五島盛次
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 元和4年(1618年) |
死没 | 明暦元年10月9日(1655年11月6日) |
改名 | 孫次郎(幼名)、盛次 |
戒名 | 昌屋泰久大円寺 |
墓所 | 東京都文京区本駒込の吉祥寺 |
官位 | 従五位下淡路守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家光、家綱 |
藩 | 肥前福江藩主 |
氏族 | 五島氏 |
父母 | 五島盛利、七里玄通娘梅子 |
兄弟 | 盛次、普照院(日向正春室)[1]、盛清ら |
妻 | 櫛笥隆朝娘 |
子 | 盛勝 |
五島 盛次(ごとう もりつぐ)は、肥前国福江藩3代藩主。五島家23代当主である。
略歴
[編集]元和4年(1618年)、第2代藩主・五島盛利の長男として生まれる。寛永19年(1642年)に父が死去したため、家督を継いだ。しかし生来から病弱で、江戸屋敷に住んで静養するだけであり、藩政は弟の盛清が代行した。
慶安4年(1651年)には弟によって家臣団の禄制・序列・階級の改正などが行なわれている。しかし藩政の主導権などをめぐって弟と対立し、その心痛が原因になって明暦元年(1655年)10月9日に急死した。享年38。跡を長男・盛勝が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 櫛笥隆朝の娘
子女
- 五島盛勝(長男)生母は正室