コンテンツにスキップ

常吉徳寿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
常吉徳寿

常吉 徳寿(つねよし とくじゅ、1879年明治12年)8月20日[1] - 1934年昭和8年)1月6日)は、日本大蔵官僚台湾総督府官僚。

経歴

[編集]

佐賀県東松浦郡浜崎村(現唐津市)出身[1]1904年(明治37年)、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[1]。大蔵省に入り、税務監督官を務めた後、中華民国財政部顧問となった[1]。その後、台湾総督府に転じ、専売局参事、新竹州知事、台中州知事を歴任、1928年(昭和3年)7月に専売局長となった[1]

1928年8月に退官した後は、自治研究会理事兼主任を務めた[1]

心臓病で療養中であったところ1934年(昭和8年)1月6日東京府滝野川区西ヶ原町(現東京都北区西ケ原)の自宅で死去、54歳[2]

宗教は禅宗[1]。趣味は撞球、短歌、囲碁[1]。四男四女あり[1]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i 帝国大学出身名鑑 1934, p. ツ(恒、常) ツ十九.
  2. ^ 常吉徳寿氏 督府元専売局長」『台南新報』台南活版社、1934年1月8日、2面。2024年6月13日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 校友調査会編『帝国大学出身名鑑』校友調査会、1934年。