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松平定休

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松平定休
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦2年7月25日1752年9月3日
死没 文政3年7月7日1820年8月15日
改名 吉十郎(幼名)、定奉、定休
別名 確翁(号)
戒名 龍徳院殿堅誉利天確翁大居士
墓所 東京都江東区白河霊巌寺
官位 従五位下内膳正河内守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治家斉
伊予今治藩
氏族 久松松平家定勝
父母 松平定温:岡
兄弟 定休、常次郎、幾五郎、富子、遥、鶴、金
正室松平定静の娘・
定剛、金之丞、定規定亨跡部良貞池田政行、筍次郎、弓気多正明、釿次郎、衛、浜、熊、銀、歌、勝、村、民、錦、鋭
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松平 定休(まつだいら さだやす)は、江戸時代中期から後期の大名伊予国今治藩の第6代藩主。定房系久松松平家6代。官位従五位下内膳正河内守

生涯

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宝暦2年(1752年)7月25日、第5代藩主・松平定郷の長男・定温の長男として誕生。父が宝暦12年(1762年)4月11日に早世し、祖父も宝暦13年(1763年)4月19日に死去したため、同年6月14日に嫡孫承祖して家督を継ぐ。

明和3年(1766年)12月に従五位下、内膳正に叙任、後に河内守に遷任した。藩政においては明和5年(1768年)に後堀新田、寛政元年(1789年)に向掘新田など、新田開発を行なって農業生産の安定化に努めた。寛政2年(1790年)4月5日、長男・定剛に家督を譲って隠居した。

文政3年(1820年)7月7日に死去した。享年69。

系譜

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