テンギズ・アブラゼ
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テンギズ・アブラゼ Tengiz Abuladze | |||||||||
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本名 | თენგიზ აბულაძე | ||||||||
生年月日 | 1924年1月31日 | ||||||||
没年月日 | 1994年3月6日(70歳没) | ||||||||
出生地 | ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国 クタイシ | ||||||||
死没地 | グルジア トビリシ | ||||||||
職業 | 映画監督 | ||||||||
主な作品 | |||||||||
『懺悔』 | |||||||||
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テンギズ・アブラゼ(თენგიზ აბულაძე, Tengiz Abuladze; 1924年1月31日 - 1994年3月6日)は、グルジア人映画監督。
略歴
[編集]1924年、クタイシに生れる。1943年から1946年までトビリシ演劇大学で学ぶ。その後、モスクワの全ロシア国立映画大学を1952年に卒業。1953年より映画監督としてグルジア映画社に勤務。短篇ドキュメンタリー作品の制作を始める。
『希望の樹』(1977年)、『懺悔』(1984年)などの作品で世界的に知られる。スターリン時代の恐怖政治の暗部を鋭く描いた『懺悔』は数年間ソ連当局によって発表が禁止されたが、1987年にソヴィエト連邦で一般公開されると大きな反響を呼び、ペレストロイカを象徴する映画となった[1]。『祈り』『希望の樹』『懺悔』は「祈り三部作[2]」または「懺悔三部作[3]」と呼ばれる。
1980年にソ連人民芸術家の称号を受ける。1988年レーニン賞受賞。1990年から1991年までソ連邦人民代議員大会の代議員を務める。
作品
[編集]- 1953年 - 『我々の宮殿』(レヴァズ・チヘイゼ[注釈 1]と共作のドュメンタリー映画)
- 1954年 - 『国立グルジア民族舞踊団』(レヴァズ・チヘイゼと共作のドュメンタリー映画)
- 1955年 - 『青い目のロバ』または『マグダナのロバ[4]』(レゾ・チヘイゼと共作、1956年 第9回カンヌ国際映画祭 最優秀短篇映画賞)
- 1958年 - 『他人の子供たち』
- 1962年 - 『僕とおばあさんとイリコとイラリオン』
- 1965年 - 『スワネティのスケッチ』
- 1967年 - 『嘆願』または『祈り[2][3]』
- 1971年 - 『愛する者への首飾り』
- 1972年 - 『青空の下の博物館(ダゲスタン)』
- 1977年 - 『幸せの樹』または『希望の樹[2][3]』(ダヴィッド・ディ・ドナテッロ最優秀外国映画賞)
- 1984年 - 『懺悔[1]』(1987年カンヌ国際映画祭 審査員特別賞、国際批評家連盟賞、Prize of the Ecumenical Jury; 1988年 ゴールデングローブ最優秀外国語映画賞)
- 1989年 - 『ハジ・ムラート』
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ロシア語準拠ではレゾ・チヘイゼとも。
出典
[編集]参考文献
[編集]- はらだたけひで 編『ジョージア映画祭2022プログラム』ジョージア映画祭 2022、2022年1月29日。