清水治美
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県比企郡川島町 |
生年月日 | 1961年9月25日(63歳) |
身長 体重 |
179 cm 79 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1983年 ドラフト6位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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清水 治美(しみず はるよし、1961年9月25日[1] - )は、埼玉県比企郡川島町出身[2]の元プロ野球選手(投手)[1][3]。
来歴・人物
[編集]川越商業高では2番手投手だったが[1]、卒業後に入社した社会人野球の日本通運で2種類の落差のあるカーブ、シンカー、シュートを武器に頭角を現した[1]。第54回都市対抗野球大会では先発[4]。高校の2年先輩には仁村薫がいる。
1983年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから6位指名を受けた[1]。しかし、諸事情により入団は1年遅れ、1984年のシーズン終了後に入団し1985年からのプレーとなった[1]。入団時の契約は、契約金3500万円、推定年俸400万円だった[1]。
当時の中日には、都裕次郎以外、先発ローテーションとして計算できる左投手がいなかったため、即戦力として期待されていたが[1]、同年は故障に悩まされ、一軍公式戦では1試合も登板できなかった[3]。翌1986年も一軍登板はならず、この年限りで限りで現役を引退した。
引退後は1987年から中日で打撃投手を務めている[5]。中日の主力打者として活躍し「ミスタードラゴンズ」とうたわれた立浪和義は、1988年の入団から2009年に現役を引退するまで、左の打撃投手を務めていた清水と、1999年以降右の打撃投手を務めた平沼定晴を、それぞれ最も信頼する打撃投手として挙げていた[6]。2021年オフに中日を去り、2022年11月より名古屋市内で居酒屋の大将を務めている。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 16 (1985年 - 1986年)
- 86 (1987年 - 1989年)
- 95 (1990年 - 1991年)
- 104 (1992年 - 1995年)
- 115 (1996年 - 2022年)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 『'85プロ野球 12球団全選手百科名鑑』 9巻、1985年3月号、日本スポーツ出版社、1985年3月31日、28頁。
- ^ . https://web.archive.org/web/20200428144951/https://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/202004/CK2020042802100021.html/ 中日スポーツ2020年4月28日
- ^ a b 『'86プロ野球 12球団全選手百科名鑑』 10巻、1986年3月号、日本スポーツ出版社、1986年3月31日、73頁。
- ^ 都市対抗野球大会60年史 毎日新聞社刊
- ^ 『'87プロ野球 12球団全選手百科名鑑』 11巻、1987年3月号、日本スポーツ出版社、1987年3月31日、73頁。
- ^ 立浪和義『負けん気』文芸社、2010年2月20日、150-154頁。ISBN 978-4286088532。