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日亜修好通商航海条約

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日亜修好通商航海条約(にちあしゅうこうつうしょうこうかいじょうやく、日本帝国亜爾然丁共和国修好通商航海条約)とは、日本帝国アルゼンチン1898年に結んだ条約[1][2]。これにより、両国は外交関係を結んだ[1][2]

概要

1898年2月3日アメリカ合衆国首都ワシントンDC星亨とM・ガーシア・メルー(Martín García Mérou)により調印された[1]。1901年7月19日批准、9月18日ワシントンにおいて批准書交換、10月1日に公布[3]

その後、日本国民がアルゼンチンへ移民として移住したこともあって日亜関係は強まったが、第二次世界大戦において、1944年1月にアルゼンチンが対日断交、さらに1945年3月に対日宣戦布告して一時国交が断絶した[1][注釈 1]

日亜120周年記念行事

2018年2月21日、アルゼンチンにおいてガブリエラ・ミケティ英語版副大統領、アルゼンチンのホルヘ・ファウリエ外務大臣、福嶌駐アルゼンチン日本大使、アラン・ペロー駐日アルゼンチン大使らが出席して日亜修好通商航海条約120周年記念式典が開催された[2]。それ以外にも、日亜両国で300以上に上る記念行事が開催された[4]

脚注

注釈

  1. ^ 条約の結ばれた翌1899年横浜港に寄港したサルミエント号に乗ってアルゼンチンの正式な移民第1号となったのは、榛葉贇雄という人物である。

出典

外部リンク