八戸市立市民病院
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八戸市立市民病院 | |
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情報 | |
英語名称 | Hachinohe City Hospital |
前身 | 三八城病院 |
標榜診療科 | 内科、呼吸器科、消化器科、循環器科、小児科、外科、小児外科、形成外科、呼吸器外科、脳神経外科、心臓血管外科、整形外科、リハビリテーション科、皮膚科、泌尿器科、産科、婦人科、耳鼻いんこう科、眼科、精神科、神経内科、麻酔科、放射線科、歯科口腔外科 |
許可病床数 |
628床 一般病床:572床 精神病床:50床 感染症病床:6床 |
職員数 | 1221人 |
機能評価 | 一般病院2 3rdG:Ver.2.0 |
開設者 | 八戸市 |
管理者 |
今 明秀(事業管理者) 水野 豊(院長) |
地方公営企業法 | 全部適用 |
開設年月日 | 1958年11月 |
所在地 |
〒031-8555 |
位置 | 北緯40度29分36秒 東経141度30分48秒 / 北緯40.49333度 東経141.51333度 |
二次医療圏 | 八戸[2] |
PJ 医療機関 |
八戸市立市民病院(はちのへしりつしみんびょういん)は、青森県八戸市にある医療機関。八戸市立市民病院事業の設置及び経営の基本に関する条例(昭和41年12月26日条例第57号)に基づき設置された市立の病院である。八戸市民からは「市民病院」と呼ばれている。
県内各地方の一次医療圏・二次医療圏に対し、八戸市立市民病院と県庁所在地である青森市の青森県立中央病院が救命救急センターを擁する二次医療圏の中核病院としてカバーし、最終的に弘前大学医学部附属病院が高度救命救急センターを擁する三次医療圏の中核病院[3][4]としてカバーするという体制になっている(総合周産期母子医療については青森県立中央病院が頂点となる[5])。また、八戸圏域内では八戸市立市民病院・八戸赤十字病院・青森労災病院の三大病院が相互補完する体制になっている[6]。
沿革
[編集]- 1958年11月 青森県厚生農業協同組合連合会経営の三八城病院(みやぎびょういん[7][8])を買収し、市民病院として発足する。当時は現在の長者まつりんぐ広場に存在した。
- 1962年9月 第一期拡張工事が完成する。
- 1965年7月 第二期拡張工事が完成。総合病院に指定される。
- 1968年8月 第三期拡張工事が完成する。
- 1974年9月 放射線同位元素治療棟工事が完成する。
- 1978年1月 研究宿舎棟の建設工事が完成する。
- 1979年3月 手術棟の建設工事が完成する。防災設備第一期工事(スプリンクラー)が完成する。
- 1979年9月 防災設備第二期工事(スプリンクラー)が完成する。
- 1979年10月 医事業務の電算化を実施する。
- 1980年10月 薬局棟の増築および外来ホールの拡張工事が完成する。
- 1997年8月29日 地域災害拠点病院に指定される[9]。
- 1997年9月 常泉下の旧院から現在地に移転し、開院[10]。
- 2009年3月 国内15番目のドクターヘリ基地病院として運航を開始する。
- 2010年3月 ドクターカーを配備し、八戸広域市町村圏事務組合管内での運用を開始する。
- 2012年10月 ドクターヘリ事業が青森県立中央病院との共同運航体制から2機相互協力運航体制になる。
診療科
[編集]- 消化器科・内科
- 消化器内視鏡科
- 化学療法科
- 循環器科・内科
- 呼吸器科・内科
- 腎臓内科
- 内分泌糖尿病科・内科
- 神経内科
- 小児科
- 外科
- 小児外科
- 形成外科
- 脳神経外科
- 心臓血管外科
- 整形外科
- リハビリテーション科
- 皮膚科
- 泌尿器科
- 産科
- 婦人科
- 耳鼻咽喉科
- 眼科
- 精神神経科
- 麻酔科
- 放射線科
- 歯科口腔外科
病院機能
[編集]金融機関
[編集]- ATMコーナー
交通機関
[編集]脚注
[編集]- ^ 八戸市立市民病院 | 八戸市立市民病院住所の変更について
- ^ 八戸地域保健医療圏域(青森県)
- ^ 被ばく医療拠点 弘前大と福島県立医大を指定(河北新報)
- ^ 弘大病院 基幹災害拠点病院に(陸奥新報)
- ^ 青森県立中央病院新生児科 | 青森県の周産期医療
- ^ 「地域医療構想」骨子(青森県)
- ^ 持ち主不明記録にある事業所名一覧(日本年金機構)
- ^ 病院業務概要 平成十四年度実績(八戸市立市民病院)
- ^ a b “医療薬務課” (PDF). 青森県. 2015年7月11日閲覧。
- ^ 道を求めて 中里信男回想録(デーリー東北新聞社)
- ^ 県病出張所・八戸市民病院出張所の移転および廃止予定について(青森銀行)
- ^ 青森銀行