丸の内停留場
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丸の内停留場 | |
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停留場全景(2020年7月) | |
まるのうち Marunouchi | |
北東に富山城址公園がある | |
所在地 | 富山県富山市丸の内一丁目 |
駅番号 | C18 |
所属事業者 | 富山地方鉄道 |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1913年(大正2年)9月1日 |
乗入路線 3 路線 | |
所属路線 | 富山軌道線(支線) |
キロ程 |
1.0 km(電鉄富山駅・エスタ前起点) 南富山駅前から4.6 km |
◄C17 県庁前 (0.4 km) | |
所属路線 | 富山軌道線(安野屋線) |
キロ程 | 0.0 km(丸の内起点) |
(0.3 km) 諏訪川原 C19► | |
所属路線 | 富山軌道線(富山都心線) |
キロ程 | 0.0 km(丸の内起点) |
(0.3 km) 国際会議場前 C23► | |
* 1952年に総曲輪停留場から改称 |
丸の内停留場(まるのうちていりゅうじょう)は、富山県富山市丸の内一丁目にある、富山地方鉄道富山軌道線(支線、安野屋線、富山都心線)の停留場。駅番号はC18。
概要
[編集]併用軌道に設置されており、当停留場付近で軌道は大きくカーブしている。
当停留場で大学前停留場方面から環状線(3系統)電車に乗り換える際には、降車する際に料金を支払って乗り継ぎ券を受け取り、環状線電車に乗り換える。環状線電車から大学前停留場方面に乗り換える際も、同様に乗り継ぎ券を受け取って後続の2系統の電車に乗り継ぐ。
歴史
[編集]- 1913年(大正2年)9月1日:富山電気軌道の総曲輪停留場として開業[1]。
- 1920年(大正9年)7月1日:富山市に譲渡され、富山市営軌道の停留場となる[2]。
- 1943年(昭和18年)
- 1945年(昭和20年)8月2日:富山大空襲の戦災より路線休止[5]。
- 1949年(昭和24年)3月15日:富山駅前 - 旅篭町間復旧に伴い営業再開[6]。
- 1952年(昭和27年)8月5日:丸の内停留場に改称[1]。安野屋線(丸の内 - 安野屋間)開業[7]。
- 1973年(昭和48年)3月31日:西町 - 旅篭町 - 丸の内間廃止[8]。
- 2009年(平成21年)12月23日:富山都心線丸の内 - 国際会議場前 - 西町間開業。
停留場構造
[編集]相対式ホーム2面2線の地上駅。ホームは相対式配置。富山都心線開業に伴い、ホームが富山駅前側に移設されて上屋が設けられた。但し、南富山駅前方面の新ホームは開業時点では使っておらず、交差点を曲がる手前の旧来のホームを継続して使っていた。
停留場周辺
[編集]隣の停留場
[編集]- 富山地方鉄道
- 富山軌道線(支線)
- 県庁前停留場 (C17) - 丸の内停留場 (C18) - (1973年廃止区間) - 旅篭町停留場
- 富山軌道線(安野屋線)
- 丸の内停留場 (C18) - 諏訪川原停留場 (C19)
- 富山軌道線(富山都心線)
- 丸の内停留場 (C18) → 国際会議場前停留場 (C23)
脚注
[編集]- ^ a b 今尾恵介(監)『日本鉄道旅行地図帳 6号 北信越―全線・全駅・全廃線』新潮社、2008年、36頁。ISBN 978-4107900241。
- ^ 1920年2月11日付大阪朝日新聞 北陸版(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)
- ^ 1942年12月7日軌道譲渡許可「軌道譲渡」『官報』1942年12月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 富山地方鉄道(編)『富山地方鉄道五十年史』富山地方鉄道、1983年、364頁。
- ^ 富山地方鉄道(編)『写真でつづる富山地方鉄道50年の歩み』富山地方鉄道、1979年、175頁。
- ^ 富山地方鉄道(編)『富山地方鉄道五十年史』富山地方鉄道、1983年、378頁。
- ^ 富山地方鉄道(編)『写真でつづる富山地方鉄道50年の歩み』富山地方鉄道、1979年、176頁。
- ^ 富山地方鉄道(編)『写真でつづる富山地方鉄道50年の歩み』富山地方鉄道、1979年、177頁。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 丸の内 市内電車 時刻予定表 (PDF) - 富山地方鉄道