岩野橋
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岩野橋 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 長野県長野市松代町岩野 - 篠ノ井横田 |
交差物件 | 千曲川 |
用途 | 道路橋 |
路線名 | 長野県道387号清野篠ノ井停車場線 |
管理者 | 長野県北信建設事務所 |
着工 | 1966年(昭和41年) |
竣工 | 1971年(昭和46年) |
開通 | 1972年(昭和47年)1月27日 |
座標 | 北緯36度33分43.8秒 東経138度9分26.6秒 / 北緯36.562167度 東経138.157389度 |
構造諸元 | |
形式 | ラーメン橋 |
材料 | プレストレスト・コンクリート |
全長 | 497.000 m |
幅 | 8.200 m |
最大支間長 | 67.000 m |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
岩野橋(いわのばし)は、長野県長野市松代町岩野 - 篠ノ井横田の千曲川に架かる長野県道387号清野篠ノ井停車場線の橋長497 m(メートル)のラーメン橋。
概要
[編集]現橋は長野県で初めてディビダーク式有ヒンジラーメン箱桁橋として施工され、設計に際して本形式で問題となる支間中央部に沈下に対して検討している。
- 形式 - PC有ヒンジラーメン箱桁橋
- 橋格 - 2等橋
- 橋長 - 497.000 m
- 支間割 - (47.000 m + 33.500 m) + 5×(2×33.500 m) + (33.500 m + 47.000 m)[注釈 1]
- 幅員
- 総幅員 - 8.200 m
- 有効幅員 - 7.5000 m
- 車道 - 6.000 m
- 歩道 - 両側0.750 m
- 架設工法 - ディビダーク工法(張出し架設工法)
歴史
[編集]かつて当地付近には千曲川を渡る雨宮の渡しがあった。これは第四次川中島の戦いで上杉軍が妻女山を下り、霧中に千曲川を渡り武田川を奇襲したこと[注釈 2]でことで知られる[1][2]。
1906年(明治39年)10月に橋長145 m、幅員2.4 mの板橋となり[3]、1910年(明治43年)10月に橋長145 m、幅員2.7 mの木造方杖橋となった[4]。その後、1936年(昭和11年)10月11日に橋長927 m、幅員4.5 mの木橋に架け替えられた[5]。
後に、千曲川低水敷にのみ架かる橋長140 m、幅員3.2 mの木橋となり、これは潜水橋で主桁が鉄線で連絡されて洪水時には橋梁が中央で別れて両岸で係留されるようになっていた。木床版は洪水前に水防台により撤去されていたが、極めて危険な作業であり1965年(昭和40年)頃から実施されなくなった[1]。
そのような背景の中、永久橋への架替運動が盛んになり1966年(昭和41年)に着手、1971年(昭和46年)に竣工、1972年(昭和47年)1月27日に開通した[1][2][6]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 青木潤『信濃路・橋の秘めごと』アース工房、1999年5月10日。ISBN 9784879470386。
- 宮尾房雄「橋めぐり にし ひがし 長野県の巻 岩野橋」(PDF)『虹橋』第32巻、日本橋梁建設協会、1985年1月、ISSN 0912-3938、2021年9月1日閲覧。
外部リンク
[編集]- 長野県長野建設事務所 - 橋梁管理者
- 空から眺める千曲川・犀川 千曲川上流 - 国土交通省北陸地方整備局千曲川河川事務所