コンテンツにスキップ

ゴーディ・ウィンドホーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゴーディ・ウィンドホーン
Gordie Windhorn
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州ワツセカ[1]
生年月日 (1933-12-19) 1933年12月19日
没年月日 (2022-05-21) 2022年5月21日(88歳没)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1952年
初出場 MLB / 1959年9月10日
NPB / 1964年3月14日
最終出場 MLB / 1962年7月20日
NPB / 1969年10月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ゴードン・レイ・ウィンドホーンGordon Ray Windhorn, 1933年12月19日 - 2022年5月21日[2])は、アメリカ合衆国イリノイ州ワツセカ出身のプロ野球選手外野手)。

阪急ブレーブスでの登録名は「ウインディ

来歴・人物

[編集]

1952年ニューヨーク・ジャイアンツと契約し、ニューヨーク・ヤンキース時代の1959年9月10日にメジャーデビュー。その後はメジャーの球団を渡り歩き、1964年NPB阪急ブレーブスへ入団した[1]。同年は主に5番打者として123試合に出場し、チームでの本塁打はダリル・スペンサーの36本に次ぐ19本を打った。

1965年からは1番打者として19本塁打を打ち、翌1966年も11本塁打を記録している[1]。1965年7月15日の対東京オリオンズ戦では9回2アウトからレフト前へテキサスヒットを打ち、小山正明のノーヒットノーランを阻止した[1]1967年は打撃好調で自己最多となる25本塁打を打ち、打率もリーグ9位となる.285、リーグ最多の78得点をマークした[1]。この年はウインディを筆頭にスペンサー、長池徳士足立光宏らの活躍もあって阪急は悲願のリーグ初優勝となった。1968年に5年連続二桁本塁打を記録。1969年は3年連続で日本シリーズに出場し、第5戦で2本塁打を打っている。この年を最後に退団し、アメリカ合衆国へ帰国して現役を引退した[1]

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1959 NYY 7 11 11 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000
1961 LAD 34 37 33 10 8 2 1 2 18 6 0 1 0 0 4 1 0 3 1 .242 .324 .545 .870
1962 KCA 14 21 19 1 3 1 0 0 4 1 0 0 2 0 0 0 0 3 0 .158 .158 .211 .368
LAA 40 53 45 9 8 6 0 0 14 1 1 1 1 0 7 1 0 10 1 .178 .288 .311 .600
'62計 54 74 64 10 11 7 0 0 18 2 1 1 3 0 7 1 0 13 1 .172 .254 .281 .535
1964 阪急 123 391 350 54 81 22 1 19 162 40 7 2 3 6 31 1 1 54 7 .231 .291 .463 .754
1965 127 446 411 65 103 24 0 17 178 34 8 4 4 1 29 1 1 53 10 .251 .301 .433 .734
1966 121 433 399 52 102 19 1 11 156 44 8 4 5 2 25 3 2 35 5 .256 .301 .391 .692
1967 130 525 495 78 141 21 1 25 239 60 15 8 2 3 25 1 0 72 5 .285 .317 .483 .800
1968 74 209 188 20 45 6 0 10 81 27 3 1 0 1 19 0 1 40 0 .239 .311 .431 .742
1969 66 144 123 15 29 5 0 4 46 12 4 1 2 2 15 3 2 26 4 .236 .324 .374 .698
MLB:3年 95 122 108 20 19 9 1 2 36 8 1 2 3 0 11 2 0 19 2 .176 .252 .333 .585
NPB:6年 641 2148 1966 284 501 97 3 86 862 217 45 20 16 15 144 9 7 280 31 .255 .306 .438 .744

記録

[編集]
NPB

背番号

[編集]
  • 51 (1959年)
  • 23 (1961年)
  • 35 (1962年)
  • 27 (1964年 - 1969年)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、74ページ
  2. ^ SAM GAZDZIAK (2022年5月27日). “Obituary: Gordon Windhorn (1933-2022)”. RIP Baseball. 2022年6月1日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]