コンテンツにスキップ

マリー・ラフォレ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Marie Laforêt
マリー・ラフォレ
マリー・ラフォレ
1985年
本名 Maïténa Marie Brigitte Doumenach
生年月日 (1939-10-05) 1939年10月5日
没年月日 (2019-11-02) 2019年11月2日(80歳没)
出生地 フランスの旗 フランス共和国、スーラック=シュル=メール
死没地 スイスの旗 スイスヴォー州ジェノリエ英語版
国籍 フランスの旗 フランススイスの旗 スイス
職業 女優 歌手
ジャンル 映画 テレビ 舞台 ステージ
活動期間 1959年-
主な作品
太陽がいっぱい』(1960年)
テンプレートを表示

マリー・ラフォレフランス語: Marie Laforêt, 1939年10月5日 - 2019年11月2日)は、フランス出身の女優歌手である。本名はマイテナ・ドゥメナク(Maïténa Doumenach)。1978年以降ジュネーヴに在住し、スイス国籍となっていた。

来歴

[編集]
1963年4月1日から10日にかけて第3回フランス映画祭が東京で開かれ、多数の映画人が来日した。左からフランソワ・トリュフォー、マリー・ラフォレ、アラン・ドロン、フランソワーズ・ブリオン。

南仏ジロンド県スーラック=シュル=メール(Soulac-sur-Mer, オック語: Solac)生まれ。本名のマイテナはバスク語で『愛されるもの』を意味する。姓のドゥメナクは、父がカタルーニャ系であることを示す。

1959年に姉の替わりに出場したラジオのタレントコンテスト "Naissance d'une Etoile"(スター誕生)で優勝した時にルイ・マル監督に見いだされる。

ルイ・マル監督の作品に出演するチャンスを掴むが、プロジェクト自体がなくなってしまう。しかし、デビュー作となったルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』(1960年)に出演し、一躍フランスのアイドルとなる。

1960年映画監督ジャン=ガブリエル・アルビコッコと結婚。1961年、アルビコッコの監督作『金色の眼の女』に主演した。

1963年4月1日から10日にかけて第3回フランス映画祭が東京都千代田区の東商ホールで開催された。アルビコッコの『金色の眼の女』と『アメリカのねずみ』のほか、『突然炎のごとく』『ミス・アメリカ パリを駆ける』『シベールの日曜日』『女はコワイです』『不滅の女』『地下室のメロディー』『地獄の決死隊』の計9本の長編と、短編映画『ふくろうの河』が上映された[1]。ラフォレ、フランソワ・トリュフォーアレクサンドラ・スチュワルトアラン・ドロンセルジュ・ブールギニョンアルベール・ラモリス、フランソワーズ・ブリオンらは映画祭に参加するため3月28日に来日した[2][3]

アルビコッコとのあいだに1児をもうけるも、1971年に離婚した。同年、アラン・カーン=スクリーベルと再婚、3人の子供をもうける。

シャンソン歌手としても活躍し、何枚かアルバムを出した。

舞台は、1968年にデビュー。その後は朗読公演などはこなしていたが、1996年ファニー・アルダンから引継ぎロマン・ポランスキー演出による《マスター・クラス》でマリア・カラス役に挑む。これが注目され、99年にはディディエ・ロング新演出による同作を演じて2000年モリエール賞最優秀女優賞にノミネートされ、2009年の再演でも再び候補となった。

2019年11月2日、ヴォー州ジェノリエ英語版で死去。80歳没[4]

主な出演映画

[編集]
太陽がいっぱい』(1960年)
金色の眼の女』(1961年)

日本のテレビ番組出演

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 映画評論』1963年5月号、8-11頁、「第3回フランス映画祭」。
  2. ^ 『映画ストーリー』1963年6月号、雄鶏社、「ドロンとラフォレがやってきた!」。
  3. ^ 『映画情報』1963年6月号、国際情報社、「フランス映画祭にぎわう」。
  4. ^ “Marie Laforêt, la « Fille aux yeux d’or », est morte” (フランス語). Le Monde. (2019年11月3日). https://www.lemonde.fr/disparitions/article/2019/11/03/l-actrice-et-chanteuse-marie-laforet-est-morte_6017866_3382.html 2019年11月3日閲覧。 

参考資料

[編集]
  • 『マリー・ラフォレの伝説と物語』(Contes et legendes de ma vie privee) 持田明子訳、白水社、四六判 268P 1983年9月発行、1785円(絶版)

外部リンク

[編集]