石神井町
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石神井町 | |
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石神井公園駅南口(2021年5月) | |
北緯35度44分35.56秒 東経139度36分23.25秒 / 北緯35.7432111度 東経139.6064583度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 練馬区 |
面積 | |
• 合計 | 1.933 km2 |
人口 | |
• 合計 | 27,621人 |
• 密度 | 14,000人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
177-0041[3] |
市外局番 | 03[4] |
ナンバープレート | 練馬 |
石神井町(しゃくじいまち)は、東京都練馬区の町名。現行行政地名は石神井町一丁目から石神井町八丁目。住居表示実施済み区域。郵便番号は177-0041[3]。
地理
[編集]練馬区の中央よりやや南西部に位置し、石神井公園や石神井川、石神井公園駅がある。町域西部は石神井台、東大泉、東部は高野台に接し、南部は石神井川を境に下石神井、南田中と上石神井、北部は三原台、谷原と接している。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
石神井町一丁目 | 1,787世帯 | 3,154人 |
石神井町二丁目 | 2,336世帯 | 4,505人 |
石神井町三丁目 | 1,892世帯 | 3,261人 |
石神井町四丁目 | 1,681世帯 | 3,318人 |
石神井町五丁目 | 921世帯 | 1,763人 |
石神井町六丁目 | 1,551世帯 | 2,972人 |
石神井町七丁目 | 2,039世帯 | 4,105人 |
石神井町八丁目 | 2,247世帯 | 4,543人 |
計 | 14,454世帯 | 27,621人 |
小・中学校の学区
[編集]区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
石神井町一丁目 | 1~14番 17番 |
練馬区立南田中小学校 | 練馬区立石神井東中学校 |
その他 | 練馬区立光和小学校 | ||
石神井町二丁目 | 1~14番 | ||
その他 | 練馬区立三原台中学校 | ||
石神井町三丁目 | 1〜2番 10~15番 |
練馬区立石神井小学校 | 練馬区立石神井中学校 |
その他 | 練馬区立光和小学校 | 練馬区立石神井東中学校 | |
石神井町四丁目 | 1〜2番 | ||
その他 | 練馬区立三原台中学校 | ||
石神井町五丁目 | 全域 | 練馬区立石神井小学校 | 練馬区立石神井中学校 |
石神井町六丁目 | 全域 | ||
石神井町七丁目 | 10~24番 32~35番 |
練馬区立大泉東小学校 | |
その他 | 練馬区立光和小学校 | ||
石神井町八丁目 | 全域 | 練馬区立三原台中学校 |
地価
[編集]住宅地の地価は、2021年(令和3年)1月1日の公示地価によれば、石神井町6-2-5の地点で56万9000円/m2となっている。[6]
歴史
[編集]地名の由来
[編集]石神井の名の由来は、この地で井戸を掘った折、石剣が出土したことから、「石神の井」で石神井となったといわれている。現在この石剣は、石神井神社に神体として祭られている。また石剣には三宝寺池から出土したという記録もある。因みに同神社本社の祭神は少彦名命であり、地域の象徴的なスダジイなどの大木がそびえている。
沿革
[編集]- 江戸時代は武蔵国豊島郡下石神井村のうち、石神井川北側の小名和田、北原、池渕あたりに相当。[7]
- 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行により東京府北豊島郡石神井村大字下石神井となる。そのうち小字和田(現・二丁目・四丁目)、和田前、小中原(五丁目)、池渕(六丁目)、北原(七丁目・八丁目)にほぼ相当する。
- 1932年(昭和7年)10月1日 - 東京府東京市板橋区下石神井二丁目となる。[8]
- 1947年(昭和22年)8月1日 - 練馬区が板橋区より独立し、東京都練馬区下石神井二丁目となる。
- 1970年(昭和45年)1月1日 - 住居表示の実施により、東京都練馬区石神井町一~八丁目となる。この際に南田中町の一部(字上長光寺、下長光寺あたり、現・一丁目)などが加えられた。
交通
[編集]鉄道は、中央部を東西に西武池袋線が走り、石神井公園駅が置かれている。
道路は、中央部をかつてふじ大山道と称した参詣道で、田柄用水も流れた富士街道が東西に走る。北部は大泉街道(かつての清戸道)に、東部は一部が幹線道路笹目通りにそれぞれ接している。また、南部を旧早稲田通り(かつての所沢道)が、西部を井草通りが南北に通る。
鉄道
[編集]- 西武池袋線石神井公園駅
道路
[編集]河川
[編集]施設
[編集]一~二丁目
[編集]一丁目
- 和田稲荷神社
- 区立和田堀公園(かつて溜池、金木園釣り堀。その後公園として整備)
- 長光寺橋公園 - 幕末~明治初年頃までこの近くに長光寺があった[9]。
- 区立東台野球場
- 南田中団地 - 石神井川より北29~51号棟は石神井町、同南1~28号棟が南田中。
二丁目
- 西友石神井公園店
- 石神井公園ピアレス
- クイーンズ伊勢丹石神井公園店
- ショッピングモール
- 八重洲ブックセンター石神井公園店
- サーティワンアイスクリーム
- スポーツクラブルネサンス石神井公園
- かごの屋石神井公園駅前店(和食レストラン)
- 三井住友信託銀行石神井支店
- 石神井ローンテニスクラブ
- 東京消防庁石神井消防署石神井公園出張所
- 練馬区立光和小学校
三丁目
[編集]- 石神井公園駅
- 練馬区役所石神井庁舎
- 石神井休日急患診療所(練馬区石神井庁舎内)
- まなマート
- 石神井公園駅前郵便局
- みずほ銀行石神井支店
- りそな銀行石神井支店
- きらぼし銀行石神井支店
- ユークレイジア会小山クリニック - 駅南側にある診療所。先代の理事長は鉄道ファンでもあり、長年日本国有鉄道(国鉄)や西武鉄道の嘱託医を務めて来た。現診療所の向かいにあった旧小山病院には診察室として国鉄80系電車の実物大レプリカが置かれ、自宅敷地内には実物の西武351系のカットボディ(行先表示は「石神井公園」)も設置されていたことで有名であったが、いずれも診療所への転換(2009年)に伴い解体された。
- 区立和田堀緑道・緑地(旧三宝寺川の下流域。その後埋め立てられ緑道として整備。
四丁目
[編集]五丁目
[編集]- 東京都立石神井公園(石神井池エリア)
- 石神井池 - Mr.Childrenの『Tomorrow never knows』は、桜井和寿がここをジョギングしていて生まれた。
- 石神井公園B地区野球場(旧住友銀行運動場)
- 練馬区立石神井公園ふるさと文化館
- 練馬区立池淵史跡公園
- 練馬区立石神井プール
- 禅定院
- JA東京あおば石神井支店
六~八丁目
[編集]六丁目
七丁目
- 石神井保健相談所
史跡・名所
[編集]- 都立 石神井公園
- 区立 石神井公園ふるさと文化館
- 池淵史跡公園
- 石神井プール
- 禅定院
- 石神井神社
- 石神井川
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ “練馬区統計書 - 町丁別土地面積、気温、降水量の推移、住民基本台帳による世帯数と人口など”. 練馬区 (2016年10月1日). 2018年1月4日閲覧。
- ^ a b “世帯と人口(人口統計) - 町丁目別”. 練馬区 (2017年12月5日). 2018年1月4日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年1月4日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月4日閲覧。
- ^ “区立小中学校 学区域一覧”. 練馬区 (2017年8月24日). 2018年1月4日閲覧。
- ^ 標準地番号 練馬-39、標準地・基準地検索システム、国土交通省、2021年1月、2021年5月29日閲覧。
- ^ 桑島新一 (1985年1月21日). “石神井町(しゃくじいまち)”. 練馬の地名今むかし(現町名の部). 練馬区. 2015年1月12日閲覧。
- ^ 東京市新區町名地番表 - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
- ^ 「練馬区史(現勢編)」(1981年,昭和56年刊)によると、長光寺は1932年(昭和7年)まであった旧田中村の小字名。寺は実在しないとも考えられたが、文化財保護推進員の調査で、長光寺という寺が実在し、本堂や墓地があった場所もはっきりした。ただ寺があった場所がこの公園なのかなど未検証。