レミ・タフィン
レミ・タフィン Rémi Taffin | |
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生誕 | 1975年3月14日(49歳) |
国籍 | フランス |
職業 | 自動車エンジン技術者 (モータースポーツ) |
レミ・タフィン(Rémi Taffin、1975年3月14日[1] - )は、フランス出身の自動車エンジン技術者である。
経歴
[編集]フランスの工学学校(グランゼコール)のひとつであるESTACAで機械工学を学んだ。
1998年にESTACAを卒業し[2]、同年にフランスのレーシングチームであるシグナチュール・チーム(当時はフォーミュラ3を主戦場としていた)にレースエンジニアとして加入し、モータースポーツのキャリアを始めた[1]。
ルノー
[編集]翌1999年、ルノーに移籍した[3]。この頃、ルノー系のスーパーテックがフォーミュラ1(F1)でエンジン供給を行っており、タフィンはエンジン担当レースエンジニアとしてそれに関与し、リカルド・ゾンタ(BAR)、ヨス・フェルスタッペン(アロウズ)の担当エンジニアを務めた[4]。
2000年代になるとルノーがフルワークスチーム(ルノーF1)としてF1に復帰し、タフィンは当初はジェンソン・バトン、次いでフェルナンド・アロンソのエンジン担当レースエンジニアを務めた[5]。アロンソとチームは2005年と2006年にダブルタイトルを獲得した。
2009年にトラックサイドのエンジンパフォーマンスの責任者[注釈 1]となり[4]、この間にコンストラクターズタイトルを4連覇(2010年 - 2013年)したレッドブル・レーシングをはじめとする各カスタマーチームへの協力を行った[5]。2014年にはそうしたエンジン供給のオペレーションディレクターに就任した[4]。
2016年にルノーがフルワークスチームを復帰させると、タフィンは当時のルノー・スポールF1の技術面全般の責任者となるテクニカルディレクターに任命された[5][3][4][注釈 2]。その後、2021年6月に退任し、20年以上勤めたルノー(この時点でF1ではアルピーヌF1)を去った[5][4]。
オレカ
[編集]2021年12月、タフィンはオレカに加入し、テクニカルディレクターに就任した[4][6][1]。
エピソード
[編集]- F1では、2006年イギリスグランプリ(フェルナンド・アロンソが優勝)と、2013年日本グランプリ(セバスチャン・ベッテルが優勝)の2回、優勝コンストラクターに与えられるトロフィーを受け取るため、表彰台に立っている[7]。2006年は優勝したのはルノーだったが、2013年の時は優勝したのがレッドブル・レーシングだったため、レッドブルのシャツに着替える必要があったという[7]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c “Remi Taffin” (英語). OldRacingCars.com (2021年10月19日). 2023年10月8日閲覧。
- ^ a b Remi Taffin. “Remi Taffin” (フランス語). LinkedIn. 2023年10月8日閲覧。
- ^ a b Michelle Foster (2021年8月10日). “Taffin leaves Alpine, rumours link him to Red Bull” (英語). Planet F1. 2023年10月8日閲覧。
- ^ a b c d e f “Rémi Taffin named new ORECA Group Technical Director” (英語). Oreca (2021年10月18日). 2023年10月8日閲覧。
- ^ a b c d “Long serving Renault F1 power unit chief leaves by 'mutual agreement'” (英語). Formula1.com (2021年8月10日). 2023年10月8日閲覧。
- ^ “元ルノーF1のレミ・タフィンがオレカ加入。トヨタに“完全移籍”するテクニカル・ディレクターの後任に”. Auto Sport web. 三栄 (2021年10月19日). 2023年10月8日閲覧。
- ^ a b Matt Youson (2016年8月3日). “The Last V8 - Remi Taffin of Renault Sport F1” (英語). Red Bull. 2023年10月8日閲覧。
外部リンク
[編集]- Remi Taffin - Linkedin