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出井兵吉

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出井兵吉

出井 兵吉(いでい ひょうきち、1871年8月6日明治4年6月20日[1])- 1960年昭和35年)8月14日[1])は、日本の政治家実業家衆議院議員(6期)、立憲政友会総務、羽生市初代市長等を歴任。

経歴

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武蔵国埼玉郡下羽生村(のち埼玉県北埼玉郡須影村、現:羽生市)で、地主・出井熊吉の三男として生まれる[1]慶應義塾大学を2年で中退し[1]農業を営む。のち埼玉新聞社を経営。

北埼玉郡会議員、須影村会議員、須影村村長を経て、埼玉県会議員、同副議長、同議長などを務めた。1928年(昭和3年)2月20日の第16回衆議院議員総選挙立憲政友会の推薦を受けて当選。以後、1942年(昭和17年)4月の第21回総選挙まで連続6回の当選を果し政友会総務を歴任。戦後は日本進歩党結党に加わるも公職追放となり[2]1951年に追放解除[3]の後1954年に羽生市が成立すると初代市長に選任され1期務めた。

その他、人事調停委員、小作調停委員、土木会議議員などを歴任し、埼玉県においては町村長会会長、山林会副議長、教育会副会長、村農会長、北埼玉養蚕業組合長などを歴任。

秩父鉄道取締役、行田運送倉庫、合同運送株式会社社長も務めた。

脚注

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  1. ^ a b c d 『埼玉人物事典』90-91頁。
  2. ^ 公職追放の該当事項は「推薦議員」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、141頁。NDLJP:1276156 
  3. ^ 『毎日新聞』1951年8月7日二面「第二次追放解除者氏名」

参考文献

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  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 埼玉県教育委員会編『埼玉人物事典』埼玉県、1998年。
  • 新訂 政治家人名事典 明治~昭和』(2003年、編集・発行 - 日外アソシエーツ、57頁)