コンテンツにスキップ

喜海

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2024年6月11日 (火) 07:27; Urusine (会話 | 投稿記録) による版 (テンプレートを追加。)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

喜海(きかい、治承2年(1178年)- 建長2年12月20日1251年1月13日))は、鎌倉時代中期の華厳宗。号は義林房。

略歴

[編集]

山城国栂尾高山寺に入って明恵に師事し華厳教学を学び、明恵とともに華厳教学やその注釈書「華厳経探玄記」の書写・校合に携わった。明恵の置文に高山寺久住の一人として高山寺の学頭と定められ、明恵の没後も高山寺十無尽院に住した。明恵の行状を記した「高山寺明恵上人行状」は有名である。弟子には静海弁清などがいる。