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伊達宗元

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伊達宗元
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛永19年8月25日1642年9月19日
死没 正徳2年10月11日1712年11月9日
改名 亥松丸(幼名)、宗元
別名 兵庫、安芸、信濃(通称)
主君 伊達綱村吉村
陸奥仙台藩
氏族 涌谷伊達氏
父母 伊達宗重天童頼重
兄弟 天童頼次室、宗元、清霄院、黒木宗信
伊達宗敏長女・鶴松
村元亘理元篤村泰
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伊達 宗元(だて むねもと)は、江戸時代前期から中期にかけての武士陸奥国仙台藩一門第四席涌谷伊達家3代(亘理氏21代)当主。

略歴

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寛永19年(1642年)、伊達宗重の次男として誕生。

宗元が日光東照宮の修築を任された際、藩主伊達綱村から御家の幕を改めるよう命じられた。

宗元の系統は亘理氏から起こっている。そして亘理氏は千葉六党武石氏一族であるため、宗元は家臣に千葉氏の家紋を調べさせ、以後改めた。

系譜

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関連項目

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仙台藩の家格

先代
伊達宗重
涌谷伊達氏
3代
次代
伊達村元