ワルテル・パンディアーニ
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2005年のパンディアーニ | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ワルテル・ヘラルド・パンディアーニ・ウルキーサ Walter Gerardo Pandiani Urquiza | |||||
愛称 |
El rifle (ライフル), El animal (動物), El helicoptero (ヘリコプター)[1], El camion (トラック) | |||||
ラテン文字 | Walter PANDIANI | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
ウルグアイ イタリア スペイン | |||||
生年月日 | 1976年4月27日(48歳) | |||||
出身地 | モンテビデオ | |||||
身長 | 184cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1996-1997 | プログレッソ | 22 | (12) | |||
1997-1998 | バサニェス | 0 | (0) | |||
1998-2000 | ペニャロール | 71 | (29) | |||
2000-2005 | デポルティーボ | 86 | (31) | |||
2002-2003 | → マヨルカ (loan) | 33 | (13) | |||
2005 | → バーミンガム (loan) | 14 | (4) | |||
2005-2006 | バーミンガム | 17 | (2) | |||
2006-2007 | エスパニョール | 52 | (8) | |||
2007-2011 | オサスナ | 92 | (27) | |||
2011-2012 | エスパニョール | 16 | (3) | |||
2012-2013 | ビジャレアル | 17 | (2) | |||
2013 | アトレティコ・バレアレス | 9 | (1) | |||
2014-2015 | ミラマール・ミシオネス | 19 | (5) | |||
2015-2016 | ローザンヌ・スポルト | 15 | (1) | |||
通算 | 463 | (138) | ||||
代表歴 | ||||||
2001-2004 | ウルグアイ | 4 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ワルテル・パンディアーニ(Walter Gerardo Pandiani Urquiza, 1976年4月27日 - )はウルグアイ・モンテビデオ出身の元サッカー選手。元ウルグアイ代表。ポジションはフォワード。
経歴
[編集]クラブ
[編集]ウルグアイの首都モンテビデオに生まれた。学生時代にはバレーボールの全国大会で優勝したことがある[2]。地元のCAプログレッソからプロデビューし、CAバサニェスとCAペニャロールを経て2000年にスペインのデポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍し、Super Depor(スーペル・デポル)と呼ばれたクラブの黄金時代の一端を担った。決して不動のレギュラーではなかったが、攻撃時に最も重要な要素のひとつであった。2002-03シーズンにレンタル移籍したRCDマヨルカでは13得点を挙げ、さらにコパ・デル・レイで優勝する成功のシーズンを送り、デポルティーボに復帰した2003-04シーズンにも13得点を挙げた。2004年12月5日のラシン・サンタンデール戦で後半ロスタイムにフリーキックで同点弾を決めるなど[3]、2004-05シーズンは前半戦だけで6得点を挙げていたが[4]、ハビエル・イルレタ監督と何度も口論になったことから2005年1月にはイングランドのバーミンガム・シティFCにレンタル移籍した[5] [6]。デビュー戦のサウサンプトンFC戦で移籍後初得点を決め、2-1で勝利した[7]。
2004-05シーズン後半戦にはさらに3つのゴールを積み重ね、デポルティーボに復帰する意思がないことを主張していた彼は[8]、2005年7月30日に移籍金300万ポンド(約450万ユーロ、約6億750万円[9])でバーミンガムへの完全移籍を果たした[10]。しかし、良い頃のフォームを取り戻すことはできず、2005-06シーズン前半戦は先発出場7試合で2得点と低迷したため、2006年1月13日には移籍金100万ポンド(約150万ユーロ、約2億300万円[11])の2年契約でRCDエスパニョールへ完全移籍した[10]。2006-07シーズンのUEFAカップでは大会得点王に輝く活躍でチームを準優勝に導いた[12]。リーグ戦では7得点し、特にエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウでのレアル・マドリード戦では前半だけでハットトリックを達成したが、試合には3-4で敗れている。
2007年夏、CAオサスナに移籍した[13]。2007-08シーズンはほとんど出場機会を与えられなかったが、2008年10月中旬にホセ・アントニオ・カマーチョ監督が就任するとリーグ戦で活躍し、2008-09シーズンは11得点を挙げてチーム内得点王になった。とりわけヘディングではアルバロ・ネグレドと並んでリーグトップタイの7得点を記録した[14]。2009-10シーズンも二桁得点を挙げ、そのうち6得点をヘディングで記録した[15]。2010年5月26日には契約を1年間延長した[16]。2010-11シーズンのCAオサスナは開幕から3試合無得点が続いたが、4節のレアル・ソシエダ戦でチームのシーズン初得点を決めた。
2011年8月31日、RCDエスパニョールにフリートランスファーで移籍した[17]。
2013年10月、長男のニコラスと共にCSミラマール・ミシオネスに加入し、13年ぶりに母国復帰を果たした[18]。
現役プレーヤーとしての契約を待ちながら、2014年シーズンより、スペイン・カタルーニャ地方リーグのCDマスノウにてジュニア・チームの監督に就任。
2015年6月、スイス・チャレンジリーグのFCローザンヌ・スポルトに加入[19]。
2016年6月16日、引退を表明[20]。
代表
[編集]2001年3月28日、2002 FIFAワールドカップ・南米予選のパラグアイ戦でウルグアイ代表デビューした。スペインに渡って充実した経歴を送っていたにもかかわらず、ウルグアイ代表としては4試合にしか出場していない。
エピソード
[編集]デポルティーボ・ラ・コルーニャに在籍していた時に赤い大型トラックを購入し、練習場に乗り付けてチームメイトを驚かせたことがあった。しかし、このトラックは大きすぎたために、自宅のある住宅街には乗り入れられなかった[2]。
タイトル
[編集]- CAペニャロール
- ウルグアイ・プリメーラ・ディビシオン : 1999
- デポルティーボ・ラ・コルーニャ
- コパ・デル・レイ : 2001-02
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ : 2002
- RCDマヨルカ
- コパ・デル・レイ : 2002-03
- RCDエスパニョール
- コパ・デル・レイ : 2005-06
脚注
[編集]- ^ ウルグアイにいた頃からのあだ名である
- ^ a b “スーペル・デポルが起こした奇跡の記憶”. スポーツナビ. (2008年5月24日) 2010年12月1日閲覧。
- ^ “パンディアーニ、ロスタイムにデポルを敗戦から救う”. livedoorスポーツ. (2004年12月6日) 2010年12月1日閲覧。
- ^ “Pandiani”. BDFutbol 2010年12月1日閲覧。
- ^ Kendall, Mark (2005年1月19日). “Depor boss blasts Pandiani”. Sky Sports 2010年12月1日閲覧。
- ^ “Birmingham complete Pandiani loan”. BBC Sport. (2005年2月1日) 2010年12月1日閲覧。
- ^ “Birmingham 2-1 Southampton”. BBC Sport. (2005年2月2日) 2010年12月1日閲覧。
- ^ “D・トリスタン、パンディアーニの復帰を支持せず”. livedoorスポーツ. (2005年6月26日) 2010年12月1日閲覧。
- ^ “デポルティーボ、パンディアーニを450万ユーロでバーミンガムに放出”. livedoorスポーツ. (2005年8月2日) 2010年12月1日閲覧。
- ^ a b “Pandiani completes Espanyol move”. BBC Sport. (2006年1月13日) 2010年12月1日閲覧。
- ^ “パンディアーニがエスパニョールへ”. UEFA.com. (2006年1月12日) 2010年12月1日閲覧。
- ^ “Pandiani's goal is victory”. UEFA.com. (2007年5月16日) 2010年12月1日閲覧。
- ^ Kendall, Mark (29 July 2007). “Osasuna swoop for Rifle”. Sky Sports 2010年12月1日閲覧。
- ^ “2008-09 Rankings”. Marca 2010年12月1日閲覧。
- ^ “2009-10 Rankings”. Marca 2010年12月1日閲覧。
- ^ “FWパンディアーニ、オサスナに残留”. ロイター. (2010年5月26日) 2010年12月1日閲覧。
- ^ “A・マドリードのジエゴ獲得など、多くのクラブが移籍市場最終日の重要補強に成功”. WOWOWリーガニュース. (2011年9月1日) 2011年9月2日閲覧。
- ^ “親子でプレーが実現? パンディアーニ、息子とともに母国1部クラブに入団”. Qoly.jp. (2013年10月29日) 2013年10月29日閲覧。
- ^ “Lausanne-Sport-News-COMMUNIQUE DE PRESSE”. lausanne-sport.ch. オリジナルの2015年7月12日時点におけるアーカイブ。
- ^ “Pandiani anuncia su retirada”. Sport (2016年6月16日). 2016年7月30日閲覧。