上野方村
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かみのがたむら 上野方村 | |
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廃止日 | 1952年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 魚津町、上中島村、下中島村、松倉村、上野方村、下野方村、片貝谷村、加積村、道下村、経田村、天神村、西布施村 → 魚津市 |
現在の自治体 | 魚津市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(北陸地方) |
都道府県 | 富山県 |
郡 | 下新川郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 7.31[1] km2. |
総人口 |
1,431[1]人 (1952年) |
隣接自治体 | 片貝谷村、松倉村、上中島村、下中島村、下野方村、加積村 |
上野方村役場 | |
所在地 | 富山県下新川郡上野方村 |
座標 | 北緯36度48分25秒 東経137度25分36秒 / 北緯36.807度 東経137.42675度座標: 北緯36度48分25秒 東経137度25分36秒 / 北緯36.807度 東経137.42675度 |
ウィキプロジェクト |
上野方村(かみのがたむら)は、かつて富山県下新川郡にあった村。
村明は古くから『野方』と称していた地域の上部であることに由来する[2]。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、下新川郡大海寺野村、大海寺新村、大海寺野新村、刈安村、石垣村及び大谷村の区域をもって、下新川郡上野方村が発足する。
- 1952年(昭和27年)4月1日 - 下新川郡魚津町、道下村、片貝谷村、加積村、経田村、天神村、上中島村、下中島村、西布施村、上野方村、下野方村及び松倉村が合併して、魚津市が発足する。
経済
[編集]全村農業に従事し、ワラムシロ織、養蚕を副業としていた[2]。
- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば上野方村の篤農家は、「紙谷清作、長勢次郎四郎、盛永清二」などである[3]。
交通
[編集]名所・旧跡
[編集]出身・ゆかりのある人物
[編集]- 長勢次郎四郎(篤農家) - 村長[5]。元衆議院議員長勢甚遠の祖父。
- 長勢甚正(政治家) - 魚津市議会議員。元衆議院議員長勢甚遠の父。
- 盛永清二(政治家) - 村長[6]。
- 盛永俊太郎 - 農学者[7]。
脚注
[編集]- ^ a b 『魚津市史 続巻現代編』(2012年3月31日、魚津市教育委員会発行)29頁。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 16 富山県』(1979年10月8日、角川書店発行)266ページ
- ^ 『大日本篤農家名鑑』498頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年4月22日閲覧。
- ^ a b 『日本地名大辞典 第2巻』1747頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年4月24日閲覧。
- ^ 『魚津市史 下巻 近代のひかり』44頁 魚津市
- ^ 『下新川郡治政概要』166頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年4月23日閲覧。
- ^ “魚津歴史民俗博物館(魚津の三太郎博士)”. www.nice-tv.jp. 2022年4月29日閲覧。
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 『下新川郡治政概要』富山県下新川郡、1926年。
- 日本書房編『日本地名大辞典 第2巻』日本書房、1938-1939年。
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。