「祐徳稲荷神社」の版間の差分
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[[稲荷神#日本四大稲荷|日本四大稲荷]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www5f.biglobe.ne.jp/~koushouji_gikuu/zatugaku13.html |title=雑学手帳13 |publisher=[[光松寺]] |date=2006-12-14 |accessdate=2018-11-21 }}</ref>、[[稲荷神#日本五大稲荷|日本五大稲荷]]<ref>{{Cite sign |author=[[佐久市]]・佐久市観光協会 |title=鼻顔稲荷神社 |type=案内板 |location=[[鼻顔稲荷神社]] }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://taikodani.jp/about/yuisyo/ |title=御由緒 |publisher=[[太鼓谷稲成神社]] |accessdate=2018-11-21 }}</ref>、[[稲荷神#日本六稲荷|日本六稲荷]]<ref>{{Cite book |和書 |author=西野八平 |date=1987-10-15 |title=法興天皇記 |publisher=[[講談社出版サービスセンター]] |asin=B01LTHNLDK }}</ref>、[[稲荷神#九州三大稲荷|九州三大稲荷]]<ref>[[石穴稲荷神社]]由緒書</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nihon-kankou.or.jp/oita/442046/detail/44204ba2210130831 |title=[[萩尾稲荷神社]]大祭 |publisher=日本観光振興協会 |accessdate=2018-11-16 }}</ref><ref>{{Cite sign |author=[[大田村 (大分県)|大田村]]商工会青年部 |title=白川稲荷大明神 |type=案内板 |location=[[白川稲荷大明神]] }}</ref>に数えられることもある。 |
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== 由緒 == |
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[[鹿島藩]]初代藩主[[鍋島直朝]]が、[[後陽成天皇]]の孫・左大臣[[花山院定好]]の娘の[[花山院萬子媛|萬子媛]](まんこひめ)を継室とし、その萬子媛が朝廷の勅願所であった[[伏見稲荷大社|伏見稲荷]]より稲荷大神の御[[分霊]]を[[勧請]]したのに始まる。萬子媛が嫁ぐ際、父から稲荷大神の神鏡を授けられていた。[[貞享]]4年([[1687年]])、石壁山に社殿を建立し、萬子媛自ら奉仕していたが、[[宝永]]2年([[1705年]])、石壁山窟の寿蔵にて、[[断食]]して入定を果たした。以降、萬子媛の諡名から「祐徳院」と呼ばれるようになり、祭神の[[稲荷神]]とともに萬子媛の霊験により信仰を集めた。 |
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明治の[[神仏分離]]により仏式の行事を廃し、祐徳稲荷神社に改称した。その際、萬子媛が入定した寿蔵は境内社の石壁神社とされ、萬子媛に「萬媛命」の神号が贈られた。 |
明治の[[神仏分離]]により仏式の行事を廃し、祐徳稲荷神社に改称した。その際、萬子媛が入定した寿蔵は境内社の石壁神社とされ、萬子媛に「萬媛命」の神号が贈られた。 |
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現在の本殿は、昭和初期に建て直されたものが昭和24年 |
現在の本殿は、[[昭和]]初期に建て直されたものが昭和24年([[1949年]])5月に焼失<ref name="nn171109">{{Cite news |title=祐徳稲荷神社進化続ける 創建330年 70年前の大火乗り越え インバウンドにもきめ細かい対応 [佐賀県]|newspaper=西日本新聞|date=2017-11-09|url=https://www.nishinippon.co.jp/nnp/saga/article/372155/|accessdate=2017-11-18}}</ref>したあと、[[伊勢神宮]]造営局長の[[角南隆]]が設計して昭和32年([[1957年]])に再建された<ref name="nn171109"/>もので、3代目である。主要建物は総[[漆]]塗りである。 |
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[[斎藤茂吉]]や[[野口雨情]]も祐徳稲荷神社を詠った詩を残している。 |
[[斎藤茂吉]]や[[野口雨情]]も祐徳稲荷神社を詠った詩を残している。 |
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== 境内 == |
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錦波川を境として西側に[[本殿]]、神楽殿、[[楼門]]がある。楼門から北側には参集殿、更にその北側には[[日本庭園]]がある。 |
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<!--ファイル:祐徳稲荷神社 社殿.JPG|外苑東山から社殿を望む--> |
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<!--ファイル:祐徳稲荷神社 鳥居.JPG|鳥居--> |
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ファイル:祐徳稲荷神社 神楽殿.JPG|神楽殿 |
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ファイル:祐徳稲荷神社 拝殿.JPG|拝殿 |
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<!--ファイル:祐徳稲荷神社 渡廊.JPG|渡廊--> |
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ファイル:祐徳稲荷神社 命婦社.JPG|命婦社(県文化財) |
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ファイル:祐徳稲荷神社 岩本社.JPG|岩本社 |
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ファイル:祐徳稲荷神社 石壁社.JPG|石壁社 |
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ファイル:祐徳稲荷神社 岩崎社.JPG|岩崎社 |
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<!--ファイル:祐徳稲荷神社 参道.JPG|奥の院への参道--> |
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ファイル:祐徳稲荷神社 奥の院.JPG|奥の院 |
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ファイル:祐徳稲荷神社 参集殿.JPG|参集殿 |
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<!--ファイル:祐徳稲荷神社 日本庭園.JPG|日本庭園--> |
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ファイル:祐徳稲荷神社外苑 祐徳博物館.JPG|祐徳博物館 |
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ファイル:祐徳稲荷神社 錦破川.JPG|錦波川から社殿を望む |
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== 文化財 == |
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*命婦社 |
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*刀 |
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*古文書 |
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== 交通 == |
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[[佐賀駅]]前の[[佐賀駅バスセンター]]または[[肥前鹿島駅]]前の[[鹿島バスセンター]]より[[祐徳バス]]祐徳神社行き乗車(所要時間は佐賀駅バスセンターから約1時間、鹿島バスセンターから約10分)。 |
[[佐賀駅]]前の[[佐賀駅バスセンター]]または[[肥前鹿島駅]]前の[[鹿島バスセンター]]より[[祐徳バス]]祐徳神社行き乗車(所要時間は佐賀駅バスセンターから約1時間、鹿島バスセンターから約10分)。特に、年末年始([[12月31日]]の深夜24時[[1月1日]](元日)の午前0時前後より)は百貫橋([[杵島郡]][[白石町]]と鹿島市の境)から初詣客の車で渋滞している事がある。なお、昭和6年([[1931年]])までは[[祐徳軌道]]が門前まで伸びていたが、現ルートでの[[長崎本線]]の開通に伴い廃止された。この祐徳軌道のバス事業を受け継いだのが現在の[[祐徳自動車]](祐徳バス)である。 |
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== 野球場 == |
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=== プロ野球公式戦開催実績 === |
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2試合を開催。内訳は[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]1試合、[[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]1試合。 |
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* 1950年4月21日 [[西日本パイレーツ]] 1-12 [[中日ドラゴンズ]] |
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* 1952年4月1日 [[埼玉西武ライオンズ|西鉄ライオンズ]] 5-2 [[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]] |
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== 脚注 == |
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== 関連項目 == |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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*[http://www.yutokusan.jp/ 祐徳稲荷神社] |
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*[http://www. |
* [http://www.yutokusan.jp/ 祐徳稲荷神社] - 公式サイト |
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* {{YouTube|iQs5rEB4Ruw|祐徳神社お火たき(鹿島市) 佐賀の音100選(重)}}([[佐賀新聞]]社提供、2015年11月27日公開) |
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* [http://www.hizennya.com/fs/sake/c/yutoku 祐徳稲荷神社をテーマにしたお酒] |
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[[zh:祐德稻荷神社]] |
2024年12月3日 (火) 14:35時点における最新版
祐徳稲荷神社 | |
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楼門 拝殿 | |
所在地 | 佐賀県鹿島市古枝 |
位置 | 北緯33度4分25秒 東経130度06分30秒 / 北緯33.07361度 東経130.10833度座標: 北緯33度4分25秒 東経130度06分30秒 / 北緯33.07361度 東経130.10833度 |
主祭神 |
倉稲魂大神 大宮売大神 猿田彦大神 神令使命婦大神 萬媛命 |
社格等 |
旧県社 別表神社 |
創建 | 貞享4年(1687年) |
別名 | 鎮西日光 |
例祭 | 3月初午日 |
主な神事 | お火たき神事 |
地図 |
祐徳稲荷神社(ゆうとくいなりじんじゃ)は、佐賀県鹿島市にある神社。旧社格は県社で別表神社。別名鎮西日光。楼門は日光東照宮の修復職人達の手による陽明門を模したものである。
伏見稲荷大社、笠間稲荷神社とともに日本三大稲荷の一つに数えられる。年間300万人の参詣者が訪れる。衣食住、生活全般の守護神として、商売繁盛、家運繁栄などで尊崇されている。
日本四大稲荷[1]、日本五大稲荷[2][3]、日本六稲荷[4]、九州三大稲荷[5][6][7]に数えられることもある。
由緒
[編集]鹿島藩初代藩主鍋島直朝が、後陽成天皇の孫・左大臣花山院定好の娘の萬子媛(まんこひめ)を継室とし、その萬子媛が朝廷の勅願所であった伏見稲荷より稲荷大神の御分霊を勧請したのに始まる。萬子媛が嫁ぐ際、父から稲荷大神の神鏡を授けられていた。貞享4年(1687年)、石壁山に社殿を建立し、萬子媛自ら奉仕していたが、宝永2年(1705年)、石壁山窟の寿蔵にて、断食して入定を果たした。以降、萬子媛の諡名から「祐徳院」と呼ばれるようになり、祭神の稲荷神とともに萬子媛の霊験により信仰を集めた。
明治の神仏分離により仏式の行事を廃し、祐徳稲荷神社に改称した。その際、萬子媛が入定した寿蔵は境内社の石壁神社とされ、萬子媛に「萬媛命」の神号が贈られた。
現在の本殿は、昭和初期に建て直されたものが昭和24年(1949年)5月に焼失[8]したあと、伊勢神宮造営局長の角南隆が設計して昭和32年(1957年)に再建された[8]もので、3代目である。主要建物は総漆塗りである。
境内
[編集]錦波川を境として西側に本殿、神楽殿、楼門がある。楼門から北側には参集殿、更にその北側には日本庭園がある。
本殿は舞台造りの上に建てられた総漆塗りの建物で、117段の階段の上に位置している[9]。本殿は高所にあるが、有料のエレベーターが設置されている[8]。
境内入口より北から祐徳バス門前出張所(祐徳神社前バス停)までの間の参道には門前商店街が軒を並べ、その北端には3000台が駐車できる無料駐車場がある。錦波川東の駐車場脇には神社が所蔵する美術工芸品や鎧・刀・鹿島錦など郷土の資料を展示した祐徳博物館が設置されている。
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神楽殿
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拝殿
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命婦社(県文化財)
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岩本社
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石壁社
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岩崎社
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奥の院
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参集殿
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祐徳博物館
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錦波川から社殿を望む
文化財
[編集]県指定有形文化財
[編集]- 命婦社
- 刀
- 古文書
交通
[編集]佐賀駅前の佐賀駅バスセンターまたは肥前鹿島駅前の鹿島バスセンターより祐徳バス祐徳神社行き乗車(所要時間は佐賀駅バスセンターから約1時間、鹿島バスセンターから約10分)。特に、年末年始(12月31日の深夜24時1月1日(元日)の午前0時前後より)は百貫橋(杵島郡白石町と鹿島市の境)から初詣客の車で渋滞している事がある。なお、昭和6年(1931年)までは祐徳軌道が門前まで伸びていたが、現ルートでの長崎本線の開通に伴い廃止された。この祐徳軌道のバス事業を受け継いだのが現在の祐徳自動車(祐徳バス)である。
野球場
[編集]本神社は境内に『祐徳国際グラウンド』という野球場を建設し、1935年に開場して運営していたことがある。このグラウンドは現在の来訪者用駐車場の位置にあり[10]、1950年(昭和25年)4月21日にプロ野球の西日本パイレーツが中日ドラゴンズを帯同してセントラル・リーグの公式戦を開催した(中日が12-1で西日本を下した)[10]。この試合では中日の先発投手杉下茂が6回表に西日本の野本喜一郎から満塁本塁打を放っているが、これはセントラル・リーグ初の“投手が打った満塁本塁打”であった[10]。
このグラウンドは火災などもあり、1957年までに自然消滅したと言われている[10]。
プロ野球公式戦開催実績
[編集]脚注
[編集]- ^ “雑学手帳13”. 光松寺 (2006年12月14日). 2018年11月21日閲覧。
- ^ 佐久市・佐久市観光協会. 鼻顔稲荷神社 (案内板). 鼻顔稲荷神社.
- ^ “御由緒”. 太鼓谷稲成神社. 2018年11月21日閲覧。
- ^ 西野八平『法興天皇記』講談社出版サービスセンター、1987年10月15日。ASIN B01LTHNLDK。
- ^ 石穴稲荷神社由緒書
- ^ “萩尾稲荷神社大祭”. 日本観光振興協会. 2018年11月16日閲覧。
- ^ 大田村商工会青年部. 白川稲荷大明神 (案内板). 白川稲荷大明神.
- ^ a b c “祐徳稲荷神社進化続ける 創建330年 70年前の大火乗り越え インバウンドにもきめ細かい対応 [佐賀県”]. 西日本新聞. (2017年11月9日) 2017年11月18日閲覧。
- ^ 鹿島市観光ガイド 鹿島市産業部商工観光課、一般社団法人鹿島市観光協会、2024年12月3日閲覧。
- ^ a b c d 山本勉(セントラル・リーグ公式記録員) (2019年1月18日). “【球跡巡り・第11回】フォークボールの神様・杉下茂 神様の前でセ初の投手満塁弾 祐徳国際グラウンド”. NPBニュース. 日本野球機構. 2021年5月4日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 祐徳稲荷神社 - 公式サイト
- 祐徳神社お火たき(鹿島市) 佐賀の音100選(重) - YouTube(佐賀新聞社提供、2015年11月27日公開)
- 祐徳稲荷神社をテーマにしたお酒