松平定休
表示
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
---|---|
生誕 | 宝暦2年7月25日(1752年9月3日) |
死没 | 文政3年7月7日(1820年8月15日) |
改名 | 吉十郎(幼名)、定奉、定休 |
別名 | 確翁(号) |
戒名 | 龍徳院殿堅誉利天確翁大居士 |
墓所 | 東京都江東区白河の霊巌寺 |
官位 | 従五位下内膳正、河内守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治→家斉 |
藩 | 伊予今治藩主 |
氏族 | 久松松平家定勝流 |
父母 | 父:松平定温、母:岡 |
兄弟 | 定休、常次郎、幾五郎、富子、遥、鶴、金 |
妻 | 正室:松平定静の娘・常 |
子 | 定剛、金之丞、定規、定亨、跡部良貞、池田政行、筍次郎、弓気多正明、釿次郎、衛、浜、熊、銀、歌、勝、村、民、錦、鋭 |
松平 定休(まつだいら さだやす)は、江戸時代中期から後期の大名。伊予国今治藩の第6代藩主。定房系久松松平家6代。官位は従五位下・内膳正、河内守。
生涯
[編集]宝暦2年(1752年)7月25日、第5代藩主・松平定郷の長男・定温の長男として誕生。父が宝暦12年(1762年)4月11日に早世し、祖父も宝暦13年(1763年)4月19日に死去したため、同年6月14日に嫡孫承祖して家督を継ぐ。
明和3年(1766年)12月に従五位下、内膳正に叙任、後に河内守に遷任した。藩政においては明和5年(1768年)に後堀新田、寛政元年(1789年)に向掘新田など、新田開発を行なって農業生産の安定化に努めた。寛政2年(1790年)4月5日、長男・定剛に家督を譲って隠居した。