ルイ2世 (ヴァンドーム公)
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ルイ2世・ド・ブルボン Louis II de Bourbon | |
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ヴァンドーム公 | |
ヴァンドーム公ルイ2世、1630年 | |
在位 | 1665年 - 1669年 |
出生 |
1612年10月 フランス王国 パリ |
死去 |
1669年8月6日 フランス王国 エクス=アン=プロヴァンス |
配偶者 | ラウラ・マンチーニ |
子女 |
ルイ・ジョゼフ フィリップ ジュール・セザール |
家名 | ブルボン家 |
父親 | ヴァンドーム公セザール |
母親 | フランソワーズ・ド・ロレーヌ |
役職 | 枢機卿(1667年) |
ルイ・ド・ブルボン | |
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ヴァンドーム枢機卿 | |
聖職 | |
枢機卿任命 | 1667年 |
ルイ・ド・ブルボン(Louis(II)de Bourbon, duc de Vendôme, 1612年10月 - 1669年8月6日)は、フランスの貴族・廷臣・聖職者。フランス王アンリ4世の孫息子の1人。ヴァンドーム公爵、エタンプ公爵、メルクール公爵、パンティエーヴル公爵(在位:1665年 - 1669年)。
生涯
[編集]アンリ4世の庶長子であるヴァンドーム公セザールと、メルクール公フィリップ=エマニュエルの娘で相続人フランソワーズの長男でボーフォール公フランソワの兄。軍人となり1640年にはプロヴァンス地方の知事となった。1651年2月4日、ジュール・マザラン枢機卿の姪で「マザリネット」の1人であるラウラ・マンチーニと結婚した。
1657年に妻ラウラが第3子を出産した際に亡くなると、ルイは聖職者となり、1667年には枢機卿となって「ヴァンドーム枢機卿(cardinal de Vendôme)」と呼ばれた。1669年のルイの死後、幼い息子達は義妹のブイヨン公爵夫人マリア・アンナ・マンチーニに引き取られた。
子女
[編集]妻ラウラとの間に3人の息子をもうけた。
脚注
[編集]参考文献
[編集]関連項目
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