協和駅
表示
協和駅 | |
---|---|
プラットフォームと駅舎(1989年3月) | |
きょうわ Kyōwa | |
◄中標津 (5.4 km) (6.7 km) 春別► | |
所在地 | 北海道標津郡中標津町字協和 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 標津線(支線) |
キロ程 | 5.4 km(中標津起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1957年(昭和32年)12月25日[1] |
廃止年月日 | 1989年(平成元年)4月30日[1] |
備考 | 標津線廃線に伴い廃駅 |
協和駅(きょうわえき)は、北海道標津郡中標津町字協和にかつて設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)標津線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲111721[2]。
歴史
[編集]中標津駅・春別駅まで遠く不便であるとして、当地住民の運動によって設置された[3]。
- 1957年(昭和32年)12月25日 - 日本国有鉄道(国鉄)の標津線の駅として、中標津駅 - 春別駅間に開業[1]。旅客のみ取り扱い[1]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR北海道に継承[1]。
- 1989年(平成元年)4月30日 - 標津線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]。
駅名の由来
[編集]地名より[4]。当地の集落は1928年(昭和3年)の形成当初は「東雲(しののめ、明け方の意)」「寧楽(ねいらく、安楽の意)」「春別」の3地区に区分されていたが、不便であるとして「協心同力の精神によって地域の振興を図ろう」との意で「協和」と名付けられた[5][4]。
駅構造
[編集]廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する無人駅であった。ホームは木造木板張りの簡易型で、構内の南西側(中標津方面に向かって左側)に存在した。また、中標津側に有ったホームへの階段近くには待合室が置かれていた。
利用状況
[編集]当駅の設置と前後して自家用車が普及し、利用者は1日数人であった[3]。
乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | |||
1978年(昭和53年) | 11 | [6] |
駅周辺
[編集]- 根室交通「協和」停留所
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、928頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、247頁。doi:10.11501/1873236 。2023年4月2日閲覧。
- ^ a b 中標津町史編さん委員会 編『中標津町史』中標津町、1981年、1201-1202頁。doi:10.11501/9570446 。2023年4月15日閲覧。
- ^ a b 札幌鉄道局 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、169頁。NDLJP:1029473。
- ^ 中標津町史編さん委員会 編『中標津町史』中標津町、1981年、88-89頁。doi:10.11501/9570446 。2023年4月15日閲覧。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、918頁。doi:10.11501/12065814 。
関連項目
[編集]