祐徳稲荷神社
祐徳稲荷神社 | |
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祐徳稲荷神社 本殿・楼門 | |
所在地 | 佐賀県鹿島市古枝 |
位置 | 北緯33度4分25秒 東経130度6分30秒 / 北緯33.07361度 東経130.10833度座標: 北緯33度4分25秒 東経130度6分30秒 / 北緯33.07361度 東経130.10833度 |
主祭神 |
倉稲魂大神 大宮売大神 猿田彦大神 神令使命婦大神 萬媛命 |
社格等 | 旧県社・別表神社 |
創建 | 貞享4年(1687年) |
別名 | 鎮西日光 |
例祭 | 3月初午日 |
主な神事 | お火たき神事 |
祐徳稲荷神社(ゆうとくいなりじんじゃ)は、佐賀県鹿島市にある神社である。旧社格は県社。別名鎮西日光。
伏見稲荷大社、笠間稲荷神社とともに日本三大稲荷の一つに数えられる。年間300万人の参詣者が訪れる。これは九州の神社では太宰府天満宮に次ぐ参拝客数である。衣食住、生活全般の守護神として、商売繁盛、家運繁栄などで尊崇されている。
由緒
鹿島藩主鍋島直朝夫人で、後陽成天皇の孫・左大臣花山院定好の娘の萬子媛(まんこひめ)が、朝廷の勅願所であった稲荷大神の御分霊を勧請したのに始まる。萬子媛が嫁ぐ際、父から稲荷大神の神鏡を授けられていた。貞享4年(1687年)、石壁山に社殿を建立し、萬子媛自ら奉仕していたが、宝永2年(1705年)、石壁山窟の寿蔵にて、断食して入定を果たした。以降、萬子媛の諡名から「祐徳院」と呼ばれるようになり、祭神の稲荷神とともに萬子媛の霊験により信仰を集めた。
明治の神仏分離により仏式の行事を廃し、祐徳稲荷神社に改称した。その際、萬子媛が入定した寿蔵は境内社の石壁神社とされ、萬子媛に「萬媛命」の神号が贈られた。
現在の本殿は、昭和初期に建て直されたものが昭和24年(1949年)に焼失したあと、伊勢神宮造営局長の角南隆が設計して昭和32年(1957年)に再建されたもので、3代目である。主要建物は総漆塗りである。
境内
錦波川を境として西側に本殿、神楽殿、楼門がある。楼門から北側には参集殿、更にその北側には日本庭園がある。境内入口より北から祐徳バス門前出張所(祐徳神社前バス停)までの間の参道には門前商店街が軒を並べ、その北端には3000台が駐車できる無料駐車場がある。錦波川東の駐車場脇には神社が所蔵する美術工芸品や鎧・刀・鹿島錦など郷土の資料を展示した祐徳博物館が設置されている。
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外苑東山から社殿を望む
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鳥居
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楼門と太鼓橋
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楼門
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神楽殿
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懸造の本殿
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拝殿
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渡廊
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命婦社(県重要文化財)
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岩本社
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石壁社
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岩崎社
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奥の院への参道
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奥の院
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参集殿
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日本庭園
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祐徳博物館
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錦破川から社殿を望む
文化財
県重要文化財
- 命婦社
- 刀
- 古文書
交通
佐賀駅前の佐賀駅バスセンターまたは肥前鹿島駅前の鹿島バスセンターより祐徳バス祐徳神社行き乗車(所要時間は佐賀駅バスセンターから約1時間、鹿島バスセンターから約10分)。特に、年末年始(12月31日の深夜24時1月1日(元日)の午前0時前後より)は百貫橋(杵島郡白石町と鹿島市の境)から初詣客の車で渋滞している事がある。なお、1931年までは祐徳軌道が門前まで伸びていたが、現ルートでの長崎本線の開通に伴い廃止された。この祐徳軌道のバス事業を受け継いだのが現在の祐徳自動車、そして子会社の祐徳バスである。