大村純保
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保19年2月22日(1734年3月26日) |
死没 | 宝暦10年12月16日(1761年1月21日) |
改名 | 幾之助、純保 |
戒名 | 高燿院源明浄翁日鑑大居 |
墓所 |
東京都港区高輪の承教寺 東京都大田区の池上本門寺 |
官位 | 従五位下弾正少弼 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家重→家治 |
藩 | 肥前大村藩主 |
氏族 | 大村氏 |
父母 | 父:大村純富、母:家臣大村友晴の養女(京の笹井氏の娘) |
兄弟 | 純保、采女 |
妻 | 正室:植村家包の娘 |
子 | 純将、純鎮 |
大村 純保(おおむら すみもり)は、江戸時代中期の大名。肥前国大村藩の第8代藩主。官位は従五位下・弾正少弼。
略歴
[編集]享保19年(1734年)2月22日、第7代藩主・大村純富の長男として大村にて誕生した。幼名は幾之助。
寛延元年(1748年)に父の死去により跡を継いだ。藩庁であった玖島城の石垣修理の許可を幕府に求めていたが、宝暦5年(1755年)6月に許可が降りた。
宝暦10年(1760年)12月16日に江戸にて27歳で死去し、次男の純鎮が跡を継いだ。墓所は東京都港区高輪の承教寺、東京都大田区の池上本門寺。
系譜
[編集]父母
正室
- 植村家包の娘
側室
- 針尾氏
子女