コンテンツにスキップ

ハイカルチャー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ハイカルチャー: High culture)とは、学問文学美術音楽など人類が生んだ文化のうち、その社会において高い達成度を示していると位置づけられたもの。上位文化などと訳されることもある。または「文化」という言葉がもっぱらハイカルチャーを指すことがある。また、政治的・経済的な優位性を持つ人々によって支配された伝統的国民文化である[1]ことから社会的に高い位置づけをされているという側面もあり、現実に創造力の具現としての価値が高いかどうかは個別に判断を要する問題である。

ハイカルチャーは(主に19世紀までの間にヨーロッパを中心に形成された)貴族や富裕層階級のものであり、知識教養を持つ少数の者が享受する文化であった。しかし20世紀の大衆文化の時代になると、少数者がハイカルチャーを独占するものではなくなり、古典絵画クラシック音楽も一般に鑑賞されるようになった[2]

この西洋におけるハイカルチャーの概念を日本に当てはめるならば、公家武家がその享受層にあたる。同様に世界各国にハイカルチャー的概念が存在している。

ただし起源として、誕生時からハイカルチャーとして存在していた文化はない。年月を重ね、あるいは理論体系が研鑽され、社会的地位の高い層または知識・教養がある"と考えられている"層に愛好されることによって初めて、ハイカルチャーとして捉えられるようになる。言い換えるならば、文明の発展過程で、「ある『もの』や『こと』」が、ある民族集団により、「高い価値がある」と位置付けられた、その時点から初めて定義される概念である。そのため、地域や時代が違えば、民族集団は異なり、価値付けも異なる可能性がある。

なお、20世紀以降に生まれたハイカルチャーもあり、それは前衛芸術アヴァンギャルド)と呼ばれる。ただしそれを支持する層は旧体制の伝統的な貴族や富裕層ではなく、あくまでも大衆の中の少数派(カルト)であった。

ハイカルチャーの例

[編集]

ここでは、ハイカルチャーの副次的な概念である「各国の伝統的な支配階級によって、一定期間閉鎖的に愛好・支持された文化」に絞って、並べることにする。

ヨーロッパ

[編集]

日本

[編集]

日本では、以下の多くを芸道と称した。

ハイカルチャーの受容

[編集]

従来ハイカルチャーとされたものは、古典古代 - ルネサンス期を経て正統な文化と考えられたものであったが、主としてヨーロッパエリート男性が担ってきたものである。ヨーロッパ中心、エリート中心、男性中心の文化であり、今日ではその文化のあり方が様々な立場から批判を受ける場合もある。ハイカルチャーとそれ以外の文化との区別は、社会の支配層が自らの所属する階層・集団が持つ文化を一段高いものとし、それ以外の文化を価値の低いものとする意識が生んだものであるとも考えられる。

明治以後、西欧の輸入という形で進められた日本のハイカルチャー受容は、形態にほとんど変わりはない。なお、日本古来のハイカルチャーと言える芸道に傾倒する者は数寄者と呼ばれ、西洋のハイカルチャーに傾倒する者はハイカラと呼ばれた。いずれもかつては大衆からの皮肉が込められた呼称であったが、現代では肯定的な意味合いになっている。

類語

[編集]

社会の支配的な文化という意味でメインカルチャーという言葉が使われることがある。対比される語としては、次のようになる。

脚注

[編集]
  1. ^ 中本進一「ハイ・カルチャー/ポピュラー・カルチャーにおけるヘゲモニーの転換と領有に関する一考察」『一橋法学』第2巻第3号、一橋大学大学院法学研究科、2003年11月、925-952頁、doi:10.15057/8752ISSN 13470388NAID 110007619968 
  2. ^ 香月孝史「「ハイカルチャーの大衆化」とはなにか:――歌舞伎の高尚イメージ形成と「初心者」からの眼差し――」『年報社会学論集』第2009巻第22号、関東社会学会、2009年、126-137頁、doi:10.5690/kantoh.2009.126ISSN 0919-4363NAID 130003377425 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]