 旧制福岡高等学校