コンテンツにスキップ

大龍隆寛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大龍 隆寛(だいりゅう たかひろ、1944年10月15日 - 1999年7月27日[1])は、三重県鈴鹿市出身で友綱部屋に所属した元大相撲力士。本名は的場 猛(まとば たけし)。175cm、145kg。最高位は東十両6枚目。得意技は押し、右四つ。

来歴

[編集]

1961年5月場所に初土俵。入門してから約1週間の間は気の小ささからか、淋しくて寝られなかったこともあった。1966年3月場所に十両昇進。以後十両を11場所務めたが、腰の重さと粘り強さに頼り過ぎる消極的な取り口であったせいか、負傷が多かった。特に、1970年1月場所で右足首を骨折してからは休場が続き、1970年5月場所限りで25歳で廃業。廃業後は1972年から鈴鹿市で肉料理店「まと場」を経営した。 1999年7月27日肝硬変のため死去した[2]

主な成績

[編集]
  • 通算成績:244勝194敗28休 勝率.557
  • 十両成績:74勝80敗11休 勝率.481
  • 現役在位:55場所
  • 十両在位:11場所

場所別成績

[編集]
大龍 隆寛
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1961年
(昭和36年)
x x (前相撲) 東序ノ口20枚目
5–2 
西序二段52枚目
5–2 
東三段目113枚目
6–1 
1962年
(昭和37年)
東三段目51枚目
3–4 
東三段目57枚目
4–3 
東三段目46枚目
4–3 
東三段目40枚目
4–3 
西三段目30枚目
3–2–2 
西三段目33枚目
4–3 
1963年
(昭和38年)
東三段目26枚目
6–1 
東幕下85枚目
2–5 
東三段目16枚目
6–1 
東幕下72枚目
5–2 
西幕下49枚目
3–4 
西幕下58枚目
4–3 
1964年
(昭和39年)
東幕下51枚目
5–2 
東幕下37枚目
5–2 
西幕下23枚目
4–3 
東幕下21枚目
2–4–1 
西幕下34枚目
3–4 
東幕下39枚目
5–2 
1965年
(昭和40年)
東幕下27枚目
5–2 
東幕下15枚目
4–3 
東幕下10枚目
4–3 
西幕下8枚目
5–2 
西幕下4枚目
4–3 
東幕下2枚目
4–3 
1966年
(昭和41年)
東幕下2枚目
5–2 
西十両18枚目
8–7 
西十両16枚目
9–6 
西十両14枚目
8–7 
西十両11枚目
6–9 
西十両16枚目
1–9–5[3] 
1967年
(昭和42年)
西幕下16枚目
4–3 
東幕下13枚目
5–2 
東幕下16枚目
5–2 
西幕下4枚目
4–3 
西幕下筆頭
2–5 
西幕下7枚目
4–3 
1968年
(昭和43年)
西幕下4枚目
3–4 
東幕下8枚目
3–4 
西幕下10枚目
4–3 
東幕下6枚目
4–3 
東幕下4枚目
4–3 
西幕下2枚目
4–3 
1969年
(昭和44年)
東幕下2枚目
5–2 
西十両11枚目
9–6 
東十両6枚目
6–9 
西十両10枚目
8–7 
西十両8枚目
8–7 
東十両6枚目
6–9 
1970年
(昭和45年)
西十両10枚目
5–4–6[4] 
西幕下2枚目
休場
0–0–7
東幕下28枚目
引退
0–0–7
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴

[編集]
  • 的場(まとば)1961年5月場所 - 1964年7月場所
  • 的場山(まとばやま)1964年9月場所
  • 大竜 隆寛(だいりゅう たかひろ)1964年11月場所 - 1966年11月場所
  • 大龍 隆寛(だいりゅう たかひろ)1967年1月場所 - 1970年1月場所
  • 初無双(はつむそう)1970年3月場所 - 1970年5月場所

参考文献

[編集]
  • 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709

出典

[編集]
  1. ^ 相撲人名鑑(大龍 隆寛)
  2. ^ 相撲1999年9月号77P、ベースボール・マガジン社
  3. ^ 左膝関節捻挫により初日から休場、6日目から出場
  4. ^ 右足首関節骨折により9日目から途中休場

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]