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アンリ・エルツ

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アンリ・エルツ

アンリ・エルツHenri Herz, 1803年1月6日 - 1888年1月5日[1])は、オーストリア出身のフランスピアニスト作曲家

ウィーンに生まれ、幼児期に父親とコブレンツダニエル・ヒュンテン英語版に音楽の手ほどきを受ける。1816年パリ音楽院に入学し、ルイ=バルテレミ・プラデール英語版ヴィクトル・ドゥルランアントニーン・レイハに師事[1]。超絶技巧のピアニストとしてヨーロッパ全土とロシア帝国アメリカ合衆国で演奏旅行を行なった。海外体験について記した著書『アメリカ紀行』を残している。

リストジギスモント・タールベルクヨハン・ペーター・ピクシスカール・チェルニーショパンとともに《ヘクサメロンベッリーニの歌劇「清教徒」の行進曲の主題よる演奏会用の華麗な大変奏曲)》(1837年)を共作した。リストはその後も、《音楽によるブロックヴィル侯爵夫人の肖像》において、エルツ作品を改作ないしは編曲している。

エルツは1836年ダクティリオンDactylion)という名の、手に装着する練習器具を開発し、発表した。

脚注

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  1. ^ a b Baker.

参考文献

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  • Slonimsky, Nicolas; Kuhn, Laura; McIntire, Dennis. “Herz, Henri (Actually, Heinrich)”. Baker’s Biographical Dictionary of Musicians. Encyclopedia.com. 2022年12月27日閲覧。

外部リンク

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