コンテンツにスキップ

古今亭今輔 (2代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2代目 古今亭ここんてい 今輔いますけ
本名 名見崎 栄次郎
別名 めっかち
生年月日 1859年11月
没年月日 1898年10月23日
出身地 日本の旗 日本江戸
師匠 2代目古今亭志ん生
弟子 4代目五明楼玉輔
3代目古今亭志ん生
4代目古今亭志ん生
雷門→春雨家雷蔵
名跡 1. 古今亭志ん丸
(1874年 - 1882年)
2. 古今亭志ん多
(1882年)
3. 五明楼今輔
(1882年 - 1885年)
4. 2代目古今亭今輔
(1885年 - 1898年)
活動期間 1874年 - 1898年
活動内容 江戸落語
音曲噺
所属 柳派

2代目 古今亭 今輔(ここんてい いますけ、安政6年(1859年11月) - 明治31年(1898年10月23日)は、落語家。本名は、名見崎 栄次郎。右目が不自由であったことから「めっかちの今輔」と呼ばれた。

来歴・人物

[編集]

江戸の生まれ、父は富本節三味線の家元であった検校・名見崎喜惣次。幼少から三味線の稽古をさせられ、父の業受け継ぐはずだったが、富本が廃れてきたため、1874年に16歳で2代目古今亭志ん生の門下になり志ん丸から志ん多(志ん太と表記はいろいろ)、1882年3年ころに五明楼今輔を経て1885年3月の下席から真打昇進し2代目古今亭今輔を襲名した。

中入前の落語家で、話は甘し声は能し、仮声は上手に用ふ愛嬌者、古今亭今輔は、今度、愈よ真打と成り、来月十六日の夜より神田の白梅亭へ出るのが初高座、その興行には後見として燕枝柳枝も助るので、贔屓連は背後幕だのビラだとの、今輔は今から大騒ぎ(『絵入自由新聞』明治十八年二月二十二日)とある。

今輔は1894年5月、柳派の改革をめぐって3代目柳亭燕路と派を飛び出し、端席に立てこもったりもした、一時四天王初代三遊亭萬橘初代三遊亭圓遊4代目橘家圓太郎4代目立川談志)向こう張る人気もあったという。

得意ネタは主に三味線を幼少から稽古していたことから音曲の弾き語りを得意とした。1898年10月23日、38歳で死去。

弟子には4代目五明楼玉輔3代目古今亭志ん生4代目古今亭志ん生雷門(後に春雨家)雷蔵(田中巳之助)、今作、小今らがいる。

出典

[編集]