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'''ジョエル・ロブション'''({{lang-fr-short|'''Joël Robuchon'''}}, [[1945年]][[4月7日]] - [[2018年]][[8月6日]]<ref name="kiji399138659510535265">{{Cite web|url=https://this.kiji.is/399138659510535265|title=世界的シェフ、ロブション氏死去|date=2018-08-06|accessdate=2018-08-06|publisher=共同通信社}}</ref>)は[[フラス]]の[[シェフ]]。有名シェフとして知らている<ref name="kiji399138659510535265"/><ref name="jiji2018080601017"/>。'''ジョエル・ロビュション'''の表記もみられる<ref>{{NCID|BA3112425X}}</ref>。
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-07}}</ref>)は、[[フランス]]の[[シェフ]]。'''ジョエル・ロビュション'''の表記もみられる<ref>{{NCID|BA3112425X}}</ref>。

世界で最も多く[[ミシュラン]]の星を持つ有名シェフとして知られている<ref name="kiji399138659510535265"/><ref name="jiji2018080601017"/>。2020年10月現在、11カ国13都市([[パリ]]、[[東京]]、[[モナコ]]、[[ロンドン]]、[[上海]]、[[香港]]、[[マカオ]]、[[台北]]、[[ニューヨーク]]、[[マイアミ]]、[[ラスベガス]]、[[モントリオール]]、[[ドバイ]])に同氏の名前を冠した店舗が存在しており、合計33個のミシュランの星を獲得している。


==人物・生涯==
==人物・生涯==
[[ポワチエ]]出身。15歳で、ホテル「ルレ・ド・ポワチエ」の見習いシェフとしてキャリアをスタートさせた。その後[[セーヌ川]]の船上シェフを務めた<ref>[https://www.scmp.com/magazines/post-magazine/food-drink/article/2143551/it-was-harder-military-service-french-chef ‘It was harder than military service’ – French chef on working for Joël Robuchon]South Chine Morning Post, 27 Apr 2018</ref>。28歳で「コンコルド・ラファエットホテル」の総料理長に就任、[[1976年]]にフランスの[[国家最優秀職人章]]([[w:en:Meilleur Ouvrier de France|Meilleur Ouvrier de France]], 略称MOF)の資格を取得。同年来日し、レストラン「ラ・ベル・エポック」で働く<ref name=femme>[https://www.femmeactuelle.fr/actu/news-actu/mort-de-joel-robuchon-qui-sont-ses-enfants-sophie-et-louis-robuchon-tous-les-deux-passionnes-de-cuisine-2068442 Mort de Joël Robuchon : qui sont ses enfants, Sophie et Louis Robuchon, tous les deux passionnés de cuisine ?]Femme Actuelle, le 6 août 2018 </ref>。[[1981年]]には独立してレストラン「ジャマン」を開店、に店名を「ジョエル・ロブション」へと改め、現在に至る。ロブションは、レストランガイド「[[ゴー・ミヨ]]」に「世紀のシェフ」として紹介された事でも知られている。1990年代以降はフランス国外とりわけ日本での活動が豊富で、日本の[[フランス料理|フレンチ]]業界に与えた影響も大きく、日本のメディアでは「フレンチの神様」「フレンチの皇帝」と称されることも多い。
[[ポワチエ]]出身。15歳で、ホテル「ルレ・ド・ポワチエ」の見習いシェフとしてキャリアをスタートさせた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/world/news/180806/wor1808060019-n1.html|title=J・ロブション氏死去 仏料理の世界的シェフ|publisher=産経新聞|date=2018-08-06|accessdate=2020-08-01}}</ref>。その後[[セーヌ川]]の船上シェフを務めた<ref>[https://www.scmp.com/magazines/post-magazine/food-drink/article/2143551/it-was-harder-military-service-french-chef ‘It was harder than military service’ – French chef on working for Joël Robuchon]South Chine Morning Post, 27 Apr 2018</ref>。28歳で「コンコルド・ラファエットホテル」の総料理長に就任、[[1976年]]にフランスの[[国家最優秀職人章]][[w:en:Meilleur Ouvrier de France|Meilleur Ouvrier de France]], 略称MOF)の資格を取得。同年来日し、レストラン「ラ・ベル・エポック」で働く<ref name="femme">[https://www.femmeactuelle.fr/actu/news-actu/mort-de-joel-robuchon-qui-sont-ses-enfants-sophie-et-louis-robuchon-tous-les-deux-passionnes-de-cuisine-2068442 Mort de Joël Robuchon : qui sont ses enfants, Sophie et Louis Robuchon, tous les deux passionnés de cuisine ?]Femme Actuelle, le 6 août 2018 </ref>。
[[1981年]]には独立してレストラン「ジャマン」を開店。1982年にミシュラン1つ星1983年にミシュラン2つ星、そして1984年には史上最短でミシュラン3つ星を獲得した。1994年に店名を「ジョエル・ロブション」へと改め、現在に至る。ロブションは、レストランガイド「[[ゴー・ミヨ]]」に「世紀のシェフ」として紹介された事でも知られている。1990年代以降はフランス国外とりわけ日本での活動が豊富で、日本の[[フランス料理|フレンチ]]業界に与えた影響も大きく、日本のメディアでは「フレンチの神様」「フレンチの皇帝」と称されることも多い<ref name="tatsumi16">[[#巽|巽(2022)pp.16-19]]</ref>


1996年に現役を退くも、その味を愛してやまない人達からの熱烈な声に後押しされる形で2003年に料理人として現役復帰する。
1996年に現役を退くも、その味を愛してやまない人達からの熱烈な声に後押しされる形で2003年に料理人として現役復帰する。


2013年現在世界11カ国に店舗を持ち、[[ミシュランガイド]]にて総数28個の星を獲得しており、「世界一星を持つシェフ」としても知られている。
2020年現在世界10カ国に店舗を持ち、[[ミシュランガイド]]にて総数33個の星を獲得しており、「世界一星を持つシェフ」としても知られている。
日本国内では東京に6つの店舗を持ち、そのうちの「ガストロノミー ジョエル・ロブション([[恵比寿ガーデンプレイス]])」が三つ星、「ラ ターブル ドゥ ジョエル・ロブション(恵比寿ガーデンプレイス)」が二つ星、「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション([[六本木ヒルズ]])」がつ星を獲得している。
日本国内では東京に9つの店舗を持ち、そのうちの「ガストロノミー ジョエル・ロブション([[恵比寿ガーデンプレイス]])」が三つ星、「ラ ターブル ドゥ ジョエル・ロブション(恵比寿ガーデンプレイス)」が二つ星、「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション([[六本木ヒルズ]])」がつ星を獲得している。


日本国内でのロブション・グループの母体は、[[ピザーラ]]の親会社としても知られる[[ピザーラ#株式会社フォーシーズ|株式会社フォーシーズ]]が受け持っている。
日本国内におけるジョエル・ロブションの代理店は株式会社ソニ・クリエイティブロダクツが担い、日本国内におけるレストラン事業営は、[[ピザーラ]]の親会社としても知られる[[ピザーラ#株式会社フォーシーズ|株式会社フォーシーズ]]が委託を受けている。
世界的には、東京、香港、マカオ、シンガポールとミシュラン3つ星レストラン軒の総料理長で、[[アラン・デュカス]]の3軒を超え世界最多3つ星シェフであったが、シンガポール店の閉店により、アラン・デュカスと並ぶ3軒の世界最多タイの3つ星シェフとなっていた
世界的には、東京、香港、マカオとミシュラン3つ星レストラン3軒の総料理長で、世界最多3つ星シェフ。


[[ドルドーニュ県]]でレストランを夫婦で経営する娘・ソフィーと<ref name=femme/>、[[福岡]]在住の日本女性との息子・ルイ(龍依)・ロブション・安部いる<ref>[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000014103.html ジョエル・ロブション2世であるルイ・ロブションが厳選する“とっておきの1本”が勢揃いオールドヴィンテージ/日本初上陸ワイン専門サイト「LR SELECTION」リニューアルオープン]PR TIMES, 2015年6月16日</ref>ルイは福岡で日仏産品輸出入会社経営している<ref>[https://www.duvin.jp/message/abe.html ・ロブション・安部]レコール・デュ・ヴァン</ref>。
[[ドルドーニュ県]]でレストランを夫婦で経営する娘・ソフィーと<ref name=femme/>、[[福岡県|福岡]]在住の日本女性との間に生まれた息子・ルイがおり<ref>[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000014103.html 日本初上陸ワイン専門サイト「LR SELECTION」リニューアルオープン!]PR TIMES, 2015年6月16日</ref>ルイは2019年からジョエル・ロブション・グループ共同代表務め傍ら<ref name="pinzuba6758">{{Cite web2|url= https://pinzuba.news/articles/-/6758?page=1 |title= “フレンチの皇帝”ジョエル・ロブションの息子が日本でチョト専門店を開店「父からの教えとライバ心」 |website=ピズバ|publisher=[[双葉社]]|date=2024-05-12|accessdate=2023-05-12}}</ref>、2024年3月にはショコラトリー「Eclat de Chocolat Louis Robuchon」を日本でオープンした<ref name="pinzuba6758"/>。


===略年譜===
===略年譜===
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**5月: パリ・ロワイヤルホテルに「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」開店。現役に復帰する。
**5月: パリ・ロワイヤルホテルに「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」開店。現役に復帰する。
*[[2004年]]
*[[2004年]]
**4月: 東京・日本橋[[島屋]]に「ル・カフェ・ドゥ・ジョエル・ロブション(LE CAFE de Joel Robuchon)」開店。
**4月: 東京・日本橋[[島屋]]に「ル・カフェ・ドゥ・ジョエル・ロブション(LE CAFE de Joel Robuchon)」開店。
**12月: 東京・恵比寿に「シャトーレストラン ジョエル・ロブション」をリニューアルオープン。
**12月: 東京・恵比寿に「シャトーレストラン ジョエル・ロブション」をリニューアルオープン。
*[[2005年]]9月: ラスベガス MGM Grand Hotel に「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」(ラスベガス版で二つ星)「ジョエル・ロブション」(ラスベガス版で三ツ星)店。
*[[2005年]]9月: ラスベガス MGM Grand Hotel に「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」(ラスベガス版で二つ星)「ジョエル・ロブション」(ラスベガス版で三ツ星)店。
*[[2006年]]
*[[2006年]]
**8月: Four Seasons Hotel New York に「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」開店。現在、閉店。
**8月: Four Seasons Hotel New York に「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」開店。現在、閉店。
**9月: ロンドンに「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」開店。現在、1つ星
**9月: ロンドンに「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」開店。現在、閉店
**11月: 香港に「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」開店。現在、3つ星。ラトリエの3つ星は、世界でここ1軒だけ。
**11月: 香港に「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」開店。現在、3つ星。ラトリエの3つ星は、世界でここ1軒だけ。
*2007年
*2007年
**5月30日: [[松坂屋]]名古屋本店に、レストラン「ラ・ターブル・ドゥ・ジョエル・ロブション」(LA TABLE de Joel Robuchon)開店。2011年6月閉店。
**5月30日: [[松坂屋]]名古屋本店に、レストラン「ラ・ターブル・ドゥ・ジョエル・ロブション」(LA TABLE de Joel Robuchon)開店。2011年6月閉店。
**9月26日: 松坂屋名古屋本店に、ブランジュリー&パティスリー「ラ・ブティック・ドゥ・ジョエル・ロブション 名古屋店」(LA BOUTIQUE de Joel Robuchon Nagoya)開店。2011年6月閉店。
**9月26日: 松坂屋名古屋本店に、ブランジュリー&パティスリー「ラ・ブティック・ドゥ・ジョエル・ロブション 名古屋店」(LA BOUTIQUE de Joel Robuchon Nagoya)開店。2011年6月閉店。
*2018年
*2018年
**8月6日: スイスのジュネーブで死去した<ref name="jiji2018080601017"/>。73歳没<ref name="jiji2018080601017"/>。[[がん]]を患っていたという<ref name="jiji2018080601017">{{Cite web|url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2018080601017|title=ジョエル・ロブション氏死去=「フランス料理の神様」|date=2018-08-06|accessdate=2018-08-12|publisher=時事通信社}}</ref>。
**8月6日: [[スイス]][[ジュネーブ]]で死去した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bbc.com/japanese/45093980|title=フランス料理のスター、ロブション氏死去 ミシュラン星30以上|publisher=BBCニュース|date=2018-08-07|accessdate=2019-12-15}}</ref><ref name="jiji2018080601017"/>。73歳没<ref name="jiji2018080601017"/>。[[がん]]を患っていたという<ref name="jiji2018080601017">{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20180812022221/https://www.jiji.com/jc/article?k=2018080601017|title=ジョエル・ロブション氏死去=「フランス料理の神様」|date=2018-08-06|accessdate=2018-08-12|publisher=時事通信社}}{{リンク切れ|date=2021年1月}}</ref>。


=== ロブションと日本 ===
==料理のスタイル==
上述したように、1990年代以降は特に日本での活動が活発で、彼が日本のフランス料理界に与えた影響は大きいものであったが、一方でロブションは、日本そして[[日本料理|和食]]と和食文化をこよなく愛した一人でもあった<ref name="tatsumi16" />{{refnest|group="注釈"|[[2013年]]に[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[無形文化遺産|世界無形文化遺産]]に登録されたのは、和食そのものというより食前食後に「いただきます」「ごちそうさま」と手を合わせることを含む、和食文化であり、そこにみられる精神性であった<ref name="tatsumi16" />。}}。彼が発案したといわれ、今や世界的な広がりをもつに至ったオープンキッチンのスタイルも、ロブションが[[割烹]]や[[寿司屋]]などで学び得た発想を基にしているという<ref name="tatsumi16" />。
[[ジャン・ドラベーヌ]]を生涯の師と呼び、アラン・シャル、シャルル・バリエからも強い影響を受けて、[[ヌーベルキュイジーヌ]]の新たな料理法に取り組むようになった。

ジョルジュ・プラリュから[[真空調理法]]を紹介され、その後、電車内の高級レストランの調理法として採用することになった。それ以来、[[真空調理法]]を評価して研究を行っている。[[分子ガストロノミー]]に対しては批判的である。
== 料理のスタイル ==
[[ジャン・ドラベーヌ]]を生涯の師と呼び、[[アラン・シャ]][[シャルル・バリエ]]からも強い影響を受けて、[[ヌーベルキュイジーヌ]]の新たな料理法に取り組むようになった。

[[ジョルジュ・プラリュ]]から[[真空調理法]]を紹介され、その後、電車内の高級レストランの調理法として採用することになった。それ以来、[[真空調理法]]を評価して研究を行っている。[[分子ガストロノミー]]に対しては批判的である。


==叙勲・受賞歴==
==叙勲・受賞歴==
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==著作==
==著作==
*『ロブション自伝』中央公論新社、2008年。ISBN 4122049997
*『ロブション自伝』[[中央公論新社]]、2008年。ISBN 4122049997


==出典==
== 脚注 ==
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<references />
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
* {{cite journal|last=巽|first=好幸|date=2022年2月|title=和食文化を育む世界一の変動帯、日本列島|journal=『図書』|publisher=岩波書店|volume=878号|pages=pp.16-19|ref=巽}}


==関連項目==
==関連項目==
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*[[フランス料理]]
*[[フランス料理]]
*[[ミシュランガイド]]
*[[ミシュランガイド]]
*[[ドミニク・ブシェ]] - 弟子の一人


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
107行目: 123行目:
*[http://www.robuchon.com/ Joel Robuchon]{{ja icon}} - ジョエル・ロブション オフィシャルサイト
*[http://www.robuchon.com/ Joel Robuchon]{{ja icon}} - ジョエル・ロブション オフィシャルサイト
*[http://www.robuchon.jp/ Joel Robuchon|ジョエル・ロブション]{{ja icon}} - シャトーレストラン ジョエル・ロブション
*[http://www.robuchon.jp/ Joel Robuchon|ジョエル・ロブション]{{ja icon}} - シャトーレストラン ジョエル・ロブション
*[https://web.archive.org/web/20010202082700/http://global-rights.co.jp/ROBUCHON/index.html グローバル・ライツ ホームページ]{{ja icon}} - 旧オフィシャルサイト
*{{kotobank|ジョエル ロブション-1688830|現代外国人名録2012|ジョエル ロブション}}
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2024年5月12日 (日) 06:19時点における最新版

ジョエル・ロブション
2010年9月
生誕 1945年4月7日
フランスの旗 フランス共和国
ヴィエンヌ県ポワチエ
死没 (2018-08-06) 2018年8月6日(73歳没)
スイスの旗 スイス
ジュネーヴ州ジュネーヴ
公式サイト www.joel-robuchon.net
料理人歴
様式ヌーベルキュイジーヌ

ジョエル・ロブション: Joël Robuchon, 1945年4月7日 - 2018年8月6日[1][2])は、フランスシェフジョエル・ロビュションの表記もみられる[3]

世界で最も多くミシュランの星を持つ有名シェフとして知られている[1][4]。2020年10月現在、11カ国13都市(パリ東京モナコロンドン上海香港マカオ台北ニューヨークマイアミラスベガスモントリオールドバイ)に同氏の名前を冠した店舗が存在しており、合計33個のミシュランの星を獲得している。

人物・生涯

[編集]

ポワチエ出身。15歳で、ホテル「ルレ・ド・ポワチエ」の見習いシェフとしてキャリアをスタートさせた[5]。その後セーヌ川の船上シェフを務めた[6]。28歳で「コンコルド・ラファエットホテル」の総料理長に就任、1976年にフランスの国家最優秀職人章Meilleur Ouvrier de France, 略称MOF)の資格を取得。同年来日し、レストラン「ラ・ベル・エポック」で働く[7]

1981年には独立してレストラン「ジャマン」を開店。1982年にミシュラン1つ星、1983年にミシュラン2つ星、そして1984年には史上最短でミシュラン3つ星を獲得した。1994年に店名を「ジョエル・ロブション」へと改め、現在に至る。ロブションは、レストランガイド「ゴー・ミヨ」に「世紀のシェフ」として紹介された事でも知られている。1990年代以降はフランス国外とりわけ日本での活動が豊富で、日本のフレンチ業界に与えた影響も大きく、日本のメディアでは「フレンチの神様」や 「フレンチの皇帝」と称されることも多い[8]

1996年に現役を退くも、その味を愛してやまない人達からの熱烈な声に後押しされる形で2003年に料理人として現役復帰する。

2020年現在世界10カ国に店舗を持ち、ミシュランガイドにて総数33個の星を獲得しており、「世界一星を持つシェフ」としても知られている。 日本国内では東京に9つの店舗を持ち、そのうちの「ガストロノミー ジョエル・ロブション(恵比寿ガーデンプレイス)」が三つ星、「ラ ターブル ドゥ ジョエル・ロブション(恵比寿ガーデンプレイス)」が二つ星、「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション(六本木ヒルズ)」が一つ星を獲得している。

日本国内におけるジョエル・ロブションの代理店は株式会社ソニー・クリエイティブプロダクツが担い、日本国内におけるレストラン事業の運営は、ピザーラの親会社としても知られる株式会社フォーシーズが委託を受けている。 世界的には、東京、香港、マカオとミシュラン3つ星レストラン3軒の総料理長で、世界最多3つ星シェフ。

ドルドーニュ県でレストランを夫婦で経営する娘・ソフィーと[7]福岡在住の日本女性との間に生まれた息子・ルイがおり[9]、ルイは2019年からジョエル・ロブション・グループの共同代表を務める傍ら[10]、2024年3月にはショコラトリー「Eclat de Chocolat Louis Robuchon」を日本でオープンした[10]

略年譜

[編集]
恵比寿ガーデンプレイスの「シャトーレストラン ジョエル・ロブション」
  • 1945年4月7日: ヴィエンヌ県ポワティエ生まれ。
  • 1960年: ホテル・レストラン「ルレ・ド・ポワティエ(Relais de Poitiers)」の見習いになる(15歳)。
  • 1966年: 「コンパニョン・ド・トゥール・ド・フランス(Compagnon du Tour de France): フランス遍歴同業者組合」加入。
  • 1974年: 「オテル コンコルド・ラ・ファイエット(Hotel Concorde La Fayette)」総料理長就任。
  • 1976年ポール・ボキューズ(Paul Bocuse)の招きで初来日し、日本のシンプルな盛り付けと重くないソースに影響を受ける。
  • 1978年: 「オテル ニッコー・ド・パリ(Hotel Nikko de Paris): レ・セレブリテ(Les Celebrites)」料理部門長就任。
  • 1981年: 「レ・セレブリテ」がミシュラン2つ星になる。
  • 1982年3月: ミシュラン1つ星。
  • 1983年: ミシュラン2つ星。
  • 1984年: ミシュラン3つ星を史上最短で獲得。
  • 1994年
    • 1月: 「ジャマン」を移転・拡大し、店名も「ジョエル・ロブション」に改める。
    • 10月: 東京・恵比寿シャトーレストラン「タイユバン・ロブション(Taillevent Robuchon)」プロデュース。
  • 1996年
    • 7月: 「最高の状態でやめたい」と言って「ジョエル・ロブション(Joel Robuchon)」を閉店、現役を引退。以降はレストランのプロデュース業と後進の育成に専念する。彼は以前より、「料理人は50歳を過ぎると腕が衰えてくる。だから、自分は50歳になったら現役を引退するつもりだ」と宣言しており、それを実行する形となった。
    • 10月: 「ラストール」顧問就任。自身のプロデュース・出演によるテレビ番組"CUISINEZ COMME UN GRAND CHEF"放映開始。
  • 2001年2月: マカオ・リスボアホテル「Robuchon a Galera」プロデュース。
  • 2003年
    • 4月: 東京・六本木ヒルズに「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション(L'ATELIER de Joel Robuchon)」開店。
    • 5月: パリ・ロワイヤルホテルに「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」開店。現役に復帰する。
  • 2004年
    • 4月: 東京・日本橋髙島屋に「ル・カフェ・ドゥ・ジョエル・ロブション(LE CAFE de Joel Robuchon)」開店。
    • 12月: 東京・恵比寿に「シャトーレストラン ジョエル・ロブション」をリニューアルオープン。
  • 2005年9月: ラスベガス MGM Grand Hotel に「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」(ラスベガス版で二つ星)「ジョエル・ロブション」(ラスベガス版で三ツ星)店。
  • 2006年
    • 8月: Four Seasons Hotel New York に「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」開店。現在、閉店。
    • 9月: ロンドンに「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」開店。現在、閉店。
    • 11月: 香港に「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」開店。現在、3つ星。※ラトリエの3つ星は、世界でここ1軒だけ。
  • 2007年
    • 5月30日: 松坂屋名古屋本店に、レストラン「ラ・ターブル・ドゥ・ジョエル・ロブション」(LA TABLE de Joel Robuchon)開店。2011年6月閉店。
    • 9月26日: 松坂屋名古屋本店に、ブランジュリー&パティスリー「ラ・ブティック・ドゥ・ジョエル・ロブション 名古屋店」(LA BOUTIQUE de Joel Robuchon Nagoya)開店。2011年6月閉店。
  • 2018年

ロブションと日本

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上述したように、1990年代以降は特に日本での活動が活発で、彼が日本のフランス料理界に与えた影響は大きいものであったが、一方でロブションは、日本そして和食と和食文化をこよなく愛した一人でもあった[8][注釈 1]。彼が発案したといわれ、今や世界的な広がりをもつに至ったオープンキッチンのスタイルも、ロブションが割烹寿司屋などで学び得た発想を基にしているという[8]

料理のスタイル

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ジャン・ドラベーヌを生涯の師と呼び、アラン・シャペルシャルル・バリエからも強い影響を受けて、ヌーベルキュイジーヌの新たな料理法に取り組むようになった。

ジョルジュ・プラリュから真空調理法を紹介され、その後、電車内の高級レストランの調理法として採用することになった。それ以来、真空調理法を評価して研究を行っている。分子ガストロノミーに対しては批判的である。

叙勲・受賞歴

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他多数

著作

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脚注

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注釈

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  1. ^ 2013年ユネスコ世界無形文化遺産に登録されたのは、和食そのものというより食前食後に「いただきます」「ごちそうさま」と手を合わせることを含む、和食文化であり、そこにみられる精神性であった[8]

出典

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  1. ^ a b 世界的シェフ、ロブション氏死去”. 共同通信社 (2018年8月6日). 2018年8月6日閲覧。[リンク切れ]
  2. ^ “仏料理界の巨匠、ジョエル・ロブション氏死去 73歳”. AFPBB NEWS. (2018年8月6日). https://www.afpbb.com/articles/-/3185125 2021-08 -07閲覧。 
  3. ^ NCID BA3112425X
  4. ^ a b c d ジョエル・ロブション氏死去=「フランス料理の神様」”. 時事通信社 (2018年8月6日). 2018年8月12日閲覧。[リンク切れ]
  5. ^ J・ロブション氏死去 仏料理の世界的シェフ”. 産経新聞 (2018年8月6日). 2020年8月1日閲覧。
  6. ^ ‘It was harder than military service’ – French chef on working for Joël RobuchonSouth Chine Morning Post, 27 Apr 2018
  7. ^ a b Mort de Joël Robuchon : qui sont ses enfants, Sophie et Louis Robuchon, tous les deux passionnés de cuisine ?Femme Actuelle, le 6 août 2018
  8. ^ a b c d 巽(2022)pp.16-19
  9. ^ 日本初上陸ワイン専門サイト「LR SELECTION」リニューアルオープン!PR TIMES, 2015年6月16日
  10. ^ a b ""フレンチの皇帝"ジョエル・ロブションの息子が日本でチョコレート専門店を開店「父からの教えとライバル心」". ピンズバ. 双葉社. 12 May 2024. 2023年5月12日閲覧
  11. ^ Piano ma non solo, ジャン=ピエール・ティオレ, Anagramme Ed., 2012, 111
  12. ^ フランス料理のスター、ロブション氏死去 ミシュラン星30以上”. BBCニュース (2018年8月7日). 2019年12月15日閲覧。

参考文献

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  • 巽, 好幸 (2022年2月). “和食文化を育む世界一の変動帯、日本列島”. 『図書』 (岩波書店) 878号: pp.16-19. 

関連項目

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外部リンク

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