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ダーシー・ド・ネイス男爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ダーシー・ド・ネイス男爵英語: Baron Darcy de Knayth)は、1332年に創設されたイングランド貴族男爵位である。初代男爵はジョン・ダーシー英語版(c.1290–1347)で、継承資格は初代男爵の男女両系の相続人(heirs general)と定められた[1]

6代男爵フィリップ・ダーシー(1397–1418)が死去すると、爵位は2人の娘の間で停止状態になったが、1641年に国王チャールズ1世の決定により、コンヤーズ・ダーシー英語版(1570–1654)が爵位を継承して7代男爵になった。コンヤーズはコンヤーズ男爵位の継承に対しても請願を行って認められた。[1]このときの特許状では両爵位ともに継承資格を男系子孫(heirs male)に限定されたが、貴族院特権監督委員会による1903年の裁決では1641年の特許状が停止状態の解消のみを決定し、継承資格は男女両系の相続人(heirs general)のままであると判定された[2]

7代男爵の息子にあたる8代男爵コンヤーズ・ダーシー英語版(?–1689)は1682年にホルダーネス伯爵英語版に叙され、以降ダーシー・ド・ネイス男爵位はホルダーネス伯爵の従属爵位となった。4代伯爵(11代男爵)ロバート・ダーシー(1718-1778)の死去に伴いホルダーネス伯爵位は廃絶するが、4代男爵の娘アメリア・オズボーン(1754–1784)がダーシー・ド・ネイス男爵位の継承を主張した。アメリアは短期間ながらカーマーゼン侯爵フランシス・オズボーン(1751–1799)(後の第5代リーズ公爵)と結婚しており、2人の間の息子である第6代リーズ公爵ジョージ・オズボーン(1775–1838)デ・ジュリ(法律上)の第13代男爵になった[1]

1859年に第7代リーズ公爵フランシス・ダーシー=オズボーン(1798–1859)が死去すると、ダーシー・ド・ネイス男爵位とコンヤーズ男爵位はリーズ公爵位から分離した。7代公爵の長女の長男サックヴィル・レーン=フォックス(1827–1888)が両男爵位の継承を主張したが、1888年に彼が死去すると両男爵位は再び停止状態になった。コンヤーズ男爵位の停止は1892年にレイン=フォックスの長女ヤーバラ伯爵夫人マーシア・ペラム英語版(1863–1926)による継承が認められたことで解消され、ダーシー・ド・ネイス男爵位の停止は1903年9月29日にレイン=フォックスの次女ポウィス伯爵夫人ヴァイオレット・ハーバート英語版(1865–1929)による継承が認められたことで解消された。[1]

ダーシー・ド・ネイス男爵(1322年創設)

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出典

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  1. ^ a b c d e f Mosley, Charles, ed. (2003). Burke's Peerage, Baronetage & Knighthood (英語) (107 ed.). Burke's Peerage & Gentry. pp. 1026–1029. ISBN 0-9711966-2-1
  2. ^ "Darcy de Knayth, Baron (E, 1332)". Cracroft's Peerage (英語). 15 April 2012. 2020年7月15日閲覧

関連項目

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