「日蘭修好通商条約」の版間の差分
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'''日蘭修好通商条約'''(にちらんしゅうこうつうしょうじょうやく)とは、[[安政]]5年[[7月10日 (旧暦)|7月10日]]([[1858年]][[8月18日]])に[[江戸]]において[[日本]]([[江戸幕府]])と[[オランダ王国|オランダ]]との間で結ばれた条約である。 |
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[[安政五カ国条約]]の一つ。全11条及び税則7則によって構成されている。 |
[[安政五カ国条約]]の一つ。全11条及び税則7則によって構成されている。 |
2023年11月6日 (月) 15:51時点における最新版
日蘭修好通商条約 | |
---|---|
署名 |
安政5年7月10日 (1858年8月18日) |
署名場所 | 江戸 |
締約国 |
日本 オランダ |
関連条約 |
安政五カ国条約 日蘭和親条約 日蘭追加条約 |
日蘭修好通商条約(にちらんしゅうこうつうしょうじょうやく)とは、安政5年7月10日(1858年8月18日)に江戸において日本(江戸幕府)とオランダとの間で結ばれた条約である。
安政五カ国条約の一つ。全11条及び税則7則によって構成されている。
概要
[編集]日本側の調印者は永井尚志・岡部長常・岩瀬忠震、オランダ側の調印者はヤン・ドンケル・クルティウス(最後のオランダ商館長、実質上の初代総領事)。
黒船来航後、日本とオランダとの間で日蘭和親条約及び日蘭追加条約が結ばれていたが、日米通商修好条約締結に合わせる形で締結された。
なお、この条約によってシーボルト事件におけるシーボルトの処分は免責され、翌年彼は再来日を果たしている。