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久留幸子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
くる さちこ

久留 幸子
生誕 1943年
死没 2021年
出身校 日本写真映像専門学校
職業 写真家
配偶者 高岡一弥
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久留 幸子(くる さちこ、1943年 - 2021年[1])は、日本写真家。雑誌、広告、レコードジャケット、国内外の芸能人の写真撮影などで活躍した。

人物・主な仕事

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日本写真映像専門学校卒業後[2]岩宮武二写真事務所勤務を経てフリーランスとして活躍し、日本写真家協会会員、日本広告写真家協会会員となる[3]。夫はアートディレクターの高岡一弥[4]

1979年の資生堂 "ナツコ" (モデル:小野みゆき[5]) をはじめ数多のポスターの撮影や、五輪真弓戸川純原田知世など多くの歌手のレコードジャケットの撮影、ファッション雑誌のグラビア、週刊朝日アサヒカメラ等の表紙を飾るポートレートの撮影、大林組の広報誌「季刊大林[6]」のグラビア撮影など幅広く活躍した。

『Professional Photographer 200人展[7]』『126 POLAROID展[8]』など多くの写真展にも作品が出展されている。その他ライフワークとして、ラダックの人々と自然の風景写真の撮影に取り組んだ[9]

影響を与えた人物

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富田眞光は若い頃、麻布スタジオで2年程スタッフとして働くうちの1年半ほどは久留の仕事を担当しており、その後久留のアシスタントとなった[10]

所幸則は、久留が手掛ける表現方法と、物語を語りかけるような写真の魅力に深い興味を持ったことがきっかけとなり、久留の夫でビジネスパートナーでもある高岡一弥のゼミに通ったことがある[11]

瀬尾浩司は、ADC名鑑[注 1]に掲載されていた久留の写真に感銘を受け、久留に会うため1992年に上京し、「荷物持ちでもなんでもします」と押しかけて大学に通いながら事務所で働き始めたという[12]

作品

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レコードジャケット

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著作・写真集

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脚注

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注釈

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  1. ^ ニューヨークを拠点としている広告美術団体が毎年発行しているまとめ本。世界中から数万点の広告作品やグラフィックデザイン作品等を公募、審査、ADC賞受賞作品が掲載されている。

出典

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  1. ^ @meisafujishiro (2021年3月4日). "#28 久留幸子さんのご冥福をお祈りします". X(旧Twitter)より2024年7月28日閲覧
  2. ^ 日本写真映像専門学校卒業制作選抜展”. FUJI FILM Imazing Plaza. 富士フイルム株式会社. 2024年7月28日閲覧。
  3. ^ 岡部・久留 1973
  4. ^ 春画 / 高岡一弥【アートディレクション・企画・編集】”. 紀伊国屋書店ウェブストア. 2024年7月28日閲覧。
  5. ^ ポスター|収蔵品のご紹介”. 資生堂企業資料館. 資生堂グループ企業情報サイト. 2024年7月28日閲覧。
  6. ^ No.24「港」|大林組広報誌「季刊大林」”. 大林組. 2024年7月28日閲覧。
  7. ^ 富士フイルムフォトサロン 大阪・本町 開設1周年記念 「Professional Photographer 200人展」パート2:写真展詳細”. 富士フイルム フォトサロン. 2024年7月28日閲覧。
  8. ^ 「126 POLAROID ーさよならからの出会いー」”. 横浜美術館|Yokohama Museum of Art. 2024年7月28日閲覧。
  9. ^ ’01 朝日広告賞 審査委員”. 朝日新聞社. 2024年7月28日閲覧。
  10. ^ 富田眞光|INTERVIEW”. SHOOTING. SHOOTING MAGAZINE. 2024年7月28日閲覧。
  11. ^ 所幸則の写真展 大正大学で7月1日から開催~「PARADOX ―TIME アインシュタイン・ロマンスをめぐる冒険―」”. Infoseekニュース. 2024年7月28日閲覧。
  12. ^ 「今」を撮る――。写真家・瀬尾浩司が見つめる写真とフォトグラファーの世界”. クリエイターズステーション. 2024年7月28日閲覧。

参考資料

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  • 文・岡部伊都子/写真・久留幸子『カラー花の寺 京都』淡交社、1973年10月29日。 

外部リンク

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