崔健
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崔 健 | |
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2007年 | |
基本情報 | |
生誕 | 1961年8月2日(63歳) |
出身地 | 中華人民共和国 北京市 |
ジャンル | ロック |
職業 | シンガーソングライター |
担当楽器 | ヴォーカル、ギター |
活動期間 | 1986年 - |
崔 健(ツイ・ジェン、拼音: 、日本語読み:さい けん、朝鮮語: 최건(チェ・ゴン)、1961年8月2日 – )は、中国の歌手、演奏家、作曲家。中国におけるロックンロール創始者の一人とみなされる。北京生まれで、北京育ちの朝鮮族でもある。
概要
[編集]崔健は中国ロック音楽界のパイオニア的存在であり、中国の大衆音楽にロックのスタイルを取り入れた最初の中国人アーティストである。代表曲『一無所有』(何もない)は、1980年代後半の中国を風靡した。
北京の朝鮮族音楽家の家庭に生まれた。母親は朝鮮舞踊団員で、父親はトランペット演奏の専門家だった。崔健も14歳でトランペットの演奏を始め、1981年に20歳で北京交響楽団に入団した。この頃、友人が香港から非合法に持ち込んできたロック・ミュージックに引かれ始め、ギター演奏も始めた。1986年、中国100人の歌手が参加する国際平和年の記念コンサートで『一無所有』を初めて披露して一挙にスターダムにのし上がった。翌年には交響楽団を辞め、1989年に第1集『新長征路上のロック』を出した。
1989年に、北京で天安門事件が起こった頃、人気の絶頂にあり、『一無所有』はストライキ学生たちの愛唱歌となった。崔健のコンサートは余りに人気があるため、中国共産党によって許可が下りないようになり、2003年まで大きなコンサートは開けなかった。しかも2003年に予定されたコンサートはSARSでキャンセルされたため、2004年3月に開かれたコンサートが活動再開第1弾となった。
2014年の春節前夜に行われる、中国中央電視台の番組『中国中央電視台春節聯歓晩会』に出演すると伝えられたが、直前になって出演を辞退した。
ディスコグラフィ
[編集]- 1989年 『新长征路上的摇滚』、日本版『俺には何もない (一無所有)』(1993) 東芝EMI
- 1991年 『解决』、日本版『解決』(1994) 東芝EMI
- 1994年 『红旗下的蛋』、日本版『ボールズ・アンダー・ザ・レッド・フラッグ』(1994) 東芝EMI
- 1998年 『无能的力量』
- 2005年 『给你一点颜色』
- 2015年 『光冻』
フィルモグラフィ
[編集]- 出演
- 1993年 『北京バスターズ』(原題:『北京杂种』)
- 2003年 『再見 また逢う日まで』(原題:『我的兄弟姐妹』)
- 監督
- 2014年 『藍い骨』(原題:『藍色骨頭』)
関連する著作
[編集]- 橋爪大三郎 『崔健 — 激動中国のスーパースター』 岩波ブックレット (1994) ISBN 4000032992
外部リンク
[編集]- 崔健公式サイト(中国語、英語)