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シティロード

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シティロード』は、エコー企画、西アドが発行していた日本情報雑誌

1971年12月に『コンサートガイド』の名で創刊され、当初は東京で毎月行われているコンサート情報をまとめた雑誌で、レコード店などで(定価はついていたものの)実質無料で配布されていた。1974年に書店売りへと方針変更をし、東京の映画、演劇、ライブなどの公開情報を追加、その後美術、スポーツなどの情報も掲載するようになり、1975年9月に誌名を『シティロード』へと改称した[1][2]

月刊の情報誌として、映画、演劇、音楽等を広く扱い、批評やインタビューにも力を入れた[3]。70年代から80年代にかけて、情報誌としては雑誌『ぴあ』に肩を並べるライバル誌、二大勢力誌だったが[4][5]、1992年9月号で休刊[2]。同年、出版元を西アドへ変更して復刊したが[2]、1994年2月刊行の4・5月号をもって廃刊となった[2][6]。かつての編集者に仲俣暁生神田陽司などがいる[7][8]

シティロード・メモリアル・ベスト

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シティロード・メモリアル・ベスト
受賞対象作品、監督、俳優
開催日翌年2月下旬
日本の旗 日本
主催シティロード
初回1975年
最新回1992年
最新受賞者牯嶺街少年殺人事件』・『シコふんじゃった。

「シティロード・メモリアル・ベスト」は、1975年に「シティロード」読者投票によってベストテンを選定することから始まった[9]。第16回(1990年度)からは本誌執筆者による選出となり、第18回(1992年度)で終了した[9]

洋画は当該年に初公開された映画の中から印象に残った作品、邦画も当該年に初公開された映画(自主映画も含む)の中から印象に残った作品を選定。2月下旬発売の3月号の本誌誌上で発表[9]

1974年度

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第1回(1975年度)

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第2回(1976年度)

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第3回(1977年度)

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第4回(1978年度)

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第5回(1979年度)

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第6回(1980年度)

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第7回(1981年度)

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第8回(1982年度)

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  • 映画部門[10][17]
    • ベストシネマ・洋画1位 『E.T.』(スティーヴン・スピルバーグ監督)
    • ベストシネマ・邦画1位 『転校生』(大林宣彦監督)
    • ベスト監督1位 スティーヴン・スピルバーグ
    • ベスト男優1位 シルベスター・スタローン
    • ベスト女優1位 小林聡美

第9回(1983年度)

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第10回(1984年度)

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第11回(1985年度)

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第12回(1986年度)

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第13回(1987年度)

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第14回(1988年度)

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第15回(1989年度)

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第16回(1990年度)

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第17回(1991年度)

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第18回(1992年度)

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脚注

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  1. ^ 小泉卓史「マスコミへの挑戦」『グラフィックカラー昭和史 第12巻 大衆と文化(戦後)』(研秀出版、1984年、p.160)
  2. ^ a b c d デジタル大辞泉プラス(小学館) - コトバンク
  3. ^ 大森さわこ「芸術新聞社ミニシアター再訪第3回」芸術新聞社
  4. ^ “『シティロード』「楽しいだけでよい」といえない時代の情報誌”. Zakzak. (2015年7月22日). https://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20150722/enn1507220830003-n1.htm 2019年8月6日閲覧。 
  5. ^ 椎名誠『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵』
  6. ^ 国立国会図書館サーチR100000002-I000000032095
  7. ^ 仲俣暁生”. Schoo. 株式会社Schoo. 2021年3月2日閲覧。
  8. ^ 武蔵野大学CAREER DESIGN
  9. ^ a b c d 日外アソシエーツ 2009, p. 160.
  10. ^ a b c d e f g h i j k l 石原良太 編『映画賞・映画祭日本・外国受賞作品大全集 : 栄光と虚栄・アカデミー賞からヨコハマ映画祭』芳賀書店、1986年6月、170頁。ISBN 4-8261-0520-7 
  11. ^ 日外アソシエーツ 2009, p. 161.
  12. ^ 日外アソシエーツ 2009, pp. 161–162.
  13. ^ 日外アソシエーツ 2009, p. 162.
  14. ^ 日外アソシエーツ 2009, pp. 162–163.
  15. ^ 日外アソシエーツ 2009, pp. 163–164.
  16. ^ 日外アソシエーツ 2009, p. 164.
  17. ^ 日外アソシエーツ 2009, pp. 164–165.
  18. ^ 日外アソシエーツ 2009, pp. 165–166.
  19. ^ 日外アソシエーツ 2009, p. 166.
  20. ^ 日外アソシエーツ 2009, pp. 166–167.
  21. ^ 日外アソシエーツ 2009, pp. 167–168.
  22. ^ 日外アソシエーツ 2009, p. 168.
  23. ^ 日外アソシエーツ 2009, pp. 168–169.
  24. ^ 日外アソシエーツ 2009, pp. 169–170.
  25. ^ a b c 日外アソシエーツ 2009, p. 170.

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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