富田浜
富田浜 | |
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国 | 日本 |
都道府県 | 徳島県 |
市町村 | 徳島市 |
地区 | 東富田地区 |
人口 | |
• 合計 | 84人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
770-0931 |
富田浜(とみだはま)は、徳島県徳島市の町名。東富田地区に属している。富田浜1丁目から富田浜4丁目まである。郵便番号は〒770-0931。
人口
[編集]世帯数 | 人口 | |
---|---|---|
1丁目 | 64 | 128 |
2丁目 | 15 | 29 |
3丁目 | 4 | 10 |
4丁目 | 1 | 1 |
計 | 84 | 168 |
地理
[編集]徳島市の中央部、都心地域(中心市街地)南部の東富田地区北縁に位置する。西に流れる新町川の南岸で東西に伸び、川沿いの通りの南側(一部で両側)に広がる。
西から1~4丁目。この丁番は、南の仲之町 (徳島市)・南仲之町の1~4丁目と東西の位置が揃っている。
北は西流する新町川に面し、対岸の南内町と、町内ないしすぐ傍の橋で結ばれる。南は仲之町の商店街に接す。南北は一部を除き、平行する裏通が町境となっている。南からは、南北に伸びる伊月町(富田浜1・2丁目間)・富田橋(富田浜2・3丁目間)も伸びている。富田橋との町境は込み入っているが、おそらく富田橋は途切れずに富田浜2丁目と3丁目を分断して新町川まで達している[3]。
東端では、南北に走るJR牟岐線が町境である。道はアンダーパスで線路の下をくぐり国道55号と十字路をなす。西は両国橋公園を隔てて両国橋に接する。
隣接する町
[編集]南 内 町 | ||||
かちどき橋 | 両国橋 | |||
富田浜 | ||||
伊月町 富田橋 仲 之 町 |
地形
[編集]- 河川:新町川
歴史
[編集]江戸時代には武家町で、富田浜側あるいは単に浜側と呼ばれた。東端から富田東御屋敷・西御屋敷・中老蜂須賀伊豆の屋敷などが並んだ。中央で渡場通(現 富田橋通り)が南から丁字路で接続して、現在の富田橋の位置から新町川に渡し舟が出ていた。
1889年の徳島市市制施行前は、名東郡富田浦町だった。市制により徳島市の大字となった。
1885年、県立徳島中学校(徳中、現 徳島県立城南高等学校)が現在の市役所の位置から西御屋敷跡に移転して来た。東隣の東御屋敷跡は徳中の運動場となった[4]。
徳中西隣の蜂須賀伊豆屋敷跡は県公会堂となり、のちに徳島公園内に移築され、武徳殿(のちの旧武道館)となった。跡地は県庁となった[4](現在の県庁所在地とは異なる)。
もとは富田のちに富田浦町(江戸時代には富田、明治初期までに名東郡富田浦町、1889年の徳島市市制から徳島市の大字の富田浦町)の一部だったが、1941年に独立した町となった。町名の由来は、富田北東部が新町川の川沿いに面したことによる。1942年に船場町の一部を編入。1975年に両国橋の一部を編入。
施設
[編集]- 史跡・観光
- 学校
- 企業
- 公共施設
- 宗教施設
- 浄土真宗本願寺派徳島教室
交通
[編集]町内に国道・県道・鉄道・バス停なし。
橋梁
[編集]橋 | 河川 | 富田浜側 | 対岸 | 道路 | 備考 |
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新町川 | 1丁目 | 南内町 | 閉鎖中の歩行者専用水道橋。 | ||
富田橋 | 新町川 | 2丁目 | 南内町 | 富田浜に位置するか不明瞭[5]。 |
参考文献
[編集]- 『角川日本地名大辞典 36 徳島県』(1986年 ISBN 4040013603)