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常吉 徳寿(つねよし とくじゅ、1879年(明治12年)8月20日 - 1934年(昭和8年)1月6日)は、日本の大蔵官僚。台湾総督府官僚。
佐賀県東松浦郡浜崎村(現唐津市)出身。1904年(明治37年)、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。大蔵省に入り、税務監督官を務めた後、中華民国財政部顧問となった。その後、台湾総督府に転じ、専売局参事、新竹州知事、台中州知事を歴任、1928年(昭和3年)7月に専売局長となった。
1928年8月に退官した後は、自治研究会理事兼主任を務めた。
心臓病で療養中であったところ1934年(昭和8年)1月6日、東京府滝野川区西ヶ原町(現東京都北区西ケ原)の自宅で死去、54歳[2]。
宗教は禅宗。趣味は撞球、短歌、囲碁。四男四女あり。
- 校友調査会編『帝国大学出身名鑑』校友調査会、1934年。
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五州三庁時代 |
- 服部仁蔵1920.9.1-1921.10.8
- 常吉徳寿1921.10.8-1922.5.15
- 梅谷光貞1922.5.15-1923.10.25
- 佐藤勧1923.11.3-1924.12.23
- 古木章光1924.12.25-1927.4.22
- 永山止米郎1927.4.22-1929.4.20
- 田端幸三郎1929.4.20-1931.5.8
- 野口敏治1931.5.8-1931.9.12
- 猪股松之助1931.9.12-1932.3.15
- 内海忠司1932.3.15-1935.9.2
- 増田秀吉1935.9.2-1936.10.16
- 赤堀鉄吉1936.10.16-1939.1.28
- 林田正治1939.1.28-1939.7.24
- 一番ヶ瀬佳雄1939.7.24-1940.5.25
- 宮木広大1940.5.25-1942.7.3
- 鈴木秀夫1942.7.13-1943.3.29
- 藤村寛太1943.3.29-1943.8.7
- 江藤昌之1943.8.7-1945.10.25
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五州三庁時代 |
- 加福豊次1920.9.1-1921.2.1
- 立川連1921.2.1-1922.5.15
- 常吉徳寿1922.5.15-1924.12.23
- 本山文平1924.12.25-1926.10.12
- 三浦碌郎1926.10.12-1927.7.27
- 佐藤続1927.7.27-1928.7.21
- 生駒高常1928.7.21-1929.7.9
- 水越幸一1929.7.9-1931.1.20
- 太田吾一1931.1.20-1932.3.15
- 竹下豊次1932.3.15-1935.1.15
- 日下辰太1935.1.15-1936.10.16
- 松岡一衛1936.10.16-1939.12.27
- 奥田達郎1939.12.27-1941.5.14
- 森田俊介1941.5.14-1944.3.20
- 清水七郎1944.3.20-1945.10.25
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