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池田研池

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

池田 研池(いけだ けんち、生年未詳 - 1937年以降)[1]は、尾崎紅葉らの硯友社同人。工学士。本名賢太郎。[1]別号・瓢亭木栗子(ひょうていぼくりつし)、氷山。[1]瓢亭木栗子は『瓢箪ぼっくりこ』のもじりか。『ぼっくりこ』は中が空洞のものを打ったときの音を表す語。[1]

経歴

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生年月日不明。学生時代はボート選手だった。[1]

明治18年(1885年)5月尾崎紅葉が『我楽多文庫』筆写回覧本第一集から連載した初期の滑稽紀行文『江嶋土産滑稽貝屏風』によると明治17年(1884年)7月に石橋思案、紅葉、研池で江ノ島へ旅行した。[1]

明治19年(1886年)11月『我楽多文庫』活版非売本発行時同人の六人のうちの一人。[1]

後、陸軍省勅任技師となり、明治43年(1910年)には香港安南ベトナム)、シンガポールへ派遣されている。[1]

昭和5年(1930年)から朝鮮建築会二代目会長。昭和12年(1937年)11月時点では存命だった。[1]

作品

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研池の作品は非売本第九集(明治19年)と公売本第一号(明治21年)に狂句二句と落語一席のみ。[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『尾崎紅葉事典』翰林書房、2020年10月28日、150頁。 

参考文献

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  • 翰林書房『尾崎紅葉事典』