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女流育成会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

女流育成会(じょりゅういくせいかい)は、かつて存在していた将棋女流棋士育成を目的とした日本将棋連盟の機関。1984年から数回の制度変更を経て2009年3月まで運営。その後はその役割は研修会に移行した。

概要

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1974年の女流棋士制度発足以降、アマチュア棋戦で活躍するなどある程度の棋力が認められ、プロ棋士の推薦があれば女流プロになれた。しかしより充実した女流棋界を確立させるために、成績優秀な女流棋士の育成が不可欠となり、理事会などで男性の奨励会と同じように、ある程度の棋力を担保するための女流棋士育成機関を設けることが急務となった結果、1984年4月に女流育成会が創設された[1]

第1回の女流育成会には女流アマ名人戦優勝者・清水市代をはじめ、大庭美夏大庭美樹鹿野圭生高群佐知子、田中ひろ子、冨田詣子、吉川美喜子、渡辺マリア[2]の女性9名が参加[1][3]

しかし2000年以降は入会者の減少により会員は10人前後で推移。また女性アマチュア同士で戦って昇級者を決めるシステムでは結果的にプロとの実力差の隔たりを埋める事が出来ず、2009年時点で女流育成会出身者の若手の多くがタイトル戦線に絡めないなど女流プロとしての水準を保つのが難しくなっていた。そのため日本将棋連盟理事会は、経費負担軽減と女流棋士の棋力一定化のため、2008年度末をもって女流育成会を廃止し、女流のレベルアップを目的として女流棋士志望者を男女混合の研修会に移行し、2009年4月からその成績によって女流棋士資格を与える仕組みに変更した[4]

システム

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入会資格者は29歳までの女性。師匠1名(正会員の棋士、もしくは女流初段以上または在籍10年以上の女流棋士)が必要。

女流育成会のシステムは数年おきに大幅に変更されているが、基本的には奨励会の三段リーグなどと同様に女流育成会員同士でリーグ戦を行い、成績最上位のものが昇級する。同率のものが複数出たときは、前期の成績によって決定されている順位によって昇級者を定める。いずれも途中からの参加は不可。

1984年度から1989年度まで

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  • 春に始まる年1回のリーグ戦で、それぞれの対局者が3回ずつ対局する方式。
  • 1984年の最初期は女流育成会の上位者と女流棋士の成績下位者で入れ替え戦を実施[5]。女流育成会優秀者が勝利した場合、正式に女流2級になれる[注釈 1]
  • 1989年度までは原則として上位2名が、女流3級(仮会員)として翌期の女流名人戦B級リーグ、女流王将戦B級リーグに編入でき、年度の通算で指し分け以上で女流2級になれる。
  • 女流3級になった後に、上記2つのリーグの通算で指し分け以下の場合は女流育成会に降格。また女流2級になった後でも降級点を3回取ると女流育成会に降格。この時に女流育成会行きを拒否すると現役引退になる[注釈 2]

1990年度から1991年度まで

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  • 基本的にはこれまでの制度を踏襲するが、仮会員制度である女流3級を廃止し、女流2級として即正式な女流棋士となる。

1992年度前期から1996年度前期まで

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  • 春秋の年2回のリーグ戦で、各対局者と2回ずつ対局する方式に変更。
  • 各リーグの上位1名が女流2級として正式な女流棋士となる。

1996年度後期から2003年度前期まで

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  • 女流育成会会員はAクラス・Bクラスに分けられ、新規会員はまずBクラスよりスタートし、勝ち星により順位をつける。
  • Bクラス1位になるとAクラスに昇級。さらにAクラス1位になると女流2級として女流棋士になれる。ただし、制度開始後数年は昇級者が2名のときや降級者(AクラスからBクラスに降級する)が発生するなどしている[6][7]
  • 18局を超えない範囲で総当たりのリーグ戦が組まれる。7名以下のときは同一相手と3局、8名以上10名以下のときは2局、11名以上のときは1局ずつ対戦するようになっている[注釈 3]
育成会規定(2003年度前期時点[8]
年齢制限
1.30歳の誕生日を迎えて新たな育成会リーグに参加することはできず、自動的に退会となる。なお、リーグ戦途中で誕生日を迎えた場合、その期は有功である。
2.但し、上記対象者の最後のリーグ戦がAクラスでかつ勝ち越している者については、次の期に参加することができる。同様に勝ち越しを続けた場合、6期(3年)まで延長を認める。(33歳の誕生日を迎えるまで勝ち越し延長が可能)
昇降級システム
1.Aクラスリーグ成績優秀者1名は女流2級に昇級する。
2.AクラスからBクラスへの降級は「勝率2割5分以下の成績を2期連続とった者」とする。
3.BクラスからAクラスへの昇級は9名以下のリーグ戦の時は1名、10名以上の時は2名とする。

2003年度後期から2008年度後期まで

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2003年度前期までのAクラスとBクラスを統合し一つのクラスで実施。

育成会規定(2003年度後期以降[9]
年齢制限
1.30歳の誕生日を迎えて新たな育成会リーグに参加することはできず、自動的に退会となる。なお、リーグ戦途中で誕生日を迎えた場合、その期は有効である。
2.但し、上記対象者の最後のリーグ戦が昇級点を持ち、かつ勝ち越ししている者については、次の期に参加することができる。同様に勝ち越しを続けた場合、6期(3年)まで延長を認める。(33歳の誕生日を迎えるまで勝ち越し延長が可能)
昇降級システム
平成15年前期終了時に旧Aクラス在籍者(Bクラス優勝者を含む)に昇級点を付ける。
1.昇級点を2個取った者は女流2級へ昇級する。
2.リーグ戦、成績上位1名(優勝)に昇級点1個をつける。昇級点を持った人が優勝した場合、昇級点を持たない人の中から上位1名に昇級点を付ける。(ただし、勝率6割以上が条件)・昇級点を持たない人が10名以上の場合は上位2名に昇級点を付ける。(ただし、勝率6割以上が条件)
3.1度取った昇級点は消えない。
  • 女流育成会会員全員による総当たり戦で対局を行い、勝ち星により順位をつける方式に変更。参加者が10名以下のときは2局ずつ行うのは、Aクラス・Bクラスに分かれていたときと同じ。
  • 1位に昇級点をつけ、昇級点2個を獲得すると女流2級として女流棋士になる。
  • 新規女流棋士が誕生した場合は、昇級点を持たない者の中で成績上位のもの1名(昇級点を持たない者が10名以上いる場合には2名)に新たに昇級点をつける。ただし勝率6割未満の者は除かれる。
  • 30歳を迎えると新たな期には参加できない。ただしその者が昇級点を持っており、勝ち越しを続けた場合には6期3年まで延長が認められる。
  • 2003年度前期までの段階でA級に所属していたものには昇級点1を開始時点で付与している。

「女流育成会」の廃止後(2009年度以降)

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  • 「女流育成会」在籍者は「研修会」の各クラスへと編入された。
  • 新たな資格として「女流棋士仮会員」を新設(2009年4月新設、同年7月に「女流3級」へと名称変更)。
  • 「女流3級」は、条件を満たす成績を挙げて期限内に女流2級への昇級を果たさなければ、その資格を取消される。
  • 「女流3級」制度は2018年4月の制度改正後に、経過措置を経て廃止された[10]

女流育成会出身者

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女流育成会から女流デビューした者

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1986年から1989年までは女流2級ではなく女流3級(仮会員)としてデビュー、その後既定の成績を上げて正式な女流棋士となった。

No 女流棋士 女流3級 昇級日 入会日 備考
01 清水市代 1985年04月01日
(女流2級)
1984年04月 入れ替え戦により女流2級[注釈 1]
02 高群佐知子 1986年03月01日 1984年04月 1987年4月1日 女流初段。
03 斎田晴子 1986年04月01日 1985年04月 1987年4月1日 女流1級。
04 横山澄恵 1987年03月01日 1985年04月 1度の降格を経て、1989年3月1日 女流1級。
05 鹿野圭生 1987年03月01日 1984年04月 1度の降格を経て、1989年3月1日 女流1級。
06 植村真理 1988年03月 1987年03月 1989年3月1日 女流1級。
07 船戸陽子 1988年03月17日 1986年04月 1度の降格を経て、1990年3月 女流1級。
No 女流棋士 女流2級 昇級日 入会日 【以下 女流3級(仮会員)制度廃止】
08 大庭美樹 1990年04月01日 1984年04月
09 古河彩子 1991年03月01日 1987年03月
10 高橋和 1991年03月01日 1988年04月
No 女流棋士 女流2級 昇級日 入会日 【これより年2回のリーグ】
11 林まゆみ 1992年04月01日 1991年04月
12 本田小百合 1992年04月01日 1990年04月
13 久津知子 1992年10月01日 1990年04月
14 矢内理絵子 1993年04月01日 1990年04月
15 石橋幸緒 1993年10月01日 1993年04月 1期抜け。
16 中倉彰子 1994年04月01日 1992年10月
17 碓井涼子 1994年10月01日 1994年04月 奨励会在籍中に入会[注釈 4]。1期抜け。
18 伊藤明日香 1995年04月01日 1993年04月
19 木村さゆり 1995年10月01日 1995年04月 奨励会退会後に入会。
20 中倉宏美 1995年10月01日 1991年04月
21 島井咲緒里 1996年04月01日 1995年04月 2期抜け。
22 早水千紗 1996年10月01日 1996年04月 1期抜け。
23 甲斐智美 1997年04月01日 1995年10月
No 女流棋士 女流2級 昇級日 入会日 【これより2クラス制(Aクラス・Bクラス)導入】
24 比江嶋麻衣子 1997年10月01日 1996年04月 [11]
25 安食総子 1998年04月01日 1992年04月 [7]
26 大庭美夏 1998年04月01日 1984年04月 2期連続次点で昇級[12]。育成会在籍14年は最長。 [7]
27 藤田綾 1998年10月01日 1997年04月 史上最年少11歳6ヶ月での女流2級昇級。 [13]
28 上川香織 1999年04月01日 1997年04月 [14]
29 野田澤彩乃 1999年10月01日 1997年10月 [15]
30 山田朱未 2000年04月01日 1997年10月 [16]
31 北尾まどか 2000年10月01日 1997年10月 [17]
32 上田初美 2001年04月01日 1995年10月 7歳での入会は史上最年少。 [18]
33 坂東香菜子 2001年10月01日 1997年10月 [19]
34 村田智穂 2002年04月01日 2000年04月 [20]
35 鈴木環那 2002年10月01日 1997年10月 [21]
36 中村真梨花 2003年04月01日 1998年04月 [22]
37 貞升南 2003年10月01日 2000年04月 [23]
No 女流棋士 女流2級 昇級日 入会日 【これより「女流育成会」在籍全員による総当たり制】
(昇級点2回で昇級)
- - (2004年4月1日) - (2003年度後期 昇級者なし=制度改正1期目) [24]
38 里見香奈 2004年10月01日 2003年10月 2期抜け。 [25]
39 井道千尋 2005年04月01日 2003年04月 [26]
40 室田伊緒 2005年10月01日 2004年10月 2期抜け。 [27]
- - (2006年4月1日) - (2005年度後期 昇級者なし) [28]
41 伊奈川愛菓 2006年10月01日 2003年10月 [29]
42 熊倉紫野 2007年04月01日 2002年10月 [30]
43 中村桃子 2007年10月01日 1997年10月 [31]
44 山口恵梨子 2008年04月01日 2003年04月 [32]
45 香川愛生 2008年10月01日 2007年04月 [33]
46 渡辺弥生 2009年04月01日 2006年04月 「女流育成会」から女流2級への最後の昇級者。 [34]

女流育成会から研修会を経て女流デビューした者

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No 女流棋士 女流2級 昇級日 女流3級 昇級日 「研修会」編入
(2009年4月 / 編入先クラス)
「女流育成会」
入会日
備考
1 室谷由紀 2010年07月17日 2009年10月01日 2009年4月 研修会D1に編入 2008年10月
2 相川春香 2013年08月17日 2011年10月01日 2009年4月 研修会D2に編入 2006年04月
3 飯野愛 2013年10月01日 2013年06月23日 2009年4月 研修会D2に編入 2006年04月
4 高浜愛子 2016年02月15日 2014年04月01日 2009年4月 研修会D1に編入 2003年10月
5 堀彩乃 2017年03月13日 2016年08月15日 2009年4月 研修会E1に編入 2008年04月 「女流育成会」出身者としては最後

その他

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脚注

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出典

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  1. ^ a b 近代将棋 1999年1月号「蛸島彰子と女流棋界の歩み」』104-105頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵
  2. ^ 女流育成会の初期メンバーの渡辺マリアはルーマニア出身。
  3. ^ 近代将棋 1984年5月号「棋界パトロール・女流Cクラス創設(小林勝)」』65-68頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵
  4. ^ 女流プロ昇格、厚い壁 将棋連盟新制度、1年余で1人だけ
  5. ^ 近代将棋 1984年5月号「棋界パトロール・女流Cクラス創設」』、65-68頁https://dl.ndl.go.jp/pid/6047121/1/35  - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵
  6. ^ 1998年4月に女流2級に昇級した大庭美夏は、女流育成会Aクラスで「2期連続の次点でかつ2期の通算成績が勝率が0.750以上である」との規定を満たして理事会の承認で女流棋士2級に昇級した一例である。
  7. ^ a b c 平成9年度後期女流育成会 Aクラス”. 日本将棋連盟. 1998年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月16日閲覧。
  8. ^ 奨励会・育成会”. 日本将棋連盟. 2003年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月16日閲覧。
  9. ^ 奨励会・育成会”. 日本将棋連盟. 2003年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月16日閲覧。
  10. ^ 2018年6月に経過措置が適用された田中沙紀が最後の「女流3級」である。田中は2020年8月に期限経過により「女流3級」取り消しとなり一度「研修会」を退会し、のちに別地区の「研修会」に再入会した。
  11. ^ 平成9年度前期女流育成会 Aクラス”. 日本将棋連盟. 1998年2月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月16日閲覧。
  12. ^ 「2期連続の次点でかつ2期の通算成績が勝率が0.750以上である」との規定を満たして理事会の承認で女流棋士2級に昇級。
  13. ^ 平成10年度前期女流育成会 Aクラス”. 日本将棋連盟. 1998年12月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月16日閲覧。
  14. ^ 平成10年度後期女流育成会 Aクラス”. 日本将棋連盟. 2000年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月16日閲覧。
  15. ^ 平成11年度前期女流育成会 Aクラス”. 日本将棋連盟. 2000年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月16日閲覧。
  16. ^ 平成11年度後期女流育成会 Aクラス”. 日本将棋連盟. 2000年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月16日閲覧。
  17. ^ 平成12年度前期女流育成会 Aクラス”. 日本将棋連盟. 2000年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月16日閲覧。
  18. ^ 2000年度後期女流育成会Aクラス”. 日本将棋連盟. 2023年5月16日閲覧。
  19. ^ 2001年度前期女流育成会Aクラス”. 日本将棋連盟. 2023年5月16日閲覧。
  20. ^ 2001年度後期女流育成会Aクラス”. 日本将棋連盟. 2023年5月16日閲覧。
  21. ^ 2002年度前期女流育成会Aクラス”. 日本将棋連盟. 2023年5月16日閲覧。
  22. ^ 2002年度後期女流育成会Aクラス”. 日本将棋連盟. 2023年5月16日閲覧。
  23. ^ 2003年度前期女流育成会Aクラス”. 日本将棋連盟. 2023年5月16日閲覧。
  24. ^ 2003年度後期女流育成会”. 日本将棋連盟. 2023年5月16日閲覧。
  25. ^ 2004年度前期女流育成会”. 日本将棋連盟. 2023年5月16日閲覧。
  26. ^ 2004年度後期女流育成会”. 日本将棋連盟. 2023年5月16日閲覧。
  27. ^ 2005年度前期女流育成会”. 日本将棋連盟. 2023年5月16日閲覧。
  28. ^ 2005年度後期女流育成会”. 日本将棋連盟. 2023年5月16日閲覧。
  29. ^ 2006年度前期女流育成会”. 日本将棋連盟. 2023年5月16日閲覧。
  30. ^ 2006年度後期女流育成会”. 日本将棋連盟. 2023年5月16日閲覧。
  31. ^ 2007年度前期女流育成会”. 日本将棋連盟. 2023年5月16日閲覧。
  32. ^ 2007年度後期女流育成会”. 日本将棋連盟. 2023年5月16日閲覧。
  33. ^ 2008年度前期女流育成会”. 日本将棋連盟. 2023年5月16日閲覧。
  34. ^ 2008年度後期女流育成会”. 日本将棋連盟. 2023年5月16日閲覧。
  35. ^ 『将棋世界』伊藤果「詰将棋サロン解説」1997年1月号

注釈

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  1. ^ a b 初年度の女流育成会リーグで成績優秀者だった清水市代が女流棋戦で成績下位だった寺下紀子との入れ替え戦で勝利して女流2級としてデビュー。一方寺下は女流育成会行きを拒否し引退した。
  2. ^ リーグ下位成績者2名には降級点がつけられていた。この制度により、女流棋士制度創設時に女流棋士になった村山幸子が1989年、女流育成会行きを拒否し引退した。
  3. ^ 近代将棋2007年12月号、135ページで2007年度後期のリーグ戦参加者が10名となったため「規定により先後で2回ずつ当たる18回戦のリーグとなった」と記されている。
  4. ^ 矢内理絵子甲斐智美は女流育成会卒業後に女流棋士になってから奨励会に入会。また木村さゆりは奨励会退会後に女流育成会に入会していたため、奨励会と女流育成会に同時に入会していたのは碓井だけである。

参考文献

[編集]
  • 蛸島彰子と女流棋界の歩み 『近代将棋』1999年1月号
  • 特集、女流棋界 『将棋世界』1988年5月号

外部リンク

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