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田上健一

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田上 健一
阪神時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市
生年月日 (1987-12-12) 1987年12月12日(37歳)
身長
体重
180 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 2009年 育成選手ドラフト2位
初出場 2010年7月18日
最終出場 2015年9月23日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

田上 健一(たがみ けんいち、1987年12月12日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手外野手)。

経歴

プロ入り前

横浜市立都田西小学校3年生の時に野球を始めた。中学はクラブチーム(緑中央シニア)に入団、中学野球で外野手に転向。

中学校は同市立川和中学校に進み、シニアの監督からは団体競技だと週末の試合などでバッティングする可能性があるので「学校の部活は運動部なら個人競技の陸上部以外入るんじゃない!」と言われ監督は日ごろの体力向上の為に陸上部に入ると思っていたようだが田上は文化部のパソコン部に入部した。

本人曰く、この時にワープロ検定1級相当の技術を学べたので今の仕事にも役に立っていると語っている。

高校は創価高校に入学、高1の夏の大会からベンチ入りしレギュラーを獲得

大学は創価大学に進学した。田上が一年時三つ上の四年生に主将でトクサンTVの徳田正憲がいた。

大学時代には、50m走5秒7、遠投110mという俊足強肩の外野手として活躍。1年生の時からレギュラーを獲得した。3年春の東京新大学リーグでは、打率.364で自身初のベストナインに選出。その一方で、3年秋に調子を落としてからは、対外試合でスタメンから外れるようになった。一時は野球を辞めることも考えた[1]が、4年生になってから復活。春のリーグ戦では、打率.500で首位打者のタイトルを獲得するとともに、2度目のベストナインに選ばれた。さらに、秋のリーグ戦では、最多盗塁を記録した。

2009年の育成ドラフト会議で、阪神タイガースから2巡目で指名。育成選手として入団した。背番号は126。この会議では、大学の2年先輩・髙田周平も、阪神から1巡目で指名。田上と同じく、育成選手として入団している。

阪神時代

2010年には、春季キャンプの途中からオープン戦の終盤まで一軍に帯同。ウエスタン・リーグ公式戦では、開幕直後の3試合で、チームトップの打率3割とリーグ最多タイの2盗塁を記録した[2]3月29日支配下選手契約へ移行するとともに、背番号を61に変更。7月18日の対東京ヤクルトスワローズ戦(神宮球場)で一軍デビューを果たすと、一軍公式戦2試合に出場したが、初安打を放つまでには至らなかった。その一方で、ウエスタン・リーグ公式戦には、通算で98試合に出場。打率.242ながら、リーグ2位・チームトップの22盗塁を記録している。

2011年には、ウエスタン・リーグ公式戦81試合に出場。打率.245、11盗塁を記録した。10月19日にシーズン初の出場選手登録を果たすと、同日の対横浜ベイスターズ戦(甲子園球場)7回裏に、俊介代打として出場。一軍初安打を放った[3]

2012年には、代走や外野の守備固めを中心に、一軍公式戦31試合に出場。打率.308を達成したほか、一軍初打点を記録した。また、ウエスタン・リーグ公式戦には53試合へ出場。打率.208、10盗塁を記録した。

2013年には、一軍公式戦24試合に出場。打席数は8にとどまったが、打率.286、6得点、自己最多の5盗塁を記録した。ウエスタン・リーグ公式戦には47試合へ出場。打率.234、7盗塁という成績を残した。また、シーズン終了後の契約更改の際には、一般女性との結婚を発表している[4]

2014年には、一軍公式戦で自己最多の51試合に出場。自己最多の15得点を挙げた。ウエスタン・リーグ公式戦では、22試合の出場で、打率.222、2盗塁を記録した。さらに、一軍のレギュラーシーズン3位・クライマックスシリーズ突破によって進出した福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズにも、代走で出場している(詳細後述)。

2015年には、開幕を一軍で迎えた[5]が、打席での死球によって戦線を離脱。結局、一軍公式戦への出場は9試合にとどまった。ウエスタン・リーグ公式戦では、44試合の出場で、打率.257、3盗塁を記録。10月にはフェニックスリーグへ参加していたが、全日程終了直後の同月19日[6]に、球団から戦力外通告を受けた[7]12月2日付で、NPBから自由契約選手として公示[8]

阪神退団後

現役引退後(2019年9月)

2015年11月10日に、シートバッティング形式の12球団合同トライアウト草薙球場)へ参加。7人の投手に対して7打数1安打3三振という結果に終わった[9]が、トライアウト後には、独立リーグの球団やクラブチームから入団を打診された。しかし、本来の希望であるNPB他球団への移籍に至らなかった[10]ことから、現役を引退した。なお、引退を機に通信制星槎大学へ入学。共生科学部でスポーツ身体表現を専攻していた[11]

2016年1月1日付で、阪神時代の打撃コーチであった高橋光信と共に、オリックス・バファローズに業務委託スタッフとして入団。同年から高橋と共にスコアラーを務めた[12]が、2017年シーズン限りで退団した。

2018年から2020年1月までは、データスタジアム株式会社のベースボール事業部に野球担当のアナリストとして所属[13]2019年6月には、草野球チームの「天晴」に入団した。

「従来と違ったツールで野球界へ貢献したい」との思いが高じて、2020年2月に株式会社ケイコンテンツへ入社したことを機に、同社がYouTube上で運営している野球関連チャンネル「クニヨシTV」向けの動画制作を開始。プロ野球出身者では珍しく、企画、演出、出演、編集を基本として1人でこなしていることから、プロデューサーやディレクターとしての業務も担っている。また、「天晴」のチームメイトで、創価大野球部時代の先輩でもある徳田正憲(トクサン)が配信するYouTubeチャンネル「トクサンTV」にも従事。同年5月1日から開設されたオンラインサロンの「天晴ベースボール大学」では、講師を務めている[11]

その一方で、「天晴」でのプレーをきっかけに、現役復帰への意欲が再燃。2020年10月31日には、NPBへの復帰を目標に、12球団合同トライアウトへ5年振りに参加することを「クニヨシTV」で発表した[14]。12月7日に、阪神時代のユニフォーム姿で、実際に明治神宮野球場での合同トライアウトに参加。通算4打席で坂田将人から1四球を選んだものの、残る打席で伊藤準規渡邉啓太風張蓮相手にいずれも空振り三振を喫した[15][16]

プレースタイル・人物

50m走5秒7を記録する俊足の外野手で、守備範囲の広さも持ち味であった[17]

阪神時代の2013年4月25日には、対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で、1点ビハインドの9回表1死1・2塁で二塁走者の代走に起用された。次打者の代打関本賢太郎の左前安打で二塁からの本塁生還を試みたが、スタートが遅れたため、本塁でタッチアウト。阪神はこの試合に敗れたばかりか、田上自身も、翌26日に出場選手登録を抹消された。田上は後に、このプレーを「『足のスペシャリスト(代走要員)』としてプロで生きるための転機」と述懐。同じポジションで活躍する鈴木尚広読売ジャイアンツ)の著書を読みあさるなど、代走としての研究と経験を重ねた[10]。2015年のシーズン終了後には、鈴木との合同自主トレーニングを計画。しかし、阪神から戦力外通告を受けたため、実現に至らない[18]まま引退した。

2014年の日本シリーズでは、阪神の1勝3敗で迎えた第5戦(10月30日福岡ヤフオクドーム)の9回表1死1・2塁で、一塁走者マウロ・ゴメスの代走に起用。阪神は、田上を代走に起用した直後に、1点ビハインドながら福留孝介四球でチャンスを1死満塁にまで拡大した。そこで田上は、次打者・西岡剛が一塁線へのゴロを放つと、二塁から三塁へ進塁(三塁走者・上本博紀は本塁でフォースアウトを宣告)。さらに、併殺を狙った捕手・細川亨から一塁への送球が西岡の背中に当たって逸れたことを見計らって、本塁へ突入した。しかし、西岡が左打席から一塁への走塁中にファウルラインの内側を通った行為を、球審の白井一行守備妨害(西岡のアウト)と判定。併殺の成立によって田上の本塁生還が認められなかったため、0 - 1というスコアで試合が終了するとともに、阪神の日本シリーズ敗退が決まった[18][19]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2010 阪神 2 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2011 6 17 16 2 4 0 0 0 4 0 1 0 0 0 1 0 0 5 0 .250 .294 .250 .544
2012 31 16 13 8 4 0 0 0 4 1 2 1 2 0 1 0 0 5 0 .308 .357 .308 .665
2013 24 8 7 6 2 0 0 0 2 0 5 1 0 0 1 0 0 1 0 .286 .375 .286 .661
2014 51 43 39 15 9 1 0 0 10 2 3 0 1 0 3 0 0 7 1 .231 .286 .256 .542
2015 9 1 1 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
通算:6年 123 86 77 34 19 1 0 0 20 3 11 2 3 0 6 0 0 18 1 .247 .301 .260 .561

年度別守備成績



外野












2010 阪神 1 0 0 0 0 ----
2011 6 5 0 0 0 1.000
2012 16 11 0 1 0 .917
2013 12 3 0 0 0 1.000
2014 28 17 0 1 0 .944
2015 4 2 0 0 0 1.000
通算 67 38 0 2 0 .950

記録

背番号

  • 126 (2010年 - 2010年3月28日)
  • 61 (2010年3月29日 - 2015年)

登場曲

  • 映画『ロッキー』のテーマ(2010年)
  • STREET DREAMS - ZEEBRA(2011年)
  • 何かひとつ feat.JAY'ED &若旦那 - JAMOSA(2012年)
  • HAPPINESS - (2013年)

脚注

  1. ^ SPORTS COMMUNICATIONS - 阪神育成2位・田上健一「苦難の末につかんだ栄光」
  2. ^ 田上支配下登録「赤星さんの穴埋めたい」 日刊スポーツ、2010年3月30日。
  3. ^ 阪神・田上、代打で江尻からプロ初安打”. SANSPO.COM (2011年10月19日). 2011年10月20日閲覧。
  4. ^ “阪神・田上が結婚 お相手は一般女性”. スポーツニッポン. (2013年11月21日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/11/21/kiji/K20131121007055000.html 2013年12月5日閲覧。 
  5. ^ セントラル・リーグ開幕登録一覧日刊スポーツ 2015年3月25日
  6. ^ 田上、代走の醍醐味味わった阪神6年間(1)デイリースポーツ 2016年1月2日
  7. ^ 来季の選手契約について 阪神タイガース公式サイト 2015年10月21日閲覧。
  8. ^ 2015年度 自由契約選手 2015年12月2日閲覧。
  9. ^ 合同トライアウト詳細日刊スポーツ 2015年11月10日
  10. ^ a b 田上、代走の醍醐味味わった阪神6年間(2)デイリースポーツ 2016年1月2日
  11. ^ a b 元阪神の田上健一さんが動画クリエイターに転身”. 日刊スポーツ (2020年5月15日). 2020年5月15日閲覧。
  12. ^ 元阪神高橋光信と田上健一がオリックススコアラーに日刊スポーツ 2016年1月8日
  13. ^ アナリストレポート第4回「スコアラー 仕事の流儀」”. データスタジアム株式会社 (2018年9月11日). 2019年1月18日閲覧。
  14. ^ 元阪神田上氏 現役復帰へ5年ぶりトライアウト参加”. 日刊スポーツ (2020年10月31日). 2020年10月31日閲覧。
  15. ^ 新庄氏ら参加 12球団合同トライアウト”. 日刊スポーツ (2020年12月7日). 2020年12月7日閲覧。
  16. ^ “現役復帰希望の元阪神・田上氏 合同トライアウトは3三振で終了 15年限りで引退、6年ぶりNPB目指す”. Sponichi Annex. (2020年12月7日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2020/12/07/kiji/20201207s00001173248000c.html 2020年12月7日閲覧。 
  17. ^ “ポスト赤星候補”阪神田上を支配下登録”. nikkansports.com (2010年3月25日). 2013年12月5日閲覧。
  18. ^ a b 田上、代走の醍醐味味わった阪神6年間(3)デイリースポーツ 2016年1月2日
  19. ^ 「自分を責めたい」守備妨害の阪神・西岡が懺悔。THE PAGE 2014年10月31日

関連項目

外部リンク